Epilogue 日常

Epilogue-1 覚醒

 ピッ、ピッ、っと連続した音が聞こえる。

 体は何かに横たわっていて柔らかい。自宅にある敷布団よりは寝心地がいいので、少なくとも、自宅ではない。

 匂いも、清掃が行き届いている清潔な感じだ。診療所、クリニック、病院のような、空気清浄が行き届いている感じだ。そうか、病院に運ばれたのか。


 少しだけ瞼を開くと、天井が見える。そして、左側に人の気配がした。

「恵!?」

 おれは起き上がった。目を見開くとそこに居たのは——

「おや、起きたかね」

 焦げ茶色のスーツを着て、口元にヒゲを蓄え、少し頭が薄い、中年の男だった。


 おれは、何度も瞬きをした。

 中肉中背、いやよく見ると腹が贅肉で押し出ている。そして何より目を引くのが、手元でナイフを使って、器用にりんごを剥いていた。全部うさぎの形だ。

「病院で言うのもなんだが、りんごは医者いらずだ、食べたまえ」

「……どうも」


 おれは差し出された皿に手を伸ばした。一口かじると、瑞々しい食感。新鮮さを物語っている。濃厚な蜜の甘さが口に広がる。うまい。りんごなんて、久々に食った気がする。

「おいしいかね」

「はい」

「山形産なんだがね、なかなかうまいんだよ。完熟していて、蜜が豊富に詰まっている」


 目の前の中年はりんごを剥きながら言った。

「あの……あなたは誰ですか。あと、ここは」

「おっと、失礼した。僕は堀池、堀池、堀池慎吾だ。陽羽里さんの世話になった、しがない市ヶ谷の職員の一人だよ。初めまして、陽羽里晴翔くん。そしてここは世田谷にある自衛隊病院だよ」


 市ヶ谷……おれは、はっとした。恵だ。彼女はどうなっているんだ。

「あの! 恵……籠原恵という人はどうなっていますか!?」

「籠原君だな。左腕を骨折していたようだが、彼女は無事だ」

「骨折していたんですか」

「まあ、彼女の治癒力は強いからすぐ治るよ」

 頭の中が恵のことでいっぱいになる。そうだ、彼女は自分が市ヶ谷に戻れないと言っていた。


「恵は、これからどうなるんですか」

 おれは、生唾を飲み込んだ。

「……彼女は、まだ処遇は決まっていないが、処罰を受けるようなことはないよ。多分、違う部署に配属されることになる」

 よかった。恵のことが知れて、少し嬉しかった。

「自分のことより、そんなに彼女のことが気になるのかい」

「えっ、いや」

 少し、暑い。気のせいだ。


「まあ、いいさ……失礼だが君の体のことは検査させてもらった。籠原君の証言では、とてつもなく強大な魔法術を使ったと聞いている。結論から言うと、君が使った神火という魔法術は、今は使えないようだ。あの時、佐世保に眠っていた魔力を吸収したおかげで、一時的ブーストがかかって使えていた、ってのがウチの回答だよ」

「そう、なんですか」

「でも、それは魔力の放出ができないだけで、神火とい魔法術の使い方は覚えているはずだ。だから、いつの日か君が訓練を積んで、魔法術のエキスパートになれば使える日が来るかもってね。ちなみに、魔法術取得の申請は不要だ。君は神火を使えるわけではないからね」


 彼はそのまま続けた。

「でも、それは魔力の放出ができないだけで、神火と言う魔法術の使い方は覚えているはずだ。だから、いつの日か君が訓練を積んで、魔法術のエキスパートになれば使える日が来るかもってね。ちなみに、魔法術取得の申請は不要だ。君は神火を使えるわけではないからね」


 おれは少し、ほっとした。いつか使える。それがわかっただけで、充分だ。

「落ち着いたかね」

「え、ええ。ところで、親父と堀池、さんはどんな関係だったんですか」

「陽羽里さんが治安維持部隊に配置されるまでは一緒に仕事をしていたんだ」

「仕事仲間ですか」

「そう言うことになる」

「治安維持部隊、ってやつの関係者ですか」

「いや、詳しく言えないが、僕は違う部署だ」

「そうなんですか」

「ああ……このたびは、大変申し訳ないことをした。君のお父様を死においやり、あまつさえ無関係な君を巻き込んで、傷つけてしまった。それを看過できず、こんなことにさせてしまった僕のミスでもある」


 皿とナイフをテーブルに置くと、堀池は地に頭を伏せた。

「本来ならば、恩人の陽羽里さんは私が救うべきだった」

 彼は、おれの視界の中では動こうとしなかった。おれは、それを直視できず、目を伏せた。

「あの、頭を上げてください」

 彼はあげようとしなかった。

「もう、おれは大丈夫です」

 強がりか、本心か、わからなかった。だが、自然と言葉が出てきた。


 堀池は立ち上がり、横にある椅子に戻った。

「本当に申し訳ない」

「えっ、いや、あの……今日って何日ですか」

「十八日、月曜日だよ」


 確か、佐世保を立ったのは二日前だ。

「おれは丸一日寝てたってことですか」

「そういうことになるね。でも、一日で体が動くようになるなんて、流石の若さだ」

「ところで、佐世保で起きたあのことはどうなっているんですか」

「ああ、ウチで事後処理しているから安心してくれ。あと、本来であれば君は申請していない魔法術を使ったり、在日米軍基地に不法侵入しているわけだが、今回は不問にする。ただ、次やれば捕まるから気をつけるように」

「……わかりました。色々、ありがとうございました」

「では、僕は失礼するよ。入院費とかは気にしなくていい、全部こっちで負担するからね。それに居たければいつまでも居ていいよ。あと何かあれば僕に連絡してね」


 ジャケットから革の名刺入れを取り出し、ボールペンで何かを書き込んだ後、それをおれに差し出した。

「何かあったら、遠慮なく連絡をよろしくね。僕らが力になるから」

「ありがとうございます」


 受け取った名刺を見ると、手書きの携帯と03から始まる固定電話の番号が書いてあった。

 立ち去ろうとする堀池さんは、立ち止まってビジネスバックから本を取り出した。

「君たちと同行していた、赤髪の女から晴翔君にと頼まれたものだ」


 彼が差し出した本は、おれが親父のロッカーで見つけ出した、曙色の革装丁の本だ

じゃあ僕はこれで。そう言って去ろうとする背中におれは待ったをかけた。

「あの、本当にありがとうございました」

「いいんだよ」


 彼の姿が消えたあと、《たそがれ》と書かれた革装丁の本を開いた。そこには封筒が挟まっていた。晴翔へ、と表に書かれ、裏側には筆記体で《Scarlet・Ryan》と書かれ、アメリカ大使館、港区赤坂一丁目と書いてあった。

 中には、一枚、便箋が書いてあった。




 親愛なる晴翔へ。

 これを読んでいる頃は、無事に目が覚めている頃だろう。晴翔の命に別状が無いことを知って、オレは安心したよ。

 元々オレの任務はラグナロクの破壊だった。晴翔が搬送されたあと、この本を見つけ出して確認したが、もうラグナロクの術式は失われていた。

 恐らく、影森とか言うヤツが使った時に、術式ごと無力化した。

 この本を破壊する理由がなくなったので、晴翔に返却する。

 最後に、これから寒くなる一方だから、体に気をつけてくれ。

 そして、またいつか会おう。ラグナロク破壊の任務は終わったが、まだまだ赤坂で働いているから、連絡待っている。


 Scarlet・Ryan




 そして、最後の行に電話番号が書いてあった。

 スカーレットからの手紙を読み終わったあと、赤魚の煮付けが主菜の病院食を食べたあと、検査で体はもう大丈夫であることを教えてもらった。いつまでもいていいとは言われたが、二週間近く学校を無断で休んでいるので流石に単位がまずいと思い、その日の晩には退院して、武蔵境にある自宅に帰った。


 自宅にたどり着く頃には、もうあたりは真っ暗だった。鍵は、ベッドの横に置いてあったおれのリュックに入っていた。よかった。

 部屋に帰ると、誰かがいるような気配はしなかった。

 一度、堀池に電話して、駄目元で、学校でおれはどうなっているか確認すると、どうやら交通事故でしばらく入院していたことになっているらしい。

 その日は、とりあえず寝ることにした。

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