ファンクラブ
芦田朴
第1話
まりむに出会ってしまった。
それは3年勤めた会社を辞めた晩のことだった。
東京に出てきて大学を卒業し、コンピュータ会社に入った。入ってからは上司のパワハラに耐え、毎日当たり前の残業をし、心身ともに疲れ切っていた。蟻地獄のような不毛な日々からやっと解放された。
僕はその晩、居酒屋のカウンターでひとり飲んでいた。後ろの座敷にいる何かの集団が大声を出し、騒いでいるのが、うるさくて僕をイライラさせていた。大学のサークルなのかわからないが、若い男たちが奇声を上げたり大声で笑ったりしていた。
僕は舌打ちをして、トイレに立ち上がった。
用を足して、手洗い場の鏡で自分の顔を見た。そこには蒼白く痩せこけ、目に力のない男がいた。僕の肩書きは明日から会社員ではなく、無職だ。これから何にでもなれるという期待より、これからどうなるのだろうという不安が遥かに上回っていた。不安に呑み込まれてしまわないように、両手で自分の顔をバシバシ叩き、トイレから出た。
その時だった。
誰かが僕にぶつかって倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
僕は両手で彼女を支えた。
若くて華奢な女の子だった。手足は折れそうなほど細く、透き通るほどに白かった。なんの香水かわからないけど、柔らかくて優しい香りがフッと僕の鼻をくすぐった。彼女は顔を上げて僕を見た。
その瞬間、何かが僕の胸を突き抜けていくような衝撃を受けた。大きくてキレ長の目が僕を見ていた。栗色に光る髪が揺れた。僕の目は彼女に釘付けになった。美しい瞳に僕のすべてが吸い込まれてしまいそうだった。
「す、すみません」
彼女は小さな声で謝り、小さく頭を下げた。僕は彼女を見つめたまま「いえ……」としか言えなかった。
彼女の背後から「まりむ〜」と大声で彼女を呼ぶ野太い男の声がした。彼女はスッと僕の両手からすり抜けて、その声のほうに向かって歩いていった。僕は彼女の背後から声をかけた。
「あ、あの!」
彼女は足を止めて僕に振り向いた。彼女の大きな瞳が不思議そうに僕を見つめた。
「あ、あの、お名前は?」
彼女は少し微笑みながら答えた。
「まりむ、常盤まりむ」
それがまりむとの出会いだった。
まりむとのこの時の出会いが、僕の人生を大きく狂わせることになるとは、この時の僕は知るよしもなかった。
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