Chapter1-2 接触
家を出て、学校も行かずに二日。この街に埋まろうとしたが、おれには早かった。いや、単に肌に合わなかった。
左頬に作った痣が痛む。あの野郎、よくもやりやがって……。
チューハイを飲み終わる頃。不意に着信音が鳴り響いた。板上先生は、昼間にひっきりなしに電話していたが、番号が違う。おれに電話をかけてくるのは……考え抜いたがやはり板上先生以外特に思いつかない。
怖いもの見たさもあって、好奇心が指を動かし、電話に出てしまった。無言のまま数秒待っていると、相手から切り出してきた。
『夜分遅くに失礼します。陽羽里……晴翔さんですね』
なぜおれの名前を知っている。役所の人間か? にしてもこんな時間に電話はかけてこないだろう。
「誰だ」
向こうも、数秒の無言があった。
『失礼いたしました。私、防衛省、大臣官房、文書課の楯山と申します』
「……タテヤマ?」
『さようでございます』
男の声だった。尖った感じではなく、柔和な印象を持つ声だった。そして防衛省ということは、親父の職場の関係者ということだろうか。
「確かにおれは、陽羽里晴翔だが」
『晴翔様、お父様の件は、心よりお悔やみ申し上げます』
「はあ」
なんて返していいか、わからなかった。こういう電話は初めてだ。それに相手は直接おれに連絡をしてきた。
「……何の用だ」
『恐れ入ります。お父様の葬儀を執り行う事を決定いたしました。ご家族様である晴翔様にご連絡を入れなかった非礼をお赦しください』
少し間を開けた。母方にも親戚はいなかった。同じ様に父方にもいなかった。そうか、おれは、天涯孤独ってやつになってしまったんだな。
「そうか」
『つきましては、また日時が決まり次第、ご連絡を差し上げます』
そういって、電話は途切れた。見上げた空の暗闇が、より一層、深く感じた。
数日後、楯山と名乗る男からまた連絡があった。場所と日時だけ伝えて、素っ気なく通話は終わりそうになった。
「どうして、おれの連絡先を?」
まただ、興味が口を滑らせた。
『……お父様が、個人情報を提出されており、ご子息の晴翔様の連絡先も記載されておりました』
帰ってきた答えは、考えれば当たり前のことだった。
『あまり、詮索されない方がよろしいですよ……好奇心は、猫を殺す』
無意識のうちに、生唾を飲み込んだ。廊下で走っている子供が先生に注意され、ドキッとするような、心臓を鷲掴みにされた緊張感があった。
そして指定された時間、青山に到着した。喪服なんて持っていないおれは、バックれている学校の制服を来ていたが、二十一時前の港区に現れた高校生が奇異の目に晒されたのは言うまでもない。ガーゼで隠してるはいえ、頬にできた痣は尚更、視線を集めた。
駅から十分ほど歩き、指定された葬儀場へ向かう。あたりは暗く、ビル街が面した大通りの対岸は霊園が近いのも相まって、不気味な雰囲気が漂っている。
葬儀場の入り口は柵がほぼ閉められており、罠のように人一人分のスペースが開けられている。そこを進むと、光が灯る建物が辿りつく。《故 陽羽里不知火 儀 葬儀式場》と書かれた看板が立ててあった。
「陽羽里、晴翔様ですね」
ふと、声をかけられた。電話口で聞いた柔和そうな声だった。スクエアのメガネかけた普通の人、と言った印象だった。髪型も、清潔感のあるありふれた感じだった。
「改めて、はじめまして。楯山と申します」
おれは少し、会釈した。そして喪服姿の彼に連れられるまま、式場に進んでいった。すれ違う人が四〜五人ほどいたが、悲しそうな顔はしていなかった。
奥の部屋は広く、パイプ椅子が並べられていた。しかし、誰も座っていない。いびつだ。死とは悲しいものじゃないのか。涙を流す人がいるイメージだった。いやイメージではない。本来であればそのはずだ。
高校生のおれでもわかる。ここはおかしい。母さんの時は、おれを含め皆が泣いていた。ハンカチを濡らし、袖口に痕が残り、感傷に浸る。なんなんだ、これは。
奥に目をやると、沢山の花が飾られ、中央に親父の遺影があった。生前の瑞々しい姿ではなく、証明書に掲載するような正面から撮影したようなものだった。
その隣に一人いた。タテヤマと同じような喪服姿の男だった。彼が振り返り、立ち去ろうとすると、おれに気がついたようで、近づいてきた。
「陽羽里晴翔君、ですね」
「はあ」
こいつも、おれの事を知っている。
「お父様の件はお悔やみ申し上げます」
おれの目を真っ直ぐ見ながら彼は続けた。
「すいません、私は……影森と申します。ご家族様がいらっしゃらないとお伺いしました」
メモとペンを取り出し、何かを書きはじめた。
「私の連絡先です。お父様にはお世話になりまた。もしよろしければ、あなたのお力にさせていただけないでしょうか」
そういって、メモを渡してきた。
「もし、何か困った事があったら、ご連絡をください」
影森と名乗った男の目元は、少し赤かった。
「……どうも」
「では、これで失礼します」
立ち去ろうとする影森に、おれは声をかけた。
「あの、親父は、陽羽里不知火は、どんな事をして、いました、か」
楯山は、おれの肩を掴んだ。そして、影森の回答に少し間があった。
「お父様は、陽羽里室長は、責任感の強い方でした」
そういって、影森は去っていった。
おれは、遺影に向かった。改めて見ると、親父はこんな顔だったのかと感じる。そして、親父のことは何も知らない。
「……チクショウ」
おれには、何も教えてくれなかった。
「チクショウ」
誰も、真実を教えてくれない。親父がなぜ死んだのかも知らない。
「チクショウ!」
考えるより先に体が動いた。握りこんだ拳は遺影の表面を殴りつけ、ガラスが飛び散った。
切れたのか、血が流れだす。痛い、これだけしか、わからない。
「何をする!」
にすぐ楯山が首元を掴んでくる。おれを、凄んだ目で睨みつける。
「すいません……魔が、さして」
「お父様に失礼だと思わないのか!」
「じゃあ教えてくださいよ! 親父は、陽羽里不知火は、どんな人間だったんですか! おれは知らない!」
「……くっ」
楯山は手を離した。
「なんで、教えてくれないんですか」
「……安全保障に関わる。それ口外はできない」
「人が死んでるのに、なんだそれは……おれの親父なんだぞ!」
「……文書課で大臣や職員、ひいては自衛隊全体を支える仕事をしている」
「それのどこが保障とやらなんだよ!」
数秒、間があった。そして楯山が吼えた。
「黙れ! それ以上言うな! 防衛省を侮辱すると言うなら……」
「言うなら?」
彼の眉間に作ったシワが失せ、握りこんだ拳が解かれた。
「すまない。取り乱してしまった」
楯山は背を向けて、メガネを外し、ハンカチで拭き始めた。
「前にも申し上げましたが、詮索されない方がいい」
おれはそのまま立ち去った。ずっと視線を感じる。
駅のトイレで手を洗うと、水が、石鹸が沁みる。痛い。おれは生きているのだ。
地下鉄に揺られながら、おれは考えた。これからの人生、死ぬまで何も知らずに生きるのか。母さんは、難病で亡くなった。親父は、自殺した。
——すまない、晴翔——
親父はあの時になぜ、おれに謝った。なぜ、憔悴しきっていた。なぜ、経堂にいたのか。なぜ。手ぶらだったのか。なぜ、おれと離れて暮らして、突き放すようにしていたのか。
おれは、知るべきだ。親父を、こうなった原因を。
しかし、ただの高校生に、何ができるのか……。
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