真っ赤な嘘

篠崎 時博

第1話 嘘が見える男

「真っ赤な嘘」という言葉がある。

 意味は“明らかな嘘、全くの嘘”である。


 私には嘘が見える。真っ赤な色をした嘘が。



 その日も散歩で近くの公園に行っていた。


 長年勤めた会社を退職し、さてさてゆっくり老後の楽しみでも見つけるかと、俳句や将棋の本を読んだり、昔買ったカメラをいじって過ごしていた。

 しかし、一日中家にいる私に対し、妻である多美子たみこの視線は日に日に冷たくなっていった。


“運動しないで家にいるだけじゃ太りますよ”

 そうしつこく言われ、運動のため散歩を始めた。


 流石にじっとしている時間が増えたからか、以前よりか少し太った気がする。

「なだらかな」から「ふくよかな」となりつつある腹部をチラリと見る。


 もう少し歩こう。


 休憩がてら座っていたベンチから立ち上がろうとしたときだった。


「なんで別れなきゃいけないんだ⁉︎」

「しつこいわね、もういいでしょ!」


 少し離れたところで男女の言い合う声が聞こえた。

 ともに20代くらいだろうか。眼鏡をかけた長身の真面目そうな男性がパーカー姿の女性の腕を掴んで引き止めている。


 ほぉ、昼間から喧嘩か。

 懐かしい。昔はよく、多恵子と喧嘩もしたもんだ。

 料理の味が濃いとか薄いとか、雑誌を捨てるとか捨てないとか。

 最近は流石にしなくなったが。


「り、理由は?なんで??」

「あなたが嫌になったの、飽きたの」


 おや、と思った。

 嘘は私には赤く見える。口から言葉と共に吐かれる息が赤く色づいて見えるのだ。

 ちなみに“いい天気だね”とか、“おはよう”と言った挨拶等には真偽はあまり関係ないため、色は見えない。断言するようなときにこそ嘘は色濃く見える。ちなみに暗闇では色が見えないため分からない。

 うむ、なんとも微妙な能力。


 おかしいと感じたのは、嫌いといった彼女の口から赤い色が見えたからだ。


 さらに、

「好きな人ができたの。実はもう何度か会ってて……。

 だから、あなたのことはどうでもいいの」

 と残酷な言葉を次々に吐くも、濃く赤い色が口周辺を覆っている。


「嘘だ…」


 嘘だと思うよ。


「嘘じゃないの」


 嘘ですよ。


 呆然ぼうぜんと立ち尽くす彼を置いて彼女はさっさとその場を去っていった。


 やがて彼もふらふらと公園を出て行った。


 若いうちはいろいろあるさ。

 青年よ、耐えなさい。そのうちきっといい人と巡り会えるさ。

 彼の今後の幸せを祈って私は散歩を再開した。


 散歩コースの河川敷かせんじきを通ろうとした時、公園の彼を偶然見つけた。河川敷の橋の上にいた。深刻そうな顔で下の川を見つめている。


 そうしてため息を一つついてから、橋に足をかけた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 慌てて駆け寄り声をかけた。


「……っ、いいんです…。…くっ……、ほっといてください……。

 僕なんか…、……ひっ、ぅ…、もう、もう…、いてもいなくても、どうでもいい人間、だから……」

 顔をぐしゃぐしゃにしながら彼は答えた。


 振られたからって何もそこまで追い詰めなくてもいいじゃないか。

 彼が死にたくなるような原因は…まぁなんとなくは知ってはいるが、そこには触れずに言った。


「何があったか知らないけれど、死ぬことはないんじゃないか?」


「あなたに僕の気持ちなんて分かりっこない!!」

 肩に触れようとした私の腕を振り解きながら彼は叫んだ。


「あぁ、分からないさ。……でも、理解はしたい」


「だからせめて……その、まずは少し私に話を聞かせてくれないか?どうするかはその後でまた決めればいい。な?」


 そう言うと、ようやっと彼はかけていた足を下ろし、その場にへたり込こんだ。

 そして再び泣き出した。


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