悪役令嬢、倒錯す

平 四類

第0話:プロローグ

「これさえあれば他に何もいりませんわ〜〜〜!!!!」

 赤髪の女が天蓋のついたベットにて上半身の身を起こして、手に持つキセルから紫煙を燻らせる。眼は赤く充血し、その瞳が本来の持つであろう鋭い輝きを貶めていた。

 屋敷中に響いたこの奇声に違和感を覚えるものはいない。侍女から執事、厨房の料理人までが、ここ数週間の生活でこの声に日常を感じるようになっていた。


 赤髪の女はふふと微笑みながら、金で装飾の成されたキセルを再び口に咥えた。胸いっぱいに煙を吸い込む。

 その瞬間、思考が冴え渡るのを実感した。全能感に包まれ、侍女達が廊下を踏み鳴らす音、衣服が擦れる感触、口に広がる煙の苦さ、五感で感じられる全てが心地良く感じた。

 キセルに詰められているのは煙草ではなかった。


 こんこんと扉を叩く音が部屋に響く。

「あふふ、どうぞ」

 老齢で白髪の男が一礼して入室すると、室内に充満する煙と匂いに顔をしかめた。

「お嬢様、日中からこのようなことは……。せめてお控えください。お身体が心配です」

「大丈夫、今日はまだ1回目よ」


 男が向き直り、懐から数枚の汚れた紙を取り出す。

「……再度領民から要望が届いております。特に、先日魔狼に襲われた地区は農地も荒らされ、今日生きていくためのパンすら危ういと……」

「パンならあるじゃない」

 壁の染みを見つめる彼女の眼には、確かにそこにパンが見えていた。


「ああ……お嬢様」

 男の顔に悲しみと諦めの入り混じった表情が浮かび上がる。

 その時、男の脳裏にあったのは、今目の前に落ちている女の姿では無く、毅然とした態度と凛々しい顔立ちをした赤髪の麗人の姿だった。

 ああ、いつからこんなことになってしまったのか――。


 再度ノックの音が響いて、男の思考は遮られる。

「失礼します、お嬢様。約束のお時間です」

 許可も待たずに入ってきたのは、丸い眼鏡をかけた小柄で幼い侍女だった。

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