第53話 普通の約束

 準備を済ませ、居間で話をしていると遥さんのものだろう、大きなエンジン音が聞こえてきた。



「来たみたいだな」


「来ちゃったんだ」



 どちらかというと地味な服装に、大きな麦わら帽子を抱えた透が残念そうに言う。

 ここに来た最初の日はけっこー着飾っていた気がしたが、町に行くとは言っても、さすがに買い出しくらいでは面倒くさいのかもしれない。



「買い物、楽しんでな。バイト代もすぐ入るし、欲しいものがあったら見てきたらいい」


「ううん。別に町に欲しいものはないから。あるとしたら、ね?」


「はいはい。まぁ好きにしたらいいよ」


「うー、やっぱりやり過ぎはダメなのかぁ」



 意味深な視線や言葉にはさすがに少しずつ慣れてきたこともあり、そう返すと恨みがましい目で睨まれる。

 


「勘弁してくれ。いつも心臓にタップダンス躍らせてたらすぐあの世行きだ」


「なるほど。確かにそれは、問題だね。長生きしてもらわなきゃ」


「あははっ、どうせそうだと思ったけどお前らまたイチャついてんのか。早く出てこいって」



 どうやら、いつまで経っても出てこない透を迎えに来てくれたらしい。

 遥さんが笑いながら、車のキーを指で回していた。



「ほら、行かないと」


「…………うん。行ってきます」


「行ってらっしゃい」


「行ってくるね?」


「ん?ああ」


「ほんとに、行ってくるね?」


  

 畳一枚移動する度に透がこちらを振り返ってくるのにさすがに呆れていると、それに気づいたおばあさんが大きな声をあげた。



「何してるんだい!早く行きな!!」


「…………はーい」


「あははははっ。ほら、行くぞ」


「うん」


 

 哀愁漂う背中に少し笑えてしまう。だが、このままぼさっとしていると俺も怒られそうなのですぐに立ち上がる。



「ほら、私達も行くよ」


「はい。よろしくお願いします」


 

 そして、俺達は敷地の裏手側、別棟になった物置に向かった。

 






◆◆◆◆◆






 中に入ると、定期的に掃除がされているような印象を受ける。

 それに、しっかりとした玄関もあり、どちらかというと物置というより離れと言った印象を持った。



「立派な建物ですね。物置というより、離れと言った方がいいのかも」


「離れじゃない、ここは物置だよ」



 その俺のつぶやきに対し予想外に強い否定が入り、一瞬たじろぐ。

 なんだろう。何か、こだわりがあるのだろうか。



「……いや、悪かったね。だけど、ここは物置なんだよ。これからもそう呼んでおくれ」


「いえ、俺もすいませんでした。以後、気をつけます」


「ああ、そうしてくれると助かるよ」



 明らかに事情があり気だが、おばあさんが言わないということは触れて欲しくないことなのだろう。俺は、そう思いただ謝罪の言葉だけを述べた。



「こっちだよ」


「はい」



 前を歩くおばあさんに付いていくと、玄関の先、繋がった土間の奥の部屋に大きな段ボールがいくつか置いてあった。



「これですか?」


「そうだ。これを奥の倉庫に運んでほしくてね」


「わかりました」



 持ってみると確かに重い。なるほど、これなら助けが欲しい理由も分かる。

 だが、持てないほどでは無いので、腰を傷めないように気をつけながらそれを運んでいく。



「案内してもらってもいいですか」


「ああ。ついてきな」

 

 

 そして、物置の端、荷物の積まれた倉庫に案内されると俺は順番に物を運んでいった。







「だいぶ片付いたな」



 しばらくして、積んであった段ボールはだいぶ片付いていた。

 おばあさんは仏壇やらを綺麗にするとのことで母屋に戻っていったが、その際に冷たい飲み物を置き、さらには空調までつけていってくれたのでそれほど辛い労働でもない。

 


「そういえば、何が入ってるんだろうな」



 人の物を勝手に見るのも悪いかと思い中を覗くことはしなかったが、少し気になる。



「まぁ、後で聞いてみるか」



 とりあえず、作業を終わらせようと一番下に積まれた段ボールを持ち上げると、どうやら下の部分が劣化していたらしい。切れ目が入り落ちかける。



「あぶねぇ。でも、なんとかセーフか」


 

 床に落ちる寸前でギリギリ支えることに成功し、落ちるのはなんとか阻止する。



「桐箱か?」



 段ボールの中には同じくらいのサイズの桐箱が入っていた。ビニールに包まれているところをみると、もしかしたら埃避けに入っているだけなのかもしれない。


 高そうな箱だなと何となく思いつつ、段ボールを見ると達筆な文字でひな人形と書かれていた。

 加えて、積み上がった箱の山が無くなったことで見えてきた壁には鯉のぼりのポールらしきものも立てかけられていることにも気づいた。



「なるほど、そういったものだったのか」



 恐らく、これは透のために使われていたものなのだろう。

 そして、彼女が一人暮らしを始め使うことが無くなったことで倉庫に入れることにした。

 そんなところかもしれない。

 


「ほんと、愛されてるよな」



 俺は、渡されていたガムテープを取るとその段ボールに再び封をしていく。

 いたわるように、たたえるように丁寧に。



「お疲れさま」



 当然、返事は無い。だけど、俺は先ほどまでよりもそっと、大事にその箱を持つとそれらを倉庫に運んでいった。






 


◆◆◆◆◆








 全て運び終わり、土間に腰かけて汗をぬぐっているとおばあさんがこちらの様子を丁度見に来たようだ。玄関の引き戸が開かれる特有の音が聞こえてきた。



「終わったようだね。ご苦労さん」


「はい」



 その手に持ったお盆の上にはかき氷が乗せられており、おばあさんの心遣いを改めて感じる。

 


「ほら、倒れられちゃ困るからね。これでも食べときな」


「ありがとうございます」



 氷にスプーンが突き刺さる涼し気な音を聞きながらそれを口に運ぶと、冷たさと共に、頭の中をキンッとした痛みが走った。

 だが、火照った体には逆にそれが気持ちよくて、俺は頭を時折抑えながらそれを食べ進めていく。



「そんなに美味いかい」


「はい!とても」



 夢中で氷を掘り進んでいると、それはあっという間に消えていき、すぐに食べ終えてしまった。それに、水が綺麗なのだろうか、なんだか普通のものより美味しい気がする。


 

「ごちそうさまでした」


「ほんと、あっという間に食べ終えちまったね」


「とても美味しかったので」


「そうか……そうだねぇ。幸せな時間ほど早く過ぎちまうもんさ」


 

 何か考えているのだろうか。おばあさんはそう言うと思案気な顔でただ前を見つめていた。

 そして、そのまま、しばらく沈黙が続いた後、俺がしびれを切らして何かを言おうとした時にようやく彼女が口を開いた。



「ここはね、透が生まれてすぐの頃、両親と一緒に住んでいた場所なんだよ」



 それは、俺に話しかけているような、そうでないような、不思議な声色だった。



「そうなんですか?」


「ほんとに、少しの、それこそ一年くらいの間だったけどね。何故か、母屋の方だと透が泣きじゃくったから、ここに住んでたんだ。もしかしたら以前は手伝いの人も置いていたからかもしれない」



 確かにお手伝いさんがいてもいいくらいにとても広い家だ。聞いたところによると、今でも定期的に業者を呼んで庭の剪定や細かい掃除は頼んでいるらしい。



「初めての育児に母親が慌てるのを助けてやりながら、町の方に働きに行ってる旦那が帰ってくると食事やらなんやらも世話してやったもんだよ」


「それは、大変ですね」


「大変だった。だけど、ここには人がいた。毎日騒がしいくらいに声がしてた」



 昔を懐かしく思うように目を細め、少し寂しげな様子でそう呟いたおばあさんは大きな息を吐いた後、こちらの目をじっと見つめてきた。



「だから、今のここは物置なんだ。そして、ほんとは私と透、それと例外に遥、その三人以外はここに入れるつもりも一生無かった。元々ここの整理もあの子にしてもらうつもりだったしね」



 その強い視線が、俺を射抜き、冷えているはずの部屋の中でも汗が流れ落ちる。



「これまで、いろいろあった。本当に色々と」



 きっと、その色々には俺の知らない苦労がたくさんあるのだろう。眉間にしわを寄せながら、涙を堪えるように、噛みしめるようにおばさんはそう言った。



「ここを笑顔で出ていったはずの幸せな家族は、物言わぬ二つの棺と不幸にすら気づけない幼い孫娘だけになって戻ってきた。だから、私は、何としてもあの子だけは守らなくちゃいけない。もういない親の分まで」



 鋭さを増す視線に、張り詰めた空気が周りを包む。

 そして、体が強張るほどの緊張感が支配する中、彼女はこちらに問いかけた。



「あんたは、私に代わってあの子を守ってあげられるのかい?」



 嘘は決して許さない。その目はこれ以上無いほどにそう語っている。


 遥さんが言っていた、おばあさんは武術の達人だと。それに、経済的という面でもそうだ。至るところに余裕を感じる。

 

 そんな人に代わって守れるかという問いかけに対し、俺が何と答えると正解なのかはわからない。


 だけど、言葉は思ったよりもすんなりと出た。というよりも、気づいたら口が勝手に動いていた。



「それは、できません」


「はぁ?あんた、ふざけてんのかい!」



 殺意すら感じられるような圧力が体を貫き、冷や汗が全身から吹き出て行く。



「透は、何でも出来るんです。それこそ、何でも。何をやらせても俺より上手いし、たぶん、直接的な力という意味でも勝てないと思います。とても、情けないことなんですけど」



 何気ない日常に突然顔を見せた、殺意とも思える様な重圧に、恐怖はある。

 だけど、固まる体の中でただ口だけが動き続けた。



「だから俺は、透を守ってあげるなんてことは口が裂けても言えません。もちろん、出来る限りはやります。だけど、それは、守れると言い切るには不誠実すぎる言葉だと思うので」



 俺は、正直言って彼女を守るにはあまりにも弱い。多少は平均以上に出来るが、喧嘩が強いというわけでも、すごく頭が良いというわけでも、大金持ちというわけでも無い。



「いや、むしろ、俺が透に守られることの方が多いかもしれません。悔しいくらいに、すごいやつだから」



 尊敬している。だけど、最近では悔しさも感じている。

 今まで、自分は自分と切り分けて、人と比べたことなんてほとんど無かったのに。



「守るなんてことは、とてもではないが言えません。でも、そんな俺でも言い切れることがあります。俺は、透のそばにいます。俺達の関係がどうなるのだとしても、例えそれが俺に不都合な状況になるのだとしても、彼女がそれを望んでいるなら」



 もし、俺に愛想が尽きて、一緒の道を歩めなくなるのだとしても、彼女がそれを望む間は、俺はそばにいる。例え、それが自分にとって辛いことであったしても。




「約束します、貴方と。そして、他でもなく自分と。代わりがいても、いなくても、俺は、ずっと透のそばにいます。それを彼女が望む限り」



 あの日約束したから。普通の女の子にするって。


 すごい透に、俺が出来ることなんてたかが知れている。


 でも、その隣に寄り添って、ただ普通を教えるくらいなら、それくらいなら、普通の俺でもできるって、約束できるから。


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