introduction-3 孤独
帰ろうとすると、板上先生に呼び止められる。中年の担任が多い中では若く、愚直という言葉が似合う熱血教師だ。時代に逆行しそうな熱い人柄の先生だが、人懐っこい感じと歳の近さがウケて、他のクラスメイトとよく話したりする姿を見る。
「陽羽里。進路調査票が今週末で期限だから、よろしくな。親御さんのハンコも忘れずに」
ふと、親父の顔が浮かぶ。夢の中の父親とはうって変わり、冷たく刺さるような視線が印象的な、今の仕事しかしない男の顔だ。
ああ、また市ヶ谷の宿舎にハンコもらいに行かないとな。何度か、書類関係で行くことがある。親父が住み込む、官僚用の宿舎を思い出す。
親父の顔を見るのは盆と年末年始、年度末と、こう言う書類のサインとかハンコをもらいに行く時だけだ。
正直、顔も見たくないが、拒絶すれば面倒になるし、わかりましたとだけ返して、立ち去ろうとするも、板上先生は続けた。
「なあ、陽羽里。なんか困ってないか?」
「……おれは大丈夫です」
「そうか‥…いじめられてたりしないか?」
「誰も、おれのことなんて眼中にないですよ」
「そんな寂しいこと言うな。少なくとも、俺はしっかり見てるつもりだ。前のテスト、学年上位で凄かったじゃないか」
きっと、世間では板上先生みたいな人の事を、いい人だと言うんだろう。でも、このお節介さが、嫌いだ。ズカズカと自分の玄関に踏み込んでくる感じがして、嫌いだ。
「あまり、構わないでください」
そう言うとさっきの調子で、話しかけてくる。おれは、板上先生の言葉を遮った。
「どうして、先生はおれに構うんですか」
「……陽羽里、お前の顔が、いつも悲しい顔をしているように感じるんだ。俺にとっちゃこのクラスは、学校の生徒はみんな家族みたいなもんなんだ。だから、そんな顔しないで、折角成績もいいし、のびのびと飛び立って欲しいんだ」
その言葉が、脳内で反響する。
——飛び立て、晴翔——
まるで、呪いのような、その言葉が出ると、悪夢に様変わりする。嫌悪すら覚える。母が亡くなり、仕舞いにはおれに一人で暮らせとだけ言い放ち、何もしなかったあの男の顔が浮かぶ。
辛酸を舐めるような気分になり、廊下で他の生徒がいるにも関わらず声を荒げた。
「もう、ほっといてください!」
板上先生の反応を見る間もなく、背中を向けて、そのまま階段を降りていった。一人になりたい。その一心でいつもの場所に向かう。裏校舎にある、ぽつんと植えられた桜の木の下にあるベンチだ。
缶コーヒーを買って、同期の桜と言われている木の下に向かった。葉はもう枯れ、枝だけの寂しい姿が、今の自分に無性にシンクロするようだった。
しかし先客がいた。
「おや、陽羽里か」
桐生先生だ、トレンチコートを身にまとい、帰る前だろうか、同じ缶コーヒーを握っていた。ここで出くわすのは初めてじゃない。ちょうどこの桜が満開の春、同じコーヒーを飲み、同じようにここに訪れる事を知った。
桐生先生も、赴任して日が浅く、同じように他人に馴染みにくい孤独感に親近感を覚た。かわす言葉は少ないが、他の生徒や教師よりは、少しだけ心を許せるような人だと感じた。
「ああ、すまん。すぐどく」
桐生先生はおれの顔を見るなり、察したようで、紺色をしたOUTDOORのリュックを持って、立ち去ろうとした。
「あの先生」
「……どした」
おれは、性にもなく、感情のまま声を上げてしまった事を話してしまった。
「そうか、陽羽里にもそう言うこと、あるんだな」
二人でベンチに並んで座り、おれはプルトップを開けて喉に流し込んだ。まだ、熱いブラック。この苦さが好きだ。現実の苦しみを忘れさせてくれる。
「陽羽里くらいの時、俺もそんな感じだったから、なんとなくだけど、わかるよ」
桐生先生は、雪が上がった曇天を眺めながら、続けた。
「まあ、おれも早くに父さんを亡くして、母さんも体悪くして、一人でやってたのは前に話したよな」
こくり、とだけ頷いた。
「俺も同じだったよ。でも諦めなかったんだ」
桐生先生は、立ち上がった。
「陽羽里が何を目標にしてるかは、わからないけど、途中で投げ出したらさ、多分俺もここまで来てなかった」
おれはコーヒーをすすった。
「無責任過ぎたな、すまん。まあ人の数だけ生き方があるんだ。自分の道、いつかしっかり見つけろよ」
おれは黙って頷いた。
「……参ったな、また降り始めた」
桐生先生は、両肩に落ちる雪を手で払った。
「体冷やさないうちに、早く帰れよ」
そう言って帰っていく桐生先生を見送ると、手元のコーヒーは結構冷えていた。
魔法術を発動させる魔力は体内で生成される。そして血液と共に全身を駆け巡っている。両手の指先に意識を集中させる。
高校生が勉強して取得できる魔法術は、念動力系を除けば基本的に触れる事でしか発動できない。そうこうしているうちに、指先が暖かいように感じる。落ちて触れた雪は、すぐに溶けていく。
これが、おれが使える唯一の魔法術、ヒートアッパー。指先で熱を生み出し、それを他に与える能力。こう言えばカッコいいが、実際には今日みたいな冬場に暖をとったり、冷えたものを温める時にしか使えない。夏場ではかえって逆効果になるし、電子レンジを使った方が早い、使えてもパッとしないような力だ。
少しすると、飲み口から湯気が立ち、コーヒー豆の豊かな香りが蘇ってくる。一口すすると淹れたてとはいかないが、この寒い中ではありがたい暖かさまであったまる。
選択授業の前の、魔法術授業の説明会で「今ではスイッチ一つでガスコンロから火が出る時代だが、昔は魔法術で火を起こせる人を神のように崇められた時代があった。神と崇められた人々と同じ事をしてみたくはないかい?」と、桐生先生が力説していたのに惹かれたのが、おれの魔法術の始まりだった。
別に歴史の追体験をしたい訳ではなかったが、昔読んだ漫画に指パッチンで火を起こすキャラがいて、カッコいい、おれもしてみたい、と思ったのが本音だった。
豆の香りを嗅ぐと、初めてヒートアッパーを使えた時のことを思い出す。汗が吹き出すような夏日、スチール缶のアイスコーヒーをホットコーヒーに生まれ変わらせた時だった。補習でおれだけがうまく発動できなかったが、桐生先生は連日付き合ってくれた。
成功した時は、おれより喜んでくれて、「ははっ、夏場にコーヒーあったくしてどうすんだよ」とツッコんでいたのを今でも覚えている。あの時は、久々に嬉しかった。
記憶を遡っていると、コーヒーを飲み干していた。立ち上がり、ベンチの隣にあるゴミ箱に放り込むと、桐生先生の足跡を辿るようにおれも校門に向かった。
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