第40話 旅の始まり

 出来る限り早めに行こうという二人の考えが一致した結果、俺たちは二日後に出かけることを決めた。

 というか、もともと、透も今週中には実家に帰ろうとしていたようでそれに合わせたというのが実際のところだった。





 そして、今日、俺は待ち合わせ場所の駅にゆっくりと向かっていた。


 強い日差しが照り付けるうだるような暑さの中を汗をかきながら歩く。

 視界の先では陽炎がぼんやりと浮かんでいて、さらに気持ちがげんなりしてきてしまう。


「暑い。アイス食べたい」


 コンビニが見える度に立ち止まりそうになる足を叱りつけて歩いているとやがて駅が見えてくる。特に大きくも無い最寄りの駅は微妙な時間ということもあり、それほど人はいないようだった。


 とりあえず、スマホを取り出し、到着したことを伝えると、すぐに連絡が返される。どうやら透は先に着いていたらしく、日傘をさしながらこちら側に駆け寄ってくるのが見えた。 

 もしかしたら、目立たない場所にでも隠れていたのかもしれない。



「おはよう!誠君」


「おはよう、透。走らなくてもよかったのに」



 この暑さにも関わらず、彼女は元気が溢れているようだ。太陽よりも眩しい、満開の笑顔で、こちらに話しかけてきた。

 近くを通る人たちが見惚れて立ち止まるのが視界の端に映り、学校の外でも相変わらずだなと苦笑してしまう。 


 

 だが、着る人によってはあざとく見えるような真っ白なワンピースは彼女にとても似合っていて、暑さが和らぐほどにその爽やかな雰囲気を感じさせている。

 それに、服と境界線がわからないほどに綺麗な白い肌が、ある種幻想的なまでの透明感を放っており、まるで妖精のようだと思った。



「服、似合ってるな。まるで妖精みたいだ」


「えっ、妖精!?やっ、あぅ…………ありがとう、ございます」

 


 暑さでぼやけた頭で、思ったことをそのまま言うと、透は顔を真っ赤に染めながら、俯いた。

 そして何故か頬のあたりを手で触った後、急に日傘を傾けこちらの視界を遮ってくる。

 

 なんだろうと思い日傘をどけようとするが、彼女はそれを頑なに動かそうとせず、周り込もうとしてもその動きに合わせて同時にずらしてくる。


 一進一退の攻防が続く中、俺は呆れながら声をかける。



「おいおい、人に向けるもんじゃないだろ」


「今は……ダメ。落ち着くまで…………少しだけ、あと少しだけ待って」


「ん?なんだ、どうした?」


 

 いまいち要領が掴めずに俺が疑問を投げかけると、どうやら彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

 日傘を向けた状態のままそれでこちらを突いてくる。強い力では無いけど、地味に痛いんだが。



「痛い痛い。俺、なんかしたか?」


 

 早く涼しい所に行きたいんだが、という言葉を飲み込みつつ相手に再び問いかける。

 だが、それに対する返事は聞こえず、さらに攻撃的になった日傘がしばらく俺の話し相手となり続けた。 






◆◆◆◆◆






 しばらくすると、透も落ち着いてきたのか日傘を閉じて顔を見せてくれた。 

 朱に染まった頬と潤んだような瞳、そしてそれにじんわりと汗の滲んだ首元が組み合わさって妙な色気を放っている。

 


「ごめんね?」


「……いや、いいさ。たぶん俺が悪いんだろうし」



 理由も無く暴力を振るってくるやつじゃないのは知ってる。むしろ、自分に厳しすぎるほどに人のことを優先してしまうことも。

 だから、そんな彼女が怒ったならきっと自分が悪いのだろう。

  

 気にしていないことを伝えると、彼女ははにかむような笑顔でこちらに笑いかけてきた。



「…………私、誠君のそういう優しいところ大好きだよ?」


「優しいか?でも、ありがとう。嬉しいよ」


「えへへ」

 


 幸せそうなその姿を見て、どうしてか、心が跳ねる。

 暑さのせいだろうか、らしく無いほどに動く自分の心を息を吐くことで落ち着かせると、そろそろ電車の時間も近づいているので改札の方に歩いていく。



「じゃあ、そろそろ行くか」


「うん」



 俺の隣を歩く彼女は、とても上機嫌そうで、時折鼻歌が聞こえてくるほどだった。



「楽しそうだな」


「うん、とっても楽しい。それこそ、人生で一番ってくらいに」


 

 まだ街すらも出てない状態で子供みたいにはしゃぐ姿に少し呆れてしまう。そんなペースで最後まで元気が保てるのだろうか。案内役がいないと、目的地にたどり着けないんだが。

 


「気が早いな。まだ、電車にも乗ってないんだぜ?旅が始まったというにも早すぎるくらいだ」


 

 せめて、何か見たり、美味しいものを食べたりしてからじゃないのかと思いながら俺が何気なく言ったその言葉に対し、彼女は先ほどまでとは違う寂し気な表情で笑った。



「…………ぜんぜん早くないよ。だって私にとっては、秘密を隠す必要もなく、何の気兼ねも無く旅行に行けることがもう堪らないくらい嬉しいんだから。昔からずっと、夢見てた普通の幸せがようやく一つ叶ったんだよ?そんなのはしゃいじゃってもおかしくないよね」



 その彼女の真意を聞かされて、どうしようもなくやるせない気持ちになる。


 『普通』、それは彼女がよく使う言葉だ。


 ありふれたそれは、だが彼女にとってはとても特別なものであるようで、ことあるごとにそれが垣間見える。

  

 

 たぶん彼女は、これまでの人生の中でたくさんのことを諦めてきたのだろう。

 何も気兼ねなく旅行に行く、たったそれだけのことを、他の人が当然のように経験してきたそのことですらも、彼女は過去に置き去りにしてきた。



 だからこそ、俺や他の人の『普通』と、彼女の『普通』は、残酷なほどにぜんぜん違う。

 何の気なしに放った言葉に傷ついてしまうほどに。


 そして、その両者の間の乖離が彼女の中にどうしようもないほどの自己嫌悪感を生み、ずっと孤独に生きさせてきたのかもしれない。

 


 脳裏に、泣いていた彼女の、消えそうなほどに弱々しい姿が思い出され俺は思わず拳を強く握りしめた。

 

 

 

「…………そうか。だったら、今のうちに慣れておいた方がいい」


「え?」


 

 目の前でキョトンとした顔をする彼女を見て思う。


 あの日、彼女がそちら側に戻ろうとする手を、俺は自分の意志で掴んで引き寄せた。

 

 なら、責任はちゃんと取らなければいけない。

 

 自分がしたいことをするならば、その責任まで背負うってのがうちの家族の決まり事だから。

 






 そして何より、俺を信じて秘密を打ち明けてくれた彼女を幸せにしてあげたいと強く思うから。 




「俺が透を普通の女の子にする。過去に置いてきてしまった普通の幸せを全部拾い上げて」



 

 生まれた時から仲間外れにされてしまった彼女が、孤独じゃなくなるように。

 『普通』なんて曖昧なものに憧れを抱かなくてもよくなるように。




「だから、今のうちに慣れておいた方がいい。まだまだこの先、嫌っていうほどにそれを経験してもらうから」



 

 色々な彼女を知る中で、俺は彼女に好感を抱いた。自らの定めたその線の内側に自分から引っ張ってくるほどに。



 大人びたようで子供っぽく、冷たいようで優しい彼女。

 なんでも器用にこなせるのに不器用で、泣き虫の彼女。

 放り出してしまえばいいのに、律義で責任感が強いからいらないものまで背負ってしまう彼女。

 




 こんなことが、彼女の人生で一番の幸せなんてのは俺には許せないし、認めたくない。


 だったら、俺はしたいようにする。彼女が明日笑えるように、明後日はもっと笑えるように。

 あんな、悲しい涙なんてもう見たくないから。




「こんなのが一番なんてことには、俺が絶対させないから」




 自分の言葉を最後に、沈黙が流れる。らしくなく熱く語ってしまったせいで恥ずかしくなってきた。まぁ、言ってしまったことは仕方ないが。



「すまん、ちょっと熱く語り過ぎた」




 頬を掻きつつ、透の方を見ると、何故か彼女は完全にフリーズ状態になっていた。

 目を見開いた状態で、完全に固まっている。



「透?」



 返事がない。ただのしかばねのようだ。

 

 ふと、時計を見るとだいぶいい時間になっていた。そろそろホームに行かないと遅れてしまうだろう。次は三十分近く後なので、これには乗っておきたいところだ。



「おーい、透?遅れるからそろそろ行くぞ」


 

 何度呼び掛けても反応が無い。だが、その間にも時間が刻々と進んでいく。

 俺はため息をついた後、息を吸い込んで大きい声を出した。

 


「透!!」



 そして、体を揺らそうと肩に手を置いた瞬間、こちらが驚くくらいにその体が強く反応する。



「っは、はい!!」

  


 ようやく彼女は意識を取り戻したらしい。びっくりしたような顔でこちらに突然返事をした。

 なんとか、戻ってきたようでよかった。別に急いでいるわけじゃないが、無駄に時間を過ごすのも嫌だしな。



「聞こえてたか?」


「え?あ、うん。私を俺の女にするって」



 熱に浮かされたようにそう言う透に頭を抱える。これは、ダメだ。完全に混乱しているようだ。

 ちょっと変なことを言い過ぎたかと俺にしては珍しく後悔する。 



「いや、ぜんぜん違うからな?というか、ほんとにヤバいから行くぞ。ほら!」

「へ?」



 線路の遥か先、陽炎の中を真っ直ぐ列車が走ってくるのが見える。

 俺は、透の手を引いて、跨線橋こせんきょうの階段を登り始める。


 一段一段、急ぎながらも、透が倒れてしまわないように後ろを気にしながら。

 


「大丈夫か?」


「…………うん」



 透は、周りも見ずにただただ自分の手だけを見つめたまま、俺に引かれて静かについてくる。

 その顔は何かを考えているようで、心ここにあらずといった感じだ。



「ちゃんと、前見ないと危ないぞ」


「あ、ごめん……でも、もし私が倒れそうになっても、どこかでつまづきそうになっても………………誠君ならちゃんと助けてくれるよね?」



 親を信頼する子どものように、信頼しきった目でこちらを見ながら笑いかけてくる透に呆れてため息をつく。しっかり者の彼女は、どうやら今は休業中らしい。 



「まぁ、そりゃな」


「なら、きっと大丈夫だよ」



 根拠もなく自信満々にそう言う彼女に逆にこちらが変なことを言っているんじゃないかという気持ちにさせられる。


 だが、少しずつだが、調子が戻ってきたようで良かった。


 それに、なんとか、間に合うこともできたし。




 電車が止まると同時に俺達も扉の前に立つ。

 ゆっくりと開いた扉から、ひんやりとした冷たい空気が吐き出されるとともに、熱せられた外の空気と混じり合っていく。


 何とも言えないその境界線に変な気分になる。


 だが、一歩踏み出し、それを越えた瞬間、心地よい空気が俺達を包んでくれた。



「生き返るー」


「あははっ。間に合ってよかったね」


「ほんとにな」



 横では、完全に調子を取り戻したらしい透が楽し気に笑っている。

  




 俺達の旅は、最初からドタバタで慌ただしく始まってしまった。


 でも、それもいいのかもしれない。いや、むしろ孤独だった彼女の旅が騒がしく始まるなら、そちらの方がいいだろう。


 外とは違う、ひんやりとした居心地の良い空間を二人で共有しながら、俺は何となくそう思った。

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