第65話:震え(Side:プライオル②)

「お、おい……準備できたぞ……はぁはぁ……」

『ふむ、ご苦労。よくやってくれた』


 ここは王宮地下にある、使われなくなった倉庫だ。

 コカビ・エルケノスの指示の下、俺は儀式の準備を進めている。

 特別なアイテムを多数用意するのかと思いきや、魔法陣を描くだけだった。

 中央に〈魔の水瓶〉を設置し、周りを囲うように描いてある。

 魔界の文字は見慣れず、全てを書くのにだいぶ疲れた。


「これで準備は終わりかよ? まだ何か用意するんじゃねえだろうな」

『あと一つだけある』

「チッ、なんだよ。面倒だったら承知……」

『別に大したことではない。お前の血を一滴入れるだけだ。それで、伝説の古龍は復活する』

「……俺の血?」


 てっきり、Sランクだとかの貴重なアイテムを要求されると思っていたが違うらしい。

 拍子抜けしていると、コカビ・エルケノスが説明を続けた。


『貴様の血を礎に、古龍は肉体を形作るのだ。血には魔力や生命力の余波がにじみ出ているだろう。よって、血は数ある生体組織の中でも特に有力な……』

「ああ、わかった、わかった。詳しく説明しなくていい」


 とうとうと説明が続きそうだったので遮った。

 俺は昔から、難しい話が大っ嫌いだ。

 理屈だとかはどうでもいいんだよ。


『では、さっさと血を注いでもらおうか』

「だから急かすなよ。王族の高貴な血だ。感謝しろ」


 手元のナイフで指を軽く切る。

 ポツポツと数滴垂らした。

 俺の貴重な血は水に溶け、じわじわと滲んでいく。

 瞬く間に、全体に馴染んでしまった。

 そのまま数分待ったが、何も反応がない。


「おい、これで良いのかよ。血はちゃんと注いだぞ」


 <魔の水瓶>を覗き込むも、コカビ・エルケノスの姿は消え、俺の顔しか見えなかった。

 器の側面を叩く。

 だが、水が揺れるだけで、何も変わらなかった。

 あんなに偉そうに指図していたくせに、ピタリと消えやがった。

 おかしいな……まさか!


 ――……逃げたのか!? 古龍の復活に失敗したんじゃ……。


 きっとそうだ、そうに違いない。

 あいつは儀式に失敗したんだよ。

 よく考えてみれば、この魔法陣が正しいかもわからない。

 そもそもあいつは魔族だ。

 人間を騙すに決まっている……。


「ちくしょうが! 騙された!」


 思いっきり水瓶を蹴り上げた。


「……いってえええ!」


 この水瓶は想像以上に硬く、足に激痛が走った。

 足を抱えてのたうち回る。

 あのクソ魔族が。

 逃げた後まで人に迷惑をかけるなんて……。

 魔族の指示など聞くんじゃなかったな。

 レイク・アスカーブを追い詰める方法はまた別に考えるか。

 そう思いながら出口に歩きだしたとき……突然、<魔の水瓶>が粉々に砕け散った。


「な、なんだ!? 何が起きた!?」


 破片が顔にピシパシと当たる。

 あんなに硬い水瓶が壊れるなんて……。

 恐る恐る近寄ってみると、すでに跡形もなかった。

 離れていて良かったな。

 近くにいたら事故に巻き込まれていたかもしれん。

 ホッと一息ついたとき……ふと、大きな影に気づいた。

 俺の身体を覆うほど大きい。

 なんだろうな。

 横に広がっているのは翼か?

 頭であろう場所からは、捻じれた角を思わせる影が伸びている。

 ……ん? どこかで見たような……。

 そう思った瞬間、俺の身体が宙に浮いた。

 いや、正しくは何かに摘まれている。


「うわあああ! な、なんだよ! なんなんだ!」

『お前が愚かで助かったぞ』

「……え?」


 巨大な影は、俺を自身の頭に近づける。

 暗い室内でも徐々に目が慣れて、その正体がわかった。


「コ、コカビ・エルケノス……どうしてここにいるんだ……」

『どうして……? おそれはおかしな質問じゃないか。お前が描いた魔法陣で私は召喚されたというのに』

「な……ん……だと……? あの魔法陣が召喚陣……?」


 慌てて俺の描いた魔法陣を見るが、術式はまったくわからなかった。

 わからなくても、現実が証明している。

 コカビ・エルケノスは魔界から、俺がいる人間界に来てしまったのだ。


『ありがとう、愚かな皇子。お前のおかげで人間界に来ることができた。これからも仲良くしよう』

「あ……あ……あ……」


 怯える俺など目に入らぬかのように、コカビ・エルケノスは気味悪く笑う。

 異界を隔てるという絶対に安全だった聖域が崩壊し、途端に怖気づいてきた。

 人間に手出しなどできないと思っていた三大魔卿。

 それがすぐ目の前にいる。

 初めて見た魔族に、俺は震えが止まらなかった。


 ――こ、これが魔族……。なんて不気味で恐ろしい生き物なんだ。


 コカビ・エルケノスは俺を摘んだまま、勢い良く天井を突き抜ける。

 衝撃で身体が揺れるとともに、俺はようやく事の重大さに気づき始めた。

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