エピローグ

 がちゃり、と屋上へ続くドアを開けた。遠くから海風が吹き付ける。研究棟の屋上はヘリパッドやら機材運搬用のエスカレータやらにぎやかだが、こちらの宿舎の屋上は、ただベンチと小さな灰皿があるだけ。

 その屋上のてすりにもたれかかるように、少女らしき風貌の女性が火のついたタバコを片手に遠くを見ていた。

「リン、ここにいたのか」

 ニシはあえて、ベンチの方に座った。

「うん。何? あたしに用?」

 ニシはバインダーに挟まった書類を振ってみせた。

「リンが借りて、壊して、俺が直した。修理の方は不問らしいんだけど、返却はリンのサインがいるんだとさ」

 惚けたように宙を見たリンだったが、何かを思い出したかのように振り向いて、ベンチに座った。火のついたタバコを左手に/右手でペンを受け取ってサインをする。

「ほんと、書類仕事って嫌ね」

「まったくだ」

 ひゅうひゅうと、海風が吹き抜ける。タバコの煙は、そのおかげであまり気にならなかった。

「たばこ、吸うんだな。初めてみたよ」

「ううん、吸ってない。持ってるだけ」

 するとリンは、灰皿にタバコを押し付けてその火を消した。

「あたしね、心底気分が落ち込んだとき、いつもこうしてるの。あたしのなかでずっと残ってる、やりきれない想いが消えていく感じがするから」

 人は見た目じゃないと思った。中学生かそこらの背格好なのに、その内に秘めているものには、触れがたい畏れが見て取れる。

「ねぇ、ちょっと昔話、していい? 今言わないと、永遠にしまい込んだままになりそうだから」

「あ、ああ」

 スゥッと、リンは息を整えた。

「相模湾上陸未遂事件、って知ってる?」

「相模湾? ネットの陰謀論でたまに耳にする言葉だなあ。あの戦争のとき、米軍と戦火を交えそうになったとか」

「事実よ。交えそう、じゃない。交えたの。5年前の当時、あたしは強化外骨格APSの試験評価、運用実験をする新設の教導隊きょうどうたいにいたの。富士山麓で試験の毎日で。魔導セル式の強化外骨格APSが正式に導入されてね。それ以前の強化外骨格APSは100km歩くのに100kgのバッテリーが必要だったけど、こぶし くらいの魔導セルのおかげで実用化できてね。表向きは災害対策だったけれど、実際は新時代の戦争に備えてだった」

「その戦争が、すぐ来たってわけか」

「そう。世界中。10箇所ぐらいだっけ? 潰瘍かいようが突然発生して、それに冷戦時代の古いシステムが反応して、核戦争がスタート」

「ああ、知ってる。世界の大都市の半分が消えた」

「日本は直接の被害はなかったけれど、電磁パルスで通信網がダメになった上に防衛省も幕僚本部も潰瘍に飲み込まれて消滅。とりあえず大昔の戦闘計画に基づいて相模湾に向かったわけ。そしたら、横須賀を離れたアメリカ第7艦隊が目の前に集結してたの。その目的は後々になって知ったんだけど、潰瘍発生を機に、常磐に強制査察をしようとしてたらしいの。ほら、昔の本社って富士山の近くにあったでしょ」

「でも、それで戦争って。同盟国だったろ?」

「んーそれがね、ペンタゴンもどこからか飛んできた核のせいで、査察を命令しっぱなしのまま消えちゃって。お互い混乱してたのね。あたしたちは、逃げることはできなかった。偵察隊からは、東京がなくなったことを知らされて、はるか上空で核爆発が見えて。でも市民の避難は全然進んでなくて。もしこれが本当の戦争なら、あたしたちは盾になってでも守らなくちゃいけない」

「それで、戦いを」

 恐る恐る訊いてみた。海風のせいで左右非対称アシメの赤い髪がなびいて、表情がよく見えない。

「あたしは、主力に対して左翼の敵迂回うかい部隊からの防衛および遅滞戦闘──つまり後ろに来ようとする敵を抑える役目だった。ちなみにケンもその場にいて、私とは違う正面主力の迎撃隊だけどね。電磁パルスのおかげで、戦闘機はやってこなかったけど、第7艦隊の海兵隊との大部隊が見えた。相手は重武装の生身、こちらはに魔導防御も加えた歩く戦車。ただし200名だけ。その後は、実はあまり覚えてないの」

「記憶喪失?」

「ううん、そうじゃない。覚えるまでもないって感じ。ただ、撃って撃って撃って。弾がなくなったら敵から奪った銃で、また撃って撃って撃って。運悪く、上陸主力部隊があたしたちのところへ来ちゃったから、さ。敵の死体を踏み越えながら、1時間くらいかな。って、そんな顔で見ないでよ。あたしは別に大丈夫だからさ」

 リン=左右非対称アシメの赤い髪をなでつける/ニシの視線に気づいて笑って見せてた。

 笑って聞けるような内容ではない。ニシは静かにうなずくことしかできなかった。

「バカみたいでしょ。あちこち潰瘍やら怪異やらで人が死んでて。あたしたちの装備なら、沢山の人が救えたのに、無駄に人間同士で殺し合いをしてて」

「リン!」

「待って、もう少しだから。戦いはすぐに終わった。戦闘訓練に比べたらあっけないほどすぐにね。で、あたしが立っていたところから100mくらい後ろだったかな。そいつ嘉島かしまっていうんだけど、嘉島が倒れてて。運悪く迫撃弾か何かが当たったみたいで。魔導障壁が中途半端に効いたせいで、即死せず半身だけがばらばらになってて。もう手の施しようがなかったんだけど、最期にたばこを吸いたいって嘉島が言うから。口に1本加えさせてさ。でも火を点けられなくて。そうこうしてるうちに、嘉島は逝っちゃった。戦闘は事実自体が伏せられて、怪異との戦闘で命を落としたって遺族に伝えられた。それが悔しくって」

 リンが袖口でゴシゴシと拭うようなしぐさをした/しかし左右非対称アシメの赤い髪でよく見えなかった。

 ニシは静かに次の言葉を待った。

「でも、あたしは、大丈夫。割り切ってるし振り切ってるから。その時、嘉島に誓ったんだ。困っている人を助けるって。でも、やりきれないときだけ、こうしてタバコの煙を見て初心に帰ってるの」

「昨日の、あの魔導士の件で」

「人を撃ったの、久しぶりだから。もう大丈夫。もう大丈夫。なぜだかわかる?」

 リンは、バネじかけのように飛び上がった。

「それは、うーん、強いから」

「ふふふん、まだまだだねぇ」

 ニコリと。答えをはぐらかされた。目と鼻を真っ赤に腫らしているのに、強がっている。

「ニシは、人は殺しちゃダメだからね。手に付いた血は、取れないものなの」

 もうすっかりいつもの、お姉さん気取りのリンに戻っていた。ググッと伸びをして首をぐるりと回した。

「さーて。とっとと戻って昨日の反省会ね。ジュンが『おばけを見た』って妄言ばかりだから、病院で精神科のカウンセリングを受けてるけど、もう帰ってくるころだろうし」

「俺はこれを総務に出してから会議室に行くよ」リンの署名入りの書類を見せた。「だけど、ちょっと待って。ひとつだけ訊きたいことがある。リンは高卒で陸自に入ったんだったよな」

「ええ。曹候補生ね。なに? 学歴マウント? 一応、成績は優秀だったんだから」

「いや、そうじゃなくて。基礎訓練って長いんだろ」

「基礎っていうか、まあ強化外骨格APSの部隊に行くまでに5年くらい。教導隊は2年」

「今、何歳なんだ?」

 そして5年前の魔導災害を機に常磐に移籍した。

 訊いてみた/訊いてしまった。リンに年齢を訊くと上段回し蹴りが飛んでくると、もっぱらの噂。

 しかし、リンは睥睨へいげいのまま表情を変えない。

「ふーん、知りたいの?」

「気になった。ただそれだけだ」

「ふむ、よろしい。あたしに興味を持ったことは褒めてやろう。だが──」

 回し蹴りか、と身構えたが、リンは小悪魔的スマイルを浮かべた。そして唇に指を当てて、

「秘密」

 それ以上の質問を許さず、リンは軽やかに階下へ消えた。まるで都会の肉食獣クーガーのごとき足取りだった。

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