第66話
馬車の中から、流れていく王都の街並みを眺める。
高く太い赤い三角屋根の住居、もしくは店が、石畳の路を挟んで向かうように、ずらりと立ち並んでいる。混み込みとした、それでいて、物差しに沿うように精密な建物の並び。質実剛健、建物を例える言葉ではないが、そんな印象を受ける。
人だってそう。街ゆく人々は、きらびやかな服装ではないが、身なりは整っていて清潔さがある。背筋の伸びた老人に、がっしりとした女性、日に焼けて筋肉が目立つ少年。真面目で健康的、なんとはなしに、帝国と争ってきたレガリオの人々の性質がわかった気がする。
実用的な王城や、城下町を取り囲む高い城壁がある代わりに、きっと新都のような華やかで芸術的な建物はないだろう。
ふと、そんなことを思った時に、馬車は止まった。
「着いたぜ、ラーイ様」
ラーイ。それが、モジュー侯爵に都合してもらった身分証の名前だった。
「ここは?」
「何ボケてんだ。ラーイ様の目的の宿屋だろ?」
またそれか。
記憶にないけれど、俺が何かを言ったのだとは理解できるようにはなった。
まあ兎にも角にも情報不足。ここで、グダグダしていても仕方ない。
成り行きに身を任せると決めたのだ。
俺は荷台から降りると、目的らしい建物を前にした。
「普通の宿屋だな」
ぽつりと呟く。
他の建物と遜色ない。敢えて、異なる点をあげるとするならば、ただベッドのマークがついた看板があるだけ。
目的地と言うからには、何か特別のものがあるのかと思っていたが、肩透かしをくらった気分だ。
いや、中に何かがあるのだろう。
「で、ポンド……」
何すればいいか尋ねる前に、ポンドは俺に巾着袋を差し出した。
「これが、当分の生活費だ」
受け取ると、ずしりと重さが手にかかる。ただ持つのが苦ではない程度の重さから、めちゃくちゃに多いわけではないと理解した。
「食事から洗濯、風呂つきで十泊、そして衣類や薬なんかの日用品を買っても余裕で余る。ま、なに不自由なく日常生活を送る上で十分な額だな。多すぎても持ち運びなんか苦労するし、それ以上滞在するのなら、追加で資金を渡すから、迎えにきた時に言ってくれ」
迎えにきた時? ポンドは一緒にいないのだろうか?
なんて尋ねるまでもなく、ポンドは御者台に戻って行った。
「ではラーイ様、また十日後」
「ちょ、待ってよ」
そんな声は馬の嘶きにかき消され、ポンドは振り向くことなく去っていった。
はあ。まあ仕方ない。何はともあれ、中に入ろう。10日くらい滞在しろってことだろうしな。
扉を開けて中に入る。
入るとそこは食堂のように見えた。木のテーブルセットが何席かあり、奥にはカウンター。そしてその向こうから、黒髪の、少女? 少年? から出迎えの声が届く。
「いらっしゃいませ!」
男の子というより女の子に近い、それも美少女に近い顔立ち。女の子にしては低いけれど、男の子にしては高い声。黒髪はよく見るとうっすらシルバーというかグレーがかっていて洒落た印象を受ける。髪型は短く、ふわっと柔らかそう。笑顔には、心に絡んだ鎖が自然と綻ぶような魅力があり、物語に出てくる主役のよう。
この子と出会ったことはない。でも、どこかで見たことがある気がする。
「あ、あの、僕の顔に何かついてますか?」
彼、か。客への笑顔から戸惑いを帯びた表情に変わった彼に尋ねてみる。
「どこかで出会ったことはない?」
「え〜と……僕が覚えている限りではお会いしたことはないかと」
そんな会話は、女の子の声で遮られた。
「うわあ、すっごくカッコイイ男の子! アル君、ずるいよ! 一人だけで話そうなんて!」
カウンターの奥から出てきた紫髪の少女がそう言った。
「こ、こら、ネコル! 何を言うんだよ! この方はお客様……ですよね?」
こくりと頷く。
「ああ、良かったぁ。じゃなくて、失礼いたしました!」
ぺこぺこと頭を下げる、アルと呼ばれた少年に、俺は問いかける。
「お気になさらず。この娘は?」
「私はネコルです! この宿屋の看板娘です!」
「自分で恥ずかしいことを言わないでよ……」
「じゃあアル君が看板娘になる?」
「ぼ、僕は無理だよ!」
騒々しいなぁ。兎にも角にも二人の仲が大変よろしいことはわかった。
「あぁ、お見苦しいものを見せてしまい申し訳ございません」
また謝ったアルに、いえ、と答えて続ける。
「この宿に宿泊したいと思っているのですが、主人はお見えで? 十日ほど長期滞在したく思いますので、ご挨拶させていただけないでしょうか?」
「あー、あの、主人は僕です」
「あなたが?」
「申し遅れました。この宿の主人をしています、アルと申します」
この男の子が主人? 見た目からして、俺とそう年齢は変わらないぞ。
何かしら事情があるのだろう。帝国と隣するレガリオだ。徴兵された両親が戦で亡くなって、残された孤児が宿を経営しているなんてこともあっておかしくない。
って、何で妙に納得しているんだ? そうと決まったわけでもなかろうに。
まあでも、同じ年頃の子が宿屋の主人をしているのだ。複雑な事情があることにはかわりない。
「そうでしたか。失礼いたしました。短い間ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言うと、男の子と女の子は目を丸くした。
「どうかなされました?」
「い、いえ。子供が主人と聞いて、嫌な顔もせず、事情も尋ねられないなんて」
「うん、アル君の言った通りの人ばっかりだったのに。それに丁寧な言葉つかってくれるし」
「それを言うなら、私の方こそ。子供一人で、十日の宿屋滞在なんて変でしょう」
本当に変だ。一体、何が目的なんだ。
「た、たしかに変かも! お兄さん! 何が目的!?」
「こら! ネコル! お客様を探ろうとするんじゃないよ!」
「その子の言うように、悪いことを企んでるかもしれませんよ」
「うええっ!?」
驚いた様子のアルに、変な満足感を得る。何だか、からかいたくなる男の子だ。ふいに意地悪になってしまう。
「冗談です。商人の子で、父が商売している間邪魔しないよう、宿に押し込まれたというわけです。では、手続きの方をお願いできますか?」
「じょ、冗談ですかぁ、うぅ、はい。十日分となりますと、お値段は……」
アルの言葉は、バン、と開いた扉の音に遮られた。
「お〜い、アル〜、遊び行こうよ〜」
入ってきた美少女。
その子の声、顔。
またも、どこかで見たことがあるような気がした。
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