第38話 誘拐事件は起こるのか?
「リリー、もうその辺にしておいてあげたら? 仮にもあなたを護衛するためにこうして変装までしてくれているんだから」
「誰も兄に女装など頼んでおりません。せっかくアリエル様と二人で楽しくドレスを作ることができるというのに。しかも、アーバン ローシャのオーダーメイドですよ」
リリーは立ち上がると両手を祈るように組んで「私、デビュタントのドレスをこちらで作ってもらうのが夢なんです」とうっとりと目をつぶる。
「それなのに……お兄様じゃま!」
口をとがらせるリリーは、本気で怒っているんだろうけど、怒っている姿もリスのようで愛らしい。
まあ、ソールの気持ちも分からなくもない。
こんなに可愛らしいリリーを誘拐しようと狙っているものがいると、公爵家から言われたうえ、その情報が影を牛耳ると噂される諜報部からだと聞けば、女装してでも側で四六時中見張りたくもなる。
事実ゲームではリリーの死により、ソールは誰のことも信じられない人間になるのだ。
これまで、私の代わりに誘拐されることが無いように徹底的に周辺を洗い直したし、リリーの周辺も同じくらい慎重に調査したから、ゲームのように誘拐事件が起きることが無いと思う。
それでもいろいろシナリオが狂って来ているので、ソールが中等部に入学するまでは警戒は怠らないできた。
「いいじゃない。私、昔からソールはドレスが似合うって思ってたのよね。でも、最近背も伸びてきたし、頬っぺたの肉もなくなってきたから、きっとこれが最後のチャンスだったわ」
「ふふふ、アリエル様に感謝です。母も喜んでいました。昔はよくドレスを着てくれたのに、最近では全然着てくれないって嘆いていたんです」
「この機会に堪能しておきましょう」
「はい。あ、そういえばアリエル様一つ訂正です」
「ん?」
「お兄様は私のために女装して護衛をしてくれているわけではありません。アリエル様が私と一緒に制服を取りに来てくれることになったら、急に俺も行くって言いだしたあげく側にいるために女装したんです」
「そうなの?」
もしかして、実は私が狙いだって疑っているのかしら?
案外鋭いのね。
「でもだからって、なぜ女装?」
「さあ、なんででしょうねぇ」
「リリー、余計なことを言うな!」
がたんと勢いよく椅子から立ち上がると、ソールはリリーに手を伸ばす。
リリーは「キャー」と言いながら素早く私の後ろに回り込んだ。
兄妹で、つかみ合いの喧嘩か?
と思ったときに、私の部屋の扉が開いた。
「なんでこんなに騒がしいんです?」
ユーリがスティーブを連れて私の部屋に入ってきて固まった。
「……」
「ソールか?」
絞り出すようにつぶやいたユーリは、片手で自分の口を押えて必死にその続きを言わないようにしている。
肩がかすかにふるえているのは笑いをこらえているからだ。
みるみるソールの顔が真っ赤に染まり、目じりに涙がたまる。
「もういい、笑いたきゃあ笑え。その同情のこもった目で見られる方がムカつく!」
私達は、声をあげて笑った。
なんて、穏やかな時間だろう。
これが俗に言う嵐の前の静けさなの?
*
「うちの諜報部からは、変な情報は上がって来ていないよ」
お母様自慢の薔薇に囲まれたガゼボでお茶をしていると、悪い知らせではないのに、何故かユーリは不満そうな顔をしている。
「うちの情報部が、何も無いって言うなら無事誘拐を回避できたのね」
今日はリリーと女装したソールと一緒にいよいよ制服を取りに行く日だ。
この日まで、誰の恨みも買わないように最大限努力した甲斐がある。
それなのに……
「どうして、そんな浮かない顔をしているの?」
「今までの姉さまの夢見は、出来事そのものを回避できたことがない」
そりゃね。ゲームのイベントの結果は変えられるけど、シナリオそのものを変えるのはかなりの難易度だ。
飢饉があるとわかっても、自然災害そのものを止めることはできない。応急処置として食料の備蓄や水路の整備をして、領民をできるだけ飢えさせないしかない。
「じゃあ、ユーリは私の行動とは関係なしに誘拐は起きるかもしれないと思っているのね」
「そうです。その前提で話をすると、うちの情報部がこれだけ調べてもしっぽがつかめない程、相手が優秀だと言えます」
「うーん……」
私はうなりながら、真面目な顔で今回の作戦の指揮を
「イタ!」
ユーリは片手でおでこを押さえ、何するんです? と訝し気に私をみる。
「眉間にしわ」
「ああ……」
「ああ、じゃないわ。警備はスティーブに任せなさいって言ったでしょ」
「任せていますよ」
ちょっと、すねたように言い訳をするユーリの顔は、疲れがにじみ出ていて背中には中堅管理職のような
「ただ、この機会に(姉さまと)同級生の身辺調査も終わらせようと思いまして、少しだけ無理をしました。もうあらかた終わったので心配しないでください」
ん?
身辺調査?
「それって、何でもないかのように言ってるけど同級生をスパイしているってことよね」
一瞬ユーリが、「チッ気付かれたか」という顔をしたが、すぐにすました顔で「普通です」と返された。
果たしてその普通が、公爵家にとっての常識なのかわからなかったが、私を思ってしてくれていることだけは確かだ。
「ユーリ、あんまり夜更かしばかりしていると背が伸びないわよ」
素直にありがとうと伝えたいけど、お礼を言えばさらに無理をするに違いない。
私は、ちょっとお姉さんぶってユーリに小言を言う。
「姉さま」
ユーリは持っていた分厚い資料をテーブルに置くと、無言で立ち上がり私の手をとり、立つように促す。
いきなり何?
首をかしげてユーリの顔を見上げれば、腕組みをして私を見下ろし、ニヤリとした。
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