第90話 我が家の宝くじ

 ちょうど料理を盛り付け終わり、後は並べるだけという時、玄関の方から扉を開く音が聞こえてくる。



「ただいまー」



 まるで狙っていたかのような時間。

 もしかしたら、帰る時間が決まっていたか、事前に連絡があったのかもしれない。



「おー、透ちゃん!若奥様っぽくていいね~」


「あはは、ありがとうございます。それと、お邪魔してます」


 

 リビングに入った途端、元気が有り余っているとでもいうような誠君のお父さんが、片手をあげながらにこやかに話しかけてくる。


(ふふっ。なんか、子供みたい)


 キラキラとした瞳に、ふとそんなことを思う。

 さすがに面と向かっては言えないけど、相変わらず、気づいたら懐に入り込んでいるような、そんな不思議な魅力のある人だと思う。

 


「お邪魔してますなんて水臭いな~。もう、家族みたいなもんじゃない」


「…………そう、思ってもいいんでしょうか?」



 この家の人はみんなそう言ってくれる。

 でも、たった二回。私がこの人達に会ったのはそれだけなのだ。


 それに、一回目だって、どうしようもないほどに心が不安定になっていて、ろくなことはほとんど話せていない。


(私は、こんなに、幸せでいいんだろうか)


 幸せ過ぎると不安になる。

 これまで誠君に何度も、何度も同じようなことを問いかけてしまったように。



「え?ダメなの?」


「え、あの……だって…………ちょっと、自分に都合が良すぎるのかなって」


 

 心底不思議そうな顔に戸惑いながらも、思っていることを素直に伝えると、誠君のお父さんは少し驚いた後、満面の笑顔になった。



「あははっ。いいじゃない、それで」


「……いいんですか?」


「うん。たとえ運が良くても、都合がよくても、それができたのは透ちゃんだからだと思うよ。何もないところには何も生まれない。君は、ちゃんとそれを自分で手に入れたんだ」


「……………………」

 


 自信満々な声に、気弱な心が少しずつ上向いていき、それでいいんだと、そう思える。

 それこそ、なんでこんなことに悩んでいたんだろうとでもいうように。



「それにね。都合がいいのは透ちゃんにとってだけじゃないんだよ?」


「え?」


「うちにこんな素敵な子が来てくれた。それは、我が家にとって幸運なことだと思うんだ。どんな宝くじに当たるよりも、ずっとね」



 優しいその声に、何も言えずに唇を噛みしめることしかできない。

 誠君だけじゃない。この家の人は、みんなズルい。

 

 私の涙腺をこれでもかというほどに試してきて、泣きたくないのに、ずっと笑っていたいのに、そうはさせてくれない。



「…………ありがとう、ございます」


「あははっ。こちらこそ、ありがとう」



 涙を堪えた私はきっと変な顔をしているのだろう。

 誠君のお父さんは笑い声を我慢しようともせず、楽しそうにしていてちょっとだけ恨めしかった。


 

「ほら、透ちゃんを揶揄ってないで早く着替えてきて」


「へーい」



 しばらくこちらの様子を窺っていた瑛里華さんが、呆れたようにそう言うと、誠君のお父さんが出ていく。

 その顔は、最後まで楽しそうで、自分でも思わず気が抜けたように笑えてきてしまった。



「透ちゃんも早く慣れないとやられっぱなしよ?」


「そう、みたいですね。瑛里華さんも昔はそうだったんですか?」



 何か心当たりがあるのだろう。

 どこか遠くを見るように目を細めていた瑛里華さんの口元が、やがて仄かに弧を描いていく。



「…………ええ。あの人、たまにドキッとするようなこと言ってくるから」

 


 それは、その記憶が幸せに彩られていることがわかるような、そんな顔だった。

 


「なら、誠君と同じですね」


「そうかもね。あの二人、意外に似てるところあるし」



 そう言って二人で何となく見つめ合っていると、お互い通じ合うものを感じたのか、どちらともなく笑い声を上げる。



「とりあえず、今はご飯の準備をしちゃいましょうか?」


「はい」



 似ていないようで似ていて。

 その奥底にはとびっきりの優しさを持つ素敵な家族。


 そこにはちゃんと私の席もあって、遠慮して離れていこうとする私を、包み込むような温かさで輪の中に戻してくれる。

 


「………………勇気出してよかったな」



 あの日、あの時、震えるほどに怖くて、声が出ないほどに怖くて、本当に言い出すか悩んだ。

 でも、あの時勇気をもって踏み出したからこそ今がある。

 

 なら、これは都合がいいだけじゃない。

 ちゃんと、私が、自分の手で掴んだ幸せなのだろうと、そう思った。








 

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