第54話 素直じゃない人

 俺が言いたいことを終えた後、お互いが何も言葉を発しないまま時が流れていく。


 正直なところ、まるで鋭い刃を首元に突き付けられているかのような感覚に極度の疲労を感じ、今すぐにでも倒れ込んでしまいたいほどだった。


 だけど、それでも俺はこの視線を正面から受け止め続けなければならないのだろう。


 きっと、今目を逸らせば後悔する、それが何となく、それでいて確信的なまでに理解できるから。

 




「………………はぁ、情けない。男なら死んでも守り切るくらい言えないのかい」



 そして、呆れたようなため息をおばあさんが吐くと、先ほどまでの重圧がまるで幻であったかのように霧散していく。


 どうやら、致命的な分岐路は乗り越えることができたらしい。

 

 だが、それと同時に張り詰めていた糸も切れてしまったのか、全身の力が抜け落ちていき、そのなんとも格好がつかない姿に自分でも呆れてしまった。

 


「はぁ、まったく情けない」

 

「はは、すいません。なんだか、力が入らなくて」


「ほんと、どうしようもない子だねぇ」



 俺が何も言い返すことができず項垂うなだれていると、突如彼女がふっと柔らかな笑みを浮かべた。


 

「まぁ、及第点ってとこか。満点にはほど遠いし、締まらない答えでもあるが…………私は嫌いじゃないよ」


 

 何とか、認めて貰えたのだろうか。先ほどまでと明らかに違う雰囲気に、ほっと安堵する。

  


「なに安心してるんだい。及第点って言ったろ?まだまだ精進しな」


「はい!頑張ります」



 気が緩んでいたことは、簡単に見抜かれてしまったらしい。喝を入れるような強い言葉に、俺はもう一度気合を入れ直すと背筋に力を注ぎこんだ。



「ああ、その意気だ。それと、一つだけ連れていくところができた。ついてきな」


「わかりました」


 

 そのままゆっくりと立ち上がり、彼女についていくと、やがて一つだけ異質な雰囲気を放つ扉の前にたどり着いた。



「ここは?」



 そこには、これまでの和のイメージとはかけ離れた、重厚な扉が鎮座している。

 改装で後付けされたのだろうか。それは、とってつけたように周りの景色から浮いていた。 



「これは、書庫さ。先代、つまり私の旦那が本好きでね。ここだけ、防火室になってる」


「それは、なんというか、徹底してますね」


「変な男だったんだよ。まっ、そんなことはどうでもいい。ほら、行くよ」


「あ、はい」



 見た目どおりの重い音を立てながら扉を開くと、中には天井ギリギリの位置まである本棚と、それに納められたおびただしい数の書物が保管されていた。



「すごい、まるで小さな図書館ですね」


「ご先祖さま達の時代からのものもあるしね」



 湿気等への対策もなされているのか、空調が動いているようで、空気が少しひんやりとしている。

 

 本当に、徹底している。恐らく、ここを作った先代とやらは相当な本狂いだったのだろう。

 


「ほら、連れてきたかったのはここだよ」



 言われてそちらを見ると、きめ細やかに装飾の施された立派な椅子が一つだけ置いてあった。

 

 それは、ただそこにあるだけで不思議な存在感を放っており、まるで玉座のようにも見えるほどだ。

 

 

「なんだか、ここだけ世界が違うみたいですね」



 静謐な空間とでもいうのだろうか。まるで日常から切り取られたような、そんな風に感じられるほど独特の空気感を放つ場所だった。



「世界が違うか。確かにあの子にとっちゃ、似たようなものだったのかもね」


「透にとってですか?」


「ああ。ここはね、ずっとあの子の、あの子だけの世界だったんだよ。それこそ、昔は四六時中ここにいることもあった。いや、たぶん、遥が連れ出さないときはだいたいここにいたね」


「本当に、本が好きなんですね」


「好きなんだろうね。なにせ、こんだけあるうちの半分近くはもう読んだと言っていたくらいだし」


 

 その言葉に、もう一度周りを見渡す。


 透は、一人で本を読んでいることが好きだったと言っていた。もちろん、それは彼女の自由だ。

 

 でもたぶん、そこには膨大な時間が費やされているはずだ。


 

「それは、寂しくはなかったんでしょうか」



 俺も、自分の趣味に没頭する方だから気持ちは分かる。だけど、寂しがり屋の透が、本当に好きだからという理由だけでここにいたのかと気になってしまう。


 もしかしたら、強がりの彼女は、何かを我慢していたのかもしれないから。 


 

「あっはっは。あんたらしい反応だね」



 思考に沈む俺に向けて力強い大きな笑い声が響き、無理やり意識が引き上げられる。



「でも、私が伝えたかったのは、そういうことじゃないんだよ」



 なら、なんだというのだろう。いまいち要領を得ない言葉に少し混乱する俺を置き去りに、楽しそうな笑い声が周囲を満たした。



「あっはっはっは。わからないかい?」


「はい」


「そりゃそうか。まぁ、そろそろ教えてあげようかね」


 

 そして、おばあさんは椅子の頭を優しく撫でるようにした後、優し気な声でこちらに語り掛けるように言葉をつむいでいった。



「いつも、あの子はここにいた。だけど、今は違う。むしろ、ずっとあんたといたからまだ一度もここに来ていないだろう」



 確かに、俺はずっと透といた。

 昼は二人ともバイトをしていたし、夜帰って来てからも風呂と寝る時以外はほとんど一緒にいた気がする。



「あんた達は、毎日べったりで、呆れられようが、揶揄からかわれようが、小言を言われようが四六時中一緒にいた。笑って、怒って、拗ねて、照れて、それこそどんな時も」


 

 透がそれがしたいのだからと、俺はそれを受け入れていた。

 

 恥ずかしかったり、動揺したりと精神的に振り回されることも多かったけれど、過去に置いてきてしまった彼女の幸せを少しは拾い上げられているような気がしたから。



「だから、私はさっきの言葉を信じてみることにするよ。なんとなく、約束を守れそうな気がしたからね」


「…………ありがとうございます」


「お互い様さ。あんたには感謝してるんだ、これでも」


 

 本当に、素直じゃない人だと苦笑する。

 

 だけど、同時にこうも思った。


 ありがとうとすらはっきりとは言わないようなこの人が信じると言ってくれたのだ。


 それならそれは、何にも代えがたいほどの信頼の証なのかもしれないって。 

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