自己呪
司弐紘
第一部 深草亜耶子
「カフェ・ピッツベルニナ」(一)
秋になり街路樹の銀杏が歩道を彩り始める頃――
週末であるので通行人は多い。すっかり短くなってしまった日本の秋を存分に楽しむためだろうか。街行く人々の出で立ちはどこか華やかだった。秋とはあまり感じられない、どこか異郷めいた雰囲気。
それは青さを増した空と、真っ直ぐに伸びた銀杏の木が作り出す黄色。それらが作り出すコントラストが、モニタ越しの風景のような現実感が無くなるほどに端麗であるからだろう。
亜耶子の出で立ちも、それに合わせたようにいささか大人びたものだった。
臙脂色のジャケットに同色のスカート。胸元を飾るのは紫色のリボンタイ。
ベージュ色の小さめのブランドバックに、黒のローファー。
亜耶子は確かに整った顔立ちをしているし、秀でた額の持ち主ではあったが、まだ中学生ではあるのだ。
これだけの装いになったのは、マナーとして、という以上にどこか「武装」に近い感情があるのでは無いだろうか?
そんな事を思わせるほどに彼女の雰囲気は錆び付いていた。形の良い眉も中央に寄せられ、目つきもどこか焦点が定まってないようにも見える。
そのため自然と彼女の周りから人がいなくなってゆく。中学生を恐れるように人が道を譲ってゆくのであるから、それもまた異様な光景と言えるだろう。
亜耶子はそんな周囲の様子に気付かないようで、スマホを取り出すと時刻を確認。さらには地図を確認し、「カフェ・ピッツベルニナ」を視界に収めながらも、すぐ横の店舗のウィンドウで自らの姿を確認した。
ふと――
亜耶子はギョッとしたように後退る。そしてそのまま「カフェ・ピッツベルニナ」のガラス戸を開けた。ガラスに映る自分の姿を見ないように。まるで飛び込むかのように。
飛び込んだ「カフェ・ピッツベルニナ」はテーブル席の間隔を広めにとられた、あらゆる意味で随分余裕のある造りだった。
通りに面した側は、前面ガラス張りで一見オープンカフェのようにも見える。
そしてそこから離れた店内は、高低差を駆使して、それぞれのテーブル席のプライベートスペースが確保されている造りだった。
観葉植物が植えられたプランターで、足元を隠す形で区切られてはいるが、高低差があるので、開放感と機密性が同時に満たされている。
床面がウッド調で、壁紙は白無地ながらエンボス加工で寂しさは感じられない。天井も高く、そこに設置された照明もありきたりなものでは無く、竹を利用したものだ。店内に流れる曲はシューマンの「子供の情景」。
そんな“特別”を感じさせる店内の様子に亜耶子の頬が紅潮する。年齢から考えると、年相応とも呼べるような“幼さ”が見えた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
そんな亜耶子に、それほどには気張った出で立ちでは無いエプロン姿のウェイターが声を掛けてきた。
「あ、あ、その……ま、待ち合わせで」
「お待ち合わせの方の、お名前をいただいても?」
「は、はい」
普段聞かないようなウェイターの言葉遣いに戸惑いながら、亜耶子は一度深呼吸した。
「み、
「ああ……承っております。こちらへどうぞ」
ウェイターはそう答えると、先に立って亜耶子を案内する。向かった先は店の奥……では無く入り口からほとんどすぐの席だった。
だが高低差とプランターのおかげで、そこに席があるとは気づけない。
案内するウェイターの靴が数段ほどの階段を登るときに響きかせる虚ろな音。その調べが亜耶子の勘に障った。何か偽物であることを訴えてくるようで。そのため今日の待ち合わせの相手、
「――こちらにお連れ様がお見えです」
「ありがとうございます。私が御瑠川です」
ウェイターの声に、即座に立ち上がって亜耶子を出迎える女性がいた、
軽く波打ったロングボブ。伏し目がちでもわかる大きな瞳。顔立ちは整っている、と控えめに形容することも億劫になるほどの美貌の持ち主だった。
ライトベージュのスーツ姿ではあるが首元にはロココ調のスカーフが巻かれており、それを大振りなカメオで留めている。それだけで随分豪奢な印象を与えていた。
それ以外のアクセサリー、それに化粧も控えめだが十分に彼女の魅力を引き出していた。
先程、勝手に評価を下げていた亜耶子は、そのギャップのためか、一瞬惚けたような表情を浮かべる。だが、すぐに自分のやるべき事に思い至った。
「あ、あの、わたしが亜耶子です。深草亜耶子」
「ご丁寧にありがとう。私もキチンとお返ししなくてはね。私は御瑠川天奈といいます」
「は、はい。叔母から聞いています」
それに天奈は頷いて、亜耶子に席を勧めた。そして自分はその真正面に腰を下ろす。
この席は二面が開かれており、天奈の背後の二面に壁があった。その背後の壁にはアイリッシュ風のタペストリーが掛かっている。自然と上座が決まる様な雰囲気だ。
それに圧倒される亜耶子。確実にこの
「ごめんなさい。先に注文しちゃって。会社のコーヒーサーバが本当に残念な機械でね。美味しいコーヒーの香りに我慢できなかったの」
大人の社会を思わせる天奈の言葉。それに天奈がブラックでコーヒーを愉しんでいる様子に亜耶子は年齢差を意識し、そこに肯定的な感情をもてるようになった。
「アフタヌーンティーセットでいいかしら? この店のスイーツはちょっとしたものなの。紅茶も他に好きなものがあれば選べるわ」
「あ、あの」
「大丈夫。私に年上らしく、ごちそうさせて? それにここでの支払いは
そう言って天奈は、柔らかく微笑んだ。
朋代というのは亜耶子の母方の叔母で
こちらに引っ越してきてから二月ほど。亜耶子は朋代と随分親しくなっていた。
その朋代はもう社会人で、そういった交流の中で御瑠川天奈と知り合い、天奈の方が年下であるのに相当な影響を受けていた。亜耶子が見る限りは、それはもう崇敬している様にも思えたほどである。
朋代の口から何度天奈の名前を聞かされたことか。少し嫉妬に似た感情を抱き始めていた亜耶子だったが、その内に転校先の学校で、問題がはっきりしないトラブルに巻き込まれてしまうことになり、それを朋代に気付かれてしまったのである。
当然、そんな亜耶子の様子は「朋代からの相談」という形で天奈に知られることになる。そして、それに対して天奈は、
「お身内の方がいる中では話しにくいことなのかも知れないわ。一度、確認されてみては?」
と、朋代に答えた。
冷たい返事の様ではあったが、朋代はそのまま亜耶子に告げ、その答えがまさに亜耶子が欲していた言葉だったのである。まったく関係の無い相手だからこそ、打ち明けることが出来る。そういった悩み事も確かにあるものだ。
元々、天奈を崇敬している朋代のこと。天奈の指示のままに会合の手筈を整え、今の状況が出来上がったというわけだった。
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