僕だけのヒーロー

エテンジオール

僕だけのヒーロー

 憧れている人がいた。追いつきたい人がいた。



 その人は優秀で、その人は賢くて、僕みたいな無能は、ただそれを写すしかなかった。その人に少しでも近づけるように、その人に恥じない存在であるために、自らを偽るしか無かった。




 誰よりも優しくて、誰よりも正しくって、誰より美しい。そんな人に並ぶには、いかんせん、僕の存在は不完全すぎたのだ。



 優しくあろうにも、冷たく判断してしまう性根。正しくあろうにも、利益で判断して見過ごしてしまう緩さ、美しくあろうにも、周りからすら否定されるような醜悪さ。



 僕は、彼のようにはなれないのだ。




 そう思ってから、諦めてから、僕の心はだいぶ救われた。たとえ相手がずっと憧れていた、羨んでいた親友であるとはいえ、彼の存在はあまりにも僕にとって重圧だったのだ。




 僕よりもよっぽど落ち着いていて、僕よりもずっと思慮深くて、僕とは比べ物にならないほど、知識が多い。



 もし僕に競争心がなかったら、僕がもっと馬鹿だったら、僕がもっと盲目的だったら、そんな彼のことを素直な気持ちで尊敬して、憧れて、焦がれて、ともすれば性別すらも気にせずに、夢中になっていただろう。





 その在り方に憧れて、彼に縋っていただろう。



 だけれども、幸か不幸かは置いといて、僕と彼は同じ性別だ。当てはまらないこともあるけど、僕と彼は、性に関しては同じ意見を持っていた。



 要は、パートナーに求めるのは異性だった。そこがもし違えば別の結末もあったかもしれないが、僕らにそれは許されなかった。



「そういえば知ってるか?今の世の中でよく知られてるコギトエルゴスム、我思う故に我ありっていうデカルトの考えだけど、デカルト自身が後にそれの反証を述べてるんだよ」



「不思議なものを解決してくれる、思い込みの力ことプラシーボ効果だけど、あれってまだ科学的に証明されていないんだよ」



「科学の成り立ちから考えると、証明されていないから非科学的だって言うのは科学に対する冒涜なんだよ。一度確かに観測されてしまった事象は“ある”んだから、それを否定するのはバカのやることさ。その理屈を解き明かすのが、俺らの仕事だよ」




 彼の雑学は、思想は、思春期初めの頃の僕にはあまりに新鮮で、毒だった。


 一緒に過ごしているだけで賢くなれた気がした。優れたものになれた気がした。

 一緒に過ごせるだけで選ばれた気がした。他の人とは違う、特別なものになれた気がした。



 彼と過ごすだけで、僕の自己形成は成されていたのだ。


 家庭以外での安全な立ち位置や、どこにいても安心して話せる相手がいること、そこそこ優秀な成績を修めて周囲から認められること。マズローの唱えた欲求五段階説における真ん中の三つを、彼に頼って満たしてしまった。





 それを不自然だとわかっていても、縋ることしか出来なかったのが僕の弱さで、僕の過ちだ。自分だけで自分を満たすことの出来なかった僕には、残された道がひとつしかなかった。





 簡単な話だ。自立したいのであれば、親元から離れればいい。離れるだけでは足りないのなら、親を超えればいい。


 そして、どうしても超えることが出来ないのならば、親を引きずり下ろしてしまえばいい。自身の内から消えてしまうほど矮小な存在にまで、その相手を貶めてしまえばいい。




 僕の目的として考えれば、合理的な選択だ。目的を遂行するために手段を選ばないことは、僕の憧れたやり方だった。


 けれども、そのために貶めなくてはならない相手は、僕の尊敬する彼だ。当然躊躇うし、心理的な抵抗がある。




 だから、普通であればそんなことはしないはずなのに、彼のいい所を悪いように真似てしまった僕は、その有り得ない選択をした。




 自身の、彼には遠く及ばない脳みそを振り絞って、かつて聞いた愚痴の内容から彼の抱えていた問題を算出し、それを元に彼にとって良くない噂を撒き散らした。



 時に、自分から直接。時に、机の中にルーズリーフを仕込んで。時に、誰も知らないはずの裏垢に、広めるように脅しかけつつ。


 証拠を残さず、9割方は言われもない誹謗中傷を浴びせる。



 そうやってたどり着いた先は、当然ながら彼との敵対だ。ある程度のスパン、僕自身が慎重に臨んだこともあり、2、3年は彼に気付かれることなく何とかできてしまっていたけれども、そもそものスペックが違うのであまり長くは続かなかった。




 他のルートを考えつつも、これがもう少し長持ちすることに賭けた僕としては、これもまたひとつの失策だ。









 結論から言うと、僕は自身の暗躍を彼に見抜かれ、犯人として問い詰められる立場になってしまった。彼を貶める話題が、あまりにも的確だった。あまりにも、自分の利益に繋がってしまっていた。



 それが、客観的に見たら怪しすぎたのが、未来予知でもできない限り、僕以外には知れなかったことを不注意で流してしまったことが、僕の敗因なのだろう。




 そしてそれに伴い周辺情報を把握した彼は、明らかに敵対している僕に対して、問答無用で戦いを仕掛ける。僕がこれまで積み上げてきた風評被害を、一気に覆すような、突拍子もない手段で。






 その方法は、自身の生活音ごと、全ての会話を録音して、自分の話した内容と僕が広めた内容が異なっていることを証明するもの。彼にとって確証があったとしても、僕が犯人であることに一点賭けはしないと思っていた。




 なんなら、僅かな年月とはいえそれが通用してしまっていたことで、僕の中で油断もあったのだろう。一年前、数ヶ月前に成功したことを、ほぼそのまま繰り返すなんてこともあった。





 振り返れば当然の結果。僕はどこまでも詰めが甘くて、彼が情に負けずしっかり状況判断ができたと言うだけの話。当然、それだけと言い張るには僕のミスが多いが、それはつまり僕の無能に気付けた彼が有能だったということだろう。




 僕に残されたものは、自身の敗北をかみ締めながら、彼に断罪されるその時を震えながら待つだけだ。どうせ、彼が僕に敵対の意を見せた時点で、僕にはどうしようもないくらい話は進んでしまっているのだから。
























「……最後に何か、言い残すことはあるかい?」



 彼が自ら用意した糾弾の場で、僕の影響で“悲劇”の属性が付いた彼が、過去の甘さをセメントで固めてしまったような、見たこともないような凍りついた表情で、僕に問う。




「ありがとう、僕に超えられないでいてくれて。 …………僕は、君のようになりたかったよ」



 彼は、僕のヒーローで、僕は、彼の悪役であれた。僕のなるべき人は、ヒーローに楯突いて落ちぶれる仲間だったのだ。



 彼のそんなあり方にあこがれると共に、いやでも自分の価値の低さがわかってしまう。




 自分自身から離れたところで自らの存在意義を自覚した時、僕は思わず、納得してしまったのだ。



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