神々の推し活

柳生潤兵衛

彼女の場合。

 ここは東京都内のある繁華街の外れ。

 とあるビルの地下一階。

 美術や音楽、工芸・文筆などの創作者や、芸能の演者、そういった分野で秀でた才能を持つ者だけが入れる会員制BARがある。

 複数人での入店不可、会員本人のみ、推薦受付無しの完全お一人様専用BARだ。


 一人の女性がタクシーから降りて、そのBARへ行くべくビルに向かって歩く。

 ビルの地下へ続く階段の前には、ロヴァンティの門扉があった。


 彼女は暗証コードを入力し、オートロックの門を抜けて階段を下りると、重厚な木製ドアがある。

 チャイムの代わりに設置されている端末にカードをかざすと、ピッと小さな電子音を発してドアロックが解除された。

 ドアは自動でスライドし、そのまま歩みを進めると床に航空機の誘導等の様な光の流れが現れて、通路を案内をする。


 店内は広い空間になっており、階段で下りて来た以上の高さに天井がある。中心にはうっすらと光りを放つ7~8m程の樹があり、林檎のような実が生っている。

 バーテンダーや店員がいる気配は無い。

 樹を囲むようにカウンターがあり、ゆったりの一人掛けソファが二十程並んでいる。

 既に五人くらいの客がいるが、誰も彼女を見ないし、彼女も彼らを見ない。


 彼女がソファに座ると、空間から食べ物と飲み物のメニューがパラパラっと舞い落ち、彼女の手元に落ち着いた。

 メニューは羊皮紙に青いインクで書かれている。

 日本語でも、何処の国の言語でもない文字で書かれているが、客には何故か理解できる。

 彼女が注文したい品を指でなぞると、その文字がふっと消えて、いつの間にか目の前のカウンターにその品がある。


 彼女は、注文したシャンパンを口に運びながら、自分に会員証が届いた日の事を思い返していた。


◇◇◇


 彼女は小説家。

 高校在学中に応募したある新人賞で大賞を受賞し、華々しくデビューを飾ってから十年。

 彼女は苦しんでいた。

 大学には進学した。卒業後は就職はせずに執筆業に専念したが、思うように書けなくなったのだ。

 実家から離れ一人立ちしたはいいが、高校・大学時代のように家には家族がいて、生活は父と母が面倒見てくれて自分は自由に、好きなように執筆に没頭できた頃とは変わってしまった。


 一人暮らしでの生活面も、最初こそ新鮮で楽しめたが、徐々に孤独感に苛まれていった。

 周囲でも、自分の同年代や下の世代が華々しくデビューを飾っていく報に触れる度、自分でも通った道ではあるが、現状の自分との差を感じて焦りが募った。


 孤独や焦りが、彼女をますます書けなくさせた。

 書けなくなる期間が長くなると、これまでの蓄えにも不安を覚え、2DKのマンションからワンルームのマンションに転居した。

 しかし、不振から抜け出せないでいた彼女。


 このまま筆を折ったら、楽になれるのだろうか?


 そこまで追い込まれたある日、自宅の玄関に一通の手紙が届いていた。

 ストーカーや侵入者を疑うが、自宅マンションのドアには郵便受けなど無く、施錠も複数されていたし、ドアチェーンもしていた。

 荒らされた形跡も、誰かがいた形跡も無かった。

 彼女は一抹の不安を抱えながらも手紙を手に取ると、宛名も差出人も無く、切手も消印も無い封筒がポッと光りを放ち、一枚の羊皮紙と合成樹脂製と思しきカードに姿を変えた。


『貴方の才能は素晴らしい。貴方が自分を信じて、今の苦難を克服できる事を祈っています』


 羊皮紙にはそう書かれていて、彼女が読み終えると、その羊皮紙もポッと光りを放って消えた。


 頭の中には数桁の番号と、ある場所の住所が浮かんだ。彼女の住むマンションのすぐ近所だった。

 彼女は頭に浮かんだ場所に向かった。

 何故だか、危ないとか胡散臭いとは考えなかった。


 そして、光に導かれるようにソファに座った彼女の前に、一枚の羊皮紙が舞い落ちて来た。


『この店は、優れた才能を持つ貴方を支える為の店。いつなんどきでも、貴方の求める時に、当店は貴方を歓迎します。料金は頂きませんので、心ゆくまでお寛ぎください。尚、会員の推薦は受け付けておりません。貴方お一人でご利用下さい』


 彼女が読み終えると、羊皮紙が消えて、今度はメニューの書かれた羊皮紙が出て来た。

 彼女が周囲を見回すと、客席は九割方埋まっていたが、誰ひとり、客同士での会話はしていない。誰も彼女の事を気にしていない。


 客は老若男女問わずにいる。

 独り言のようにドイツ語をつぶやき頭を掻き毟っている者、空腹を満たすためにひたすら食べ続ける者、腕を組んで目を閉じて思考に耽っていたと思ったら一気に酒をあおる者、様々だ。

 不思議な事に、この店は日本にあるはずなのに、客の人種は皆違った。


 彼女がぼぉっと眺めていると、皆それぞれ彼女と違うところから出ていき、新しく来る客も彼女と違うところから入って来ている。

 唯一共通しているのは、思い詰めたり、苦渋に溢れた表情で入ってきた者達が、帰る頃には靄が晴れたようなすっきりとした表情で店を後にすることだ。

 ただ店内で飲み食いしただけ、誰とも話していないにも拘らず、だ。


 彼女も、ただ飲み食いしているだけであったが、そのうちに頭の中のモヤモヤが晴れて、思考がクリアになっていった。

 その時に取り組んでいた小説の、どうしても表現しきれなかった部分が、クリアになっていく。

 今なら書ける!

 本当にお金は払わなくてもいいのかと迷いながらも席を立つと、来た時と同じように光の流れが彼女を出口まで導いた。


◇◇◇


 彼女は飲み干したシャンパングラスを静かにカウンターに置いた。

 初めて来たあの日から三年。

 時折、本当に苦しくなった時に、彼女はこの店に来た。


 彼女は当時の作品を足がかりに、もう一本の小説を書き上げた。

 その小説が、今日、国内最大の文学賞を受賞したのだ。

 彼女はカウンターに、短い言葉の書かれた一枚の紙と共にこの店の会員証を置き、受賞会見場へと向かった。


『三年間お世話になりました。私はもう大丈夫です。ありがとうございました』



 

 ここは芸術のあらゆる分野の神々が、自分の『推し』を支える為の完全会員制のBAR。


 今日も世界のどこかの、才能溢れる創作者の元に会員証が届けられる……

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神々の推し活 柳生潤兵衛 @yagyuujunbee

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