五章 -触れ合う関係-

第37話 氷室 誠 五章:序幕

 朝、目が覚め体を起こすと、太陽はすっかり昇っているようだった。



「眠い」



 とりあえず、伸びをしながら時計の方を見ると既に十時を過ぎているようだ。



「夏休みって、ほんと最高だわ」


 

 それほど遅い時間に寝たつもりは無かったが、夏休みということもあって完全に腑抜けているらしい。たぶん、どこかで治さないと母さんに怒られるな。



「まぁ、今はいいか」



 起きるでもなくゴロゴロとしていると、無性に喉が渇いてきたのでベッドを出て、階段を降りていく。


 そして、リビングに入ると、見慣れない顔があることに気づいた。



「あれ?」


「おはよう」



 そこには、何故か早希の部屋着を着て漫画を読んでいる透がいた。



「透?なんでいるんだ?」


「ふふっ。寝ぼけてるの?」


 

 頭がはっきりしないままそう尋ねると、とても楽しそうな笑顔で、彼女はこちらに言葉をかけてきた。

 

 だが俺が、特にそれに反応するでもなく、そのまま、動かない脳みそでぼーっと彼女の顔を見つめていると、何故か視線を逸らされてしまう。


 

「…………ちょっと、見すぎじゃない?別に、嫌なわけでは無いんだけど」


「ん?確かにそうだな、悪い」



 しばらくして、徐々に意識がはっきりとしてくると、昨日の記憶が蘇ってきた。



「ああ!あの後、結局泊まったんだったか」


「はぁ、ほんとに朝弱いんだね。早希ちゃんもさっき見に行ったらまだ寝てたし」



 答えが出たことですっきりしたので、とりあえず何か飲むために台所へと向かう。



「母さんは?」


「ちょっと出てくるって言ってたよ」


「ふーん」


 

 麦茶を口に入れると心地の良い潤いが喉を満たし、思わず声が出てしまう。



「うめー」


「あははっ。おじいちゃんみたいな反応だね」


「ぴっちぴちの男子高校生ですが何か?」


「あははははっ。そんな顔で言っても説得力無いから!」


 

 朝からテンションが高くて羨ましい。俺には真似できそうも無さそうだが。

 


「透は朝強いんだな。登校時間は一緒くらいだったから俺と同じ朝弱族だとずっと思ってたんだけど」


「…………ほんとはね、始発くらいの時間には家出てたんだ。人が少なければ少ないほど、心を読まなくてもよくなるから」



 そう言われて、そういえばそうだったと、昨日言われたことを思い出す。



「そりゃ大変だわ。じゃあ、学校もきつかったんじゃないか?」


「うん。学校もね、実はあんまり好きじゃなかったの」


「まぁ、そうか。それこそ、四六時中箱詰め状態みたいなもんだしな」



 心の休まらない場所に朝から晩まで入れられ、自分の意志では出られないと思うと最悪だ。

 むしろ、不登校にならなかっただけ、すごいと感心する。



「ふふっ。でもね、誠君の隣の席になってからは、毎日行くのが楽しみだったんだよ?」


「そうなのか?ほんと、物好きなやつだな。俺みたいなやつなんて、そこら中にいるだろうに」


 

 外見はけっこー地味な方だと自負しているし、明るかったり、気の利いたことを言うようなタイプでもない。

 俺のどこを見てそこまで評価していたのか正直、よくわからなかった。



「ぜんぜんいないよ。誠君みたいな人なんて」


  

 だが、俺が何の気なしに言ったその言葉に透はこれ以上無いほど真剣な顔でそう返してきた。



「ちょっとくらいはいただろ?」


「いない」


「一人くらいは?」


「いない」


「似たような人も?」


「いない」



 真面目な顔で頑なにいないと繰り返す彼女に、不謹慎にも笑えてきてしまう。



「ははっ。透って意外と頑固だよな」


「………………誠君は、そんな女の子は嫌い?」


「いや、俺は透のそういうとこ嫌いじゃないよ」


「ほんとに?」



 透はその性格を気にしているのか、おずおずと上目遣いにこちらに尋ねてくる。

 だが俺は、先ほどまでの頑な様子とは打って変わって、気弱そうに話すその姿に再び笑いがこみ上げてくきた。 



「はははっ。ほんとだって」


「もう!!なんで笑うの!?私は真剣なのに」


「おいおい、怒るなよ。悪かったって」


「ふんっ。もう知らないから」



 笑ってはいけないとは思いつつも、そう言ってこちらからそっぽを向く様子が余計に面白くて笑えてしまう。



「ごめんごめん。俺が悪かった」



 完全に機嫌を損ねてしまったようで、こちらを向く様子は一切無いようだ。

 だから、俺は言い訳もかねて、思っていたことを伝えることにした。



「笑ったのは謝るよ。だけど、そういう子供っぽい所もなんかいいなって思ってさ。それに、昨日は泣いてた記憶が印象深いから、余計にそう思った」



 学校にいる時の大人びた様子とは違う、昨日の悲しそうな泣き顔とも違う、その気負わない様子が俺にはとても好ましく映ったから。


 

「………………はぁ、誠君はほんと、ずるいよね」


「ん?なにが?」


「な・ん・に・も!」

 


 会話の流れに沿わないずるいという言葉が出てきて不思議に思う。しかし、彼女はそれを話す気は無さそうで、聞くことを諦めた。


 そして、しばらく麦茶を飲んで過ごしていると、早希が目をこすりながら、のそのそとリビングに入ってきた。



「あれ、透ちゃんがいる。なんで?」


 

 今日はそれほど夜更かしもしていないのか、人語を話せるようだが、頭は完全に回っていないらしい。



「ふふふっ。誠君と同じこと言うんだね。おはよう、早希ちゃん」


「おはよー。あ、本物だー」


「いや、抱き着かなくてもわかるよね?」


「いい匂いがするー」


「ちょっと、くすぐったいから」



 

 今日という日がまた始まった。


 相変わらず暑い日差しの中、蝉が飽きもせずに鳴き叫ぶ。

 

 そして、窓の外では使い回しではないかと思えるような既視感のある雲達がただただ流れていく。



 いつものような毎日。だけど、そんな中で、やはり変わることもあるのだろう。


 俺は、目の前で仲よさそうにじゃれつく二人を見ながら、なんとなくそう思った。

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