二次元の王子様は好きですか?

星名柚花

第1話

 緊張しすぎて吐きそう。

 私は六畳一間の隅っこで一人、壁に向かって体育座りをしていた。 


 陽キャの代表のような姉に見られたら「あんたはまたそんなとこで」と呆れられるのだろうけれど、私のような陰キャなコミュ障は明るい部屋の中央よりもこうした薄暗い隅っこのほうがよほど落ち着くのだ。


 数ヶ月前、派遣の契約を切られたのも職場のノリにうまく合わせられなかったのが一因だと思う。

 あの陽キャと体育会系のノリはキツかった。


「陽キャには陰キャの気持ちなんてわからんのですよ……」

 遠い目をして呟く。


 これから来る人がとんでもない陽キャだったらどうしよう?

 扉を開けるなり「チョリーッス★ シクヨロ★」なんて笑顔でピースしてきたりして――ひゃあああ無理ィィィそんな礼儀を母親の胎内に忘れ去ったような人種パーリーピーポーと関わるなんて無理ィィィ考えただけで鳥肌がぁ蕁麻疹がぁぁぁ!!!


 腕を掻きむしっていると、玄関の扉がノックされた。

 駅から徒歩二十分、築五十年超え。風呂なし、トイレ共同。


 安さだけが取り柄のこのアパートに文明の利器インターホンはないため、住人を呼び出したいならば直接玄関の扉をノックするしかない。


「は、はいッ」

 普段より二オクターブほど上がった声で返事をしながら立ち上がる。


 とうとうこの時が来た。

 果たして彼女はサイトの写真で見た通りの陰キャか。実は陰キャの皮を被った陽キャか。

 これで全てがわかる。


 扉を開けると、アニメキャラ(黒髪ロングの美少女が照れ笑いしている)がプリントされたTシャツにジーパンを着て、夏だというのにニット帽をかぶり、口元を黒マスクで覆い、瓶底のような黒縁メガネをかけた小柄な女性が立っていた。


「……て……です……ます」

 彼女は小声でぼそぼそと何か言った後、深々と頭を下げた。


 待って、いまなんて言った!?

 全然聞き取れなかったんだけど!


 良かった、陰キャだ! 紛うことなく陰キャだ!

 どこに出しても恥ずかしくないアニメオタクの陰キャだ!

 サイトで見た印象通りの人で良かったー!! と、私は胸中でガッツポーズした。


「あ、あの、は、はじめま、して、小日向こひなた、です。よろしく、お願いしますッ」

 かくいう私も思いっきりキョドった。

 もし話しかけた対象が子供だったなら、見ていた保護者は通報待ったなしだ。


 おかしいなー、脳内シミュレーションでは明るく笑顔で「はじめまして、小日向です」ってすらすら言えてたんだけどなー、ええ、陰キャの現実なんてこんなもんですよ。


「……こちらこそ……」

 私の挙動不審っぷりを見て同類だと判断したのか、さきほどより少し大きめな声で彼女――須藤さんはそう言った。

 



「事前に説明した通り、須藤さんには、ソシャゲの、イ、イベントに、協力して、いただきます。レンタル期間は今日の午後六時から、イベントが終わる四日後の正午まで、です」

 私はいま、『ダンス★プリンス★ラブレボリューション』という女性向けのアイドル育成ゲームにドハマリしている。


 特別な衣装やボイスが開放される最高レアSSRのカードを引き当てることを目標にガチャを回し、カードを組み合わせてチームを作り、レッスンや筋トレなどでキャラを育成し、ある程度歌唱力や魅力を身に着けたらステージに挑戦。

 だいたいそんな感じの、よくあるソシャゲ。


 ダンプリでは月に一度、最もポイントを稼いだ上位百人に特別報酬SSRをプレゼントという大きなイベントを開催している。


 今回のイベント報酬は私の愛する王子アリュシタリオンで絶対入手案件だった。


 しかし、いくらニートとはいえイベント期間中不眠不休でスマホに張り付くのは無理なので、私は『人間レンタルサイト』なるものを利用し、最も陰キャっぽく波長が合いそうだった須藤さんをレンタルした。


「承知しています。ところで、本当に、ここで寝泊まりさせていただいて大丈夫ですか?」

 ニット帽を被ったまま、須藤さんは私の部屋を見回した。

 壁際の机の上にはアリュシタリオンの祭壇(グッズを華やかに飾り付けた場所)がある。


 普通の人にはドン引きされそうだけれど、須藤さんは興味深そうに祭壇を見ていた。


「大丈夫です。布団は干しておきましたし、せ、洗濯もしてます。あの、でも、嫌だったら遠慮なく断ってもらって構いません。イベント期間中、通ってもらえたら……それでいいので」

「いえ、大丈夫です。お世話に、なります」

 須藤さんは頭を下げた。

 

 

 1日目。

 須藤さんの頭から帽子が外れた。

 夜食に冷凍うどんを作ると須藤さんも食べてくれた。雑談もした。多少打ち解けられたような気がする。

 

 2日目。

 須藤さんの口から完全にマスクが外れた。

 彼女の素顔はかなりの美人だ。

 同じ陰キャだというのに顔の作りのこの差たるや。ガッデム。

 

 3日目。

 音ゲーをしてるせいか須藤さんの指さばきは素晴らしい。

 休憩時間にパズルゲームをする彼女の指先はもはや見えない。プロ? プロなの?

 おかげでポイントが溜まりまくって余裕の五位キープです。

 

 4日目。

 二人で稼いだポイントが億を超えた。多分安全圏だけど気は抜かずに今日も今日とてイベント最高難易度のステージを回る。お金で買える魔法のアイテムを砕いてスタミナを回復し、惜しみなくポイントが2倍になるフィーバーアイテムを使い、ひたすら回る。何も考えずにぐるぐる回る。ただそれだけをするための機械になったかのように、ぐるぐる。ぐるぐる……夢でもゲームしていた。末期だ。しかし本望。全ては推しのため!

 

 5日目。

「終わったー!!」

 正午ジャスト。

 私はスマホを床に置き、達成感とともに大きく伸びをした。


「お疲れ様でした。三十分ごとに更新されるランキングでは最終2位だったので、確実に報酬は取れるでしょう」

 この五日でコツコツ積み重ねたコミュニケーションのおかげか、聞き取れる声量で須藤さんは言った。

 キョドらずまともに話せるようになったのは私も同じだ。


「うん、ありがとう。須藤さんのおかげだよ」

 数ヶ月引きこもっていたせいで、これまではコンビニ店員の「袋は要りますか」の返事にも難儀する有様だった。

 須藤さんと話すのは良い対話訓練になったなあ。


 まあ、須藤さんが帰ったら他人と話す予定なんてないんだけど。

 引きこもりニート生活万歳!

 

「お役に立てて良かったです。私達、推しは違えど推しを愛する気持ちは同じ。推しのために時間とお金と労力を捧げる。全ては推しの笑顔のため。推しの幸せこそが喜び。私達がつぎ込んだリソースがまた新たな推しの衣装や曲を作り、やがてソシャゲの枠を超えてアニメや映画となるかもしれません。想像してみてください。ソシャゲとはまた違う華やかな舞台で光り輝く推しの姿を……」

「ああ、なんて素晴らしい……」

 テレビ画面の中で歌って踊るアリュシタリオンを夢想し、うっとりと天井を見上げる。


「それではレンタル期間も終わりましたし、私はこれで失礼しますね。五日間、お世話になりました」

 頭を下げてから、須藤さんは帽子を被り、マスクを装着した。


「あの、余計なお世話かもしれないけれど。須藤さんは美人なんだし。顔を隠さないほうが良いんじゃないかな? 顔をそのまま出したほうが好印象だし、モテそう――」

「モテなくて結構です。三次元の男性には微塵も興味ありませんので。一生を二次元と添い遂げる覚悟はとうにできています」

 須藤さんが指で押し上げると、眼鏡がきらりと輝いた。


「……そう。ごめん」

 私は立ち上がり、須藤さんを玄関の外まで見送った。


「いえ。それでは、これからも良い推し活を」

 須藤さんはぺこりと会釈して、猫背で歩いていった。

 彼女の姿が見えなくなるまで待ってから、玄関の扉を閉めて鍵をかけ、机の前に座る。


 目の前に広がるのはアリュシタリオンのグッズ。

 祭壇の真ん中に飾られているのはアリュシタリオンの笑顔のポスター。


「一生を二次元と添い遂げる覚悟……」

 アリュシタリオンを見つめて呟き、我が身を振り返る。

 派遣を切られてニートになり、ダンプリにのめり込んだ。


 ダンプリを起動すればアリュシタリオンはいつでも優しく私を迎えてくれた。

 SNSで繋がったダンプリ仲間と盛り上がるのも楽しかった。


 今回のイベントで推しのアリュシタリオンをゲットできたと報告すれば仲間は祝福してくれることだろう。

 そして恐らく、彼あるいは彼女たちの顔を知ることは一生ないまま終わる。


「一生を二次元と……」

 貯金はあとわずか。

 いつまで私は貯金を推しに貢ぐんだろう。

 いつまで身の丈に合わない推し活を続けるんだろう。その果てに何がある?


 もしダンプリがサービスを終了したら、手元には何が残る?

 二次元キャラたちとの甘い思い出?

 でも、思い出だけでは腹は膨らまない。


「……就活しよ」

 

《END.》

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