第52話
モユと二人、疲労困憊の体に鞭を打って一生懸命走る。
「し、知らないよ! いつの間に魔導書をすり替えたのさ!」
「多分、アルの優しさだよ! あ、これ魔導書持ち帰っちゃってるって変えたんじゃない!?」
エルがことを起こすまえに研究室へ急ぐ。
「はあ、はあ、はあ。ただの例え話なのに!」
「ああ! まさか、本当に水瓶を信じなきゃいけないことになるとはね!」
真上に上りつつある太陽の日差しが二重に苦しい。流石の流石に今魔導書に何かされて仕舞えば、明日の試験に間に合わせるのは難しい。
「頼む! まだ何もしないでいてくれ!」
俺は口に出してそう強く願う。
だが、すぐに口は情けなく開き、唖然と立ちつくしてしまう。
ざわざわと騒めく野次馬たちの群れ。研究室の窓から立ち上る黒煙。
顔から血の気が引いて、寒気を覚える。
モユの顔を見ると、流石に白くなっている。
しかしモユはため息をついて、いつもの調子に戻った。
「ごめんね、レイン君。やっぱり負け戦に巻き込んじゃって」
「まだなくなったと決まったわけじゃない。消火しにいこう」
「いや、もう黒煙も薄くなってるから消火はされてると思う。完全に消火されるのも直で、今行っても後の祭りだよ」
モユから濃い諦めの気配を強く感じる。
「やっぱり、ダメだなぁ、ボクは。レイン君に助けてもらったときから全く成長していない。いや、反省も懺悔はあと。今はエルを捕らえないと、だけど」
野次馬を遠巻きに眺めながらそう言ったモユが俺に顔を向けてきた。
その顔は大人びたもの。冷たさをどこか感じるものだった。
「もう一度謝らせてレイン君。本当に申し訳ない。最初っからレイン君に伝えておくべき、というかそもそも分かっていながらエルを側に置いたボクが甘すぎた。また後日、正式に謝罪にいくから、そのときは聞いてくれると嬉しい」
手に落ちた雪がすっと溶けていくように、モユは俺の隣から去った。
寂しそうなモユの背中を見ながら思う。
最初から俺に伝えておくべき。そんなこと最初から分かっているだろうに。
モユは騙されたあの時のままと言うが、明らかに成長している。重々承知の上で、俺には言わなかったのだ。
だからきっと言わなかった理由は、エルが俺から変に思われないようにする優しさだ。
エルはモユに対して深い愛情を持っている。そんなの同じ時間を過ごしたモユだってきっと同じ。エルのことは大切に思っているに決まっている。
幼い頃はついて回る自分を厭わず、守ろうとしてくれていた。今だって変わらずに仲良くしてくれている。大切に思ってくれている。そんなエルを邪険にしたり、邪魔者と扱いたいはずがない。
だから側に置き続けた。心変わりを期待した。幼い頃に信じて痛い目にあったにも関わらず、それでも信じたかった。
成長したモユは、罠に嵌めるでもして紛糾することなどいつでも出来た。なんなら力づくで、自分に従うようにすることだって出来たかもしれない。だが信じたい、と他人に類が及ぶ今の今まで、エルに対しての優しさから酷な方法をとらず、無力な少女になることを選び続けた。
甘い。あまりに甘すぎる。泣いて馬謖を切れ、という話。
現実そう。ぐうの音も出ない正論。
だけど……この優しさを甘さと切り捨てるのはあまりにくだらなすぎるだろ。
そう思った瞬間、体が勝手に動き、一人歩むモユの腕を掴んだ。
「? レイン君?」
「うーん、えっと……」
何も言葉が出てこない俺にモユは困惑の表情になった。
やることは決まっている。ただこう何て言っていいのかわからない。俺がボランティアに働くなんて主義主張に合わない。何か大義名分が欲しい。
あーえっとぉ、うん。そう! サンキュー、ロレンツォ!
「モユ! 失敗なんてさせない!」
「え」
「試験に失敗すると評価が下がるからな! 明日までに絶対魔導書を作る!」
ここで失敗すれば何の実績もないアルを元首にするなんて夢のまた夢だ。ちゃんと一位を取ってアルに実績をつませなければならないのだ。
「よし、まずは迅速にエルをとっ捕まえに行くぞ!」
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