第61話 魔法の呪文
俺が、若干恥ずかしさを感じつつもそう伝えると、一瞬何を言われたのか理解できていないような顔をしていた透が表情を変化させていく。
「……っ!あーもう!!」
そして、急にびっくりするほどの大きな声を出すとともにこちらに抱き着いてきた。
「おっと」
足場の悪さに体勢を崩しかける俺を透が絶妙な足捌きで支え、逆に引き寄せられる。
「…………ごめん。今だけは離れてくれ、な?」
触れ合った肌から流れ込んでくる体温に加え、女性らしさをこれ以上無いほどに感じてしまう体の差異に無意識に体が反応してしまう。
だが、透は離れようとせず、さらにこちらに押し付けるようにその体を密着させてくる。
「ほんとに、頼む。これ以上は、まずい」
本能ともいえるような強い衝動に必死に抵抗する。
だが、透にはうまくそれが伝わっていないのか、どかそうとすればするほど頑なになっていく。
「もしかしたら、透にはわからないかもしれないけど。男って、すごくバカな生き物なんだ。思いたくなくても、考えたくなくても、抑えられない。だから、どうか、今だけは離れて欲しい」
正直、
言えないような思いも、見せたくないような思いも、全部。
唇を噛んで、彷徨う手を痛いほどに握りしめても、やはりそれには抗えないようだった。
「………………私、ぜんぜん嫌じゃないよ。むしろ、どうしようもないほどに、すごく嬉しいの。にやけ顔が隠せないくらいに」
胸元に吸い付くように顔を埋めた透が、くぐもった声でそう伝えてくる。
声と共に振動する体に、余計に頭がぼやけていく。
「ふふっ。実はね、前は抱き着いても、落ち着いたままで、ほとんど動揺してくれなかったから少し怒ってたの」
楽しそうに、唄うように話す声が、どんどんと思考を奪い始め、まるで夢の中にいるかのように思わされる。
「………………だから、いいよ?誠君のしたいようにしてくれて。それが、私の望み……ううん。願いだから」
嫌ではなく、嬉しい。加えて、それを透がしたがっている。
例え、これをしたとしても、彼女と一緒にいられる。
いや、恐らく、その先へ進めば、彼女ともっと近づけられる。
まるで、何か悪い囁きのように、甘く、蕩けるような感情と共に全身に染みわたっていく。
「………………」
「どう、したの?私じゃ、ダメだった?」
頭の中でグルグルと複雑な感情が渦巻く中、先ほどまでと違い、悲しそうな声が胸元から響いて我に返った。
「いや、そうじゃないんだ。俺は、透ともっと近づきたいし、こんな感情を透以外に向けたこともない」
「……っ、なら、どうして何もしてくれないの?抱きしめてもくれないの?」
もちろん、抱きしめたい。もっと、透と触れ合いたい。
今なら、そうはっきりと思う。
だけど、それは、今じゃない。むしろ、何が何でも耐えなければいけない。
「もう少しだけ、待って、欲しい」
「………………」
勝手なことを言っているのは分かっている。
それこそ、透が勇気を出してこう言ってくれたことは痛いほどに伝わってくるから。
「俺は、ちゃんと、答えを出したい。こんな風に、感情や、欲望に流されてじゃなくて、ちゃんと」
俺の言葉に、透は何も言わない。
だけど、これは、俺の意地だ。大事だからこそ、大事にしたいからこそ、それをしなくてはいけない。
「きっと、俺は透のことが女の子として、好きだ」
今まで、そういった経験が無かったから、初めて抱く感情にそう名前をつけているだけなのかもしれない。
だけど、それは違うと何故か断言できるほどには、確信があった。
「面倒くさくて、回りくどくて、ごめん」
本当は、ここでそれに応えるべきなんだろう。
たぶん、俺が愚かなだけで、ほとんどの男はそうすると思う。
素敵な彼女に、これほど求められて頷かないやつなんていないだろうから。
「でも、俺は、こんな浮ついた心で、体で、透への答えを出したくない」
透を好きだという気持ちに自信はある。それこそ、おばあさんや遥さんにも負けないと思っているくらいには。
それに、何があっても、彼女の味方で居続ける覚悟もある。
「だから、あと、ほんの少しだけ、待っていて欲しい」
もしかしたら、答えを先延ばしている風に思われてしまうかもしれないけど、どうしてもそれをしなくてはいけないはずだ。
彼女の想いには、俺の全てを乗せた答えでなければ釣り合わない。
その場の雰囲気で、流れで、そんなものが微塵もあってはいけないと、そう思う。
「すごくて、素敵な透の想いに見合うくらいの答えじゃなきゃ、俺自身が納得できないから」
我ながら、アホなことを言っているという自覚はある。
自分がこれほど面倒くさい男だとは、正直思ってもみなかった。
いつもは答えをすぐ決められるのに、大事な答えは全く出せない。
本当に、どうしようもない男だ。
「…………本当に、誠君には勝てないなぁ」
そう言って顔をあげた透は、呆れたような、諦めたような、そんな感情を乗せながらも、はにかんだような笑顔をしていた。
「本当に、ごめん。面倒くさい男だよな」
「ふふっ、ぜんぜんいいよ。言ったでしょ?誠君の答えを待つって」
「…………ありがとう」
包みこむような優しさに、彼女と出会えてよかったと心から思える。
「あははっ。すごく誠君らしくて、逆に安心した」
「そうか?」
「うん。どんな時もブレずに、真っすぐで、温かい、誠君らしいよ」
「そんなことは無いと思うが。分からないって言ったり、きっと好きだって言ったり、ブレ過ぎだろ」
透といると、あっという間に、昨日出した答えが変わっていく。
昔から、自分の中での答えははっきりとしている方だったし、そんな自分も好きだった。
だけど、透に関してだけはそうはなっていないのが現実だ。
「少しもブレてないよ。誠君は、ずっと誠君。これまでもそうだし、これからもずっとそうだよ」
眩しいほどの笑顔を向けられて、こちらまで嬉しくなる。
「そう、か。それなら、いいな。少なくとも、透にはそう思っていて欲しい」
「…………ズルいところも、誠君だよ」
「え?どこが?」
「わからないところも、誠君」
何を聞いてもそれしか言わない透にちょっと笑えてきてしまう。
だが、彼女も楽しそうなので、好きなようにさせてあげよう。
「ははっ。なんか、魔法の呪文みたいだな」
「ふふっ。それなら、きっと幸せの呪文だね。唱えるだけで幸せになれる魔法の呪文」
二人で、下らないことを言って笑い合う。
唱えるだけで幸せになれる。そんな素敵な呪文があったら、使ってみたい。
だけど、もし使えたとしても、今は使わないだろうなと俺は思った。
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