第4話


「お邪魔しまーす」


「う、うん」


 フランが部屋に入ってくる。クローゼットは扉をパカとあける両開きのタイプ。空気を入れる穴もあるが、細くて外の様子を窺うことは不可能。アルに何も言わずに隠れたため、いつ開けられるか不安で、冷や冷やとドキドキが止まらない。


「アル、この寮。学園、本当すごいね。窓は全部ガラス製で、至る所にもガラス。これだけのソーダ灰があれば、研究ももっと進むのに〜」


「あ、あはは。そうだね」


「うん、うん。て、あれ? 何かいい匂いがする、体が火照ってくるような、何これ? 私の部屋ではしなかったけど」


「それは全くわからないよ、フラン」


「う〜ん、まあいっか。ベッドからするし、えい!」


「ああ、飛び込まないで」


「すんすん……ぺろ。ぺろぺろ。れろーん」


「うええ!? どうして舐めたの!?」


「え? あ、ああ!? ごめん! 何か急に舐めたくなって! ごめんね、アル! 枕、私のと交換してあげるから! というか、交換して!」


「え、ネタじゃないんだ……」


 暗い、クローゼットの中。俺はドン引きしていた。


 き、きちい。もしかして俺の匂いに気づいたのか? それで舐め始めたとでもいうのか?


 やめよう。そんなはずはない。


 アルの見間違いである、そうである。


 ありえない、ありえてならぬ。


 ……だけど、もし。だけどもし、そうであるならば。そこまで執着しているということに違いなく。シリル、モユ、ローレルとの関係が知られたら、俺はどんな目に遭わされるだろうか。


 ぶるり、と震える。


「そんなことより、アル! 聞きたいことがあるんだ!」


「そんなことなんだ……」


「ラーイがこの学園に来てるかもしれないの! アル、心当たりとかない?」


「え!?」


 俺もアルと同じ声が出そうになって、慌てて口を手で押さえた。


「あのね、私に挨拶しに来た同じ国の子が言ってたんだ。金髪の線が細くてエロい美少年が居たって」


「そ、そうなんだ」


「うん。だからね、その子がもし、ラーイだったら……」


「ラーイさん、だったら?」


「許さな〜い」


 冗談口調の明るい声。きっと、成長してゲームの通りの清純美少女になったフランが、眩い笑顔を浮かべているだろう。


 なのに、その感覚がない。冷たさから怒り。それと、マーマレードがグツグツドロドロと熱く煮詰まり、爽やかさが消し飛んだような香り。極めて甘く濃厚な香りが、クローゼットの中まで染み込んできた気がする。


「ひっ」


 アルが怯える声を上げたのにも気付かないのか、フランは楽しそうに語る。


「だってさ、約束を破られたんだよ? 苦しかったことを共に乗り越えた、それを実感する、夜空に咲いた大輪の花。怯え続けていたことから解放されて、恐怖を吐き出し、涙が止まるまで一緒にいてくれた。そんなシチュエーションの中での、小さな女の子との約束。音がなくても、見えなくても、心がありさえすれば、破っちゃダメな約束。って、わかるはずなんだよ? 答えはどっちでもいいよ、いやよくないけど、この際どっちでもいいよ。だけど、約束を無視して帰るのは違う。私を舐めてるとしか言えない。全部舐めたいとしか言えない」


 怖い。けど、正論すぎる。


 どうせ今後、会うことないんだから、会わない方がいい。


 そんな考えだったけど、会うとなったら話は別。


 何か大事な話したそうだったし、それを無視してすたこら退散するのは道徳倫理に欠けていると言わざるを得ない。


 が、罪悪感が強くないのは、フランの最後の言葉のせいだろう。


 さっきもそうだったけど、数年経ったのにまだ舐めたい思いは消えてないらしい。こんな変態に悪びれ、まともな対応をするのは間違っている! 正統防衛だ! という、声が聞こえてきそう。


「ま、そういうわけで、アル。ラーイ見つけたら、連絡してね〜。私はこれから捜索してくるから〜」


「う、うん。わかったよ」


 扉が開く音。


 じゃあね、という声。


 扉が閉まる音。


 安堵のためいき。


 全て聴き終えてから、俺は外に出た。


「アル、どうして会いたくないか、わかっただろ?」


「はい……」


 でも、とアルは続ける。


「明日は入学式ですよね? 多分、出会いますよね?」


「……うん、ぐすっ」


「え、泣いてる?」


 他ヒロインと親しいことも、明日にはバレる。ただでさえキレてるのに……。


「……ぐすり」


「あ、ああ、泣かないで」


 辛くて泣きそうになっていたら、アルが、よしよし、してくれた。


 気持ち悪いはずなのに、何だか安らぐ。フランのだくだくに濃い甘さとは対照的な、ふわりと柔らかい優しい甘さが、そこにはあった。


 ずっとこうしていたいとは思うが、そういうわけにもいくまい。


 この状況を抜け出すための方法は、少しずつ固まってきた。


「ありがとう、アル。俺の頼み事を聞いてもらってもいいか?」


「え、いや、はい。何ですか?」


「アル、ハーレムって興味ない?」

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