第36話 幕間:続・氷室家の人々(裏)

 誠君が歩きながらスマホを触った後、それをポケットに入れると連続で振動が起きた。



「とりあえず、一緒に帰ることは伝えといたから」


「ありがとう。でも、本当に大丈夫かな」


「大丈夫だって」


「…………うん」


 

 近づくほどに、緊張で体が強張る。彼は大丈夫だと言ってくれているけれど、それでも拒絶されたら、嫌われたらどうしようという思いが拭えない。


 いつもみたいに心を読んで回り道することなんて今回はできない。正面から、本当のことを言う以外に方法は無いから。


 そして、私が自分の中でどんどん袋小路に陥っていた時、気楽そうな声がした。



「大丈夫だ。それに最悪、逃げちまえばいい」



 色々なものから私はずっと逃げてきた。それこそ、人の心を盗み見て先回りしたり、遠回りしたりしながら。


 だけど、彼の中ではそれは逃げていることにならないらしい。






「…………なら、どうやって逃げればいいの?」



 強い貴方と違って、弱い私は、抱えたくないと思っていても、気づくと何かを抱えてしまっている。

 

 だったら、どうすればいいのか、心を強くすればいいのか、気にしないほどに鈍感になればいいのか、正解を教えて欲しかった。



「色々方法はあるだろうけど、そうだな。もしそうなったら今回はバイクで逃げちまおう」


「え?」


 

 精神論的なものを考えていた私は、あまりにも単純明快な方法に意表を突かれる。



「ははっ。そしたら、逆に家に匿ってくれよ?」

 

 

 冗談かと思った。だけど、彼が鍵をどこにやったかと考え始めていることがわかってそれが本気だということが伝わってくる。


 楽し気に声を出す彼の背中はとても大きくて、心がキュッと高鳴っていく。

 

 ああ、それはすごくいい。たとえ失敗してもそうなるなら、いや、失敗しなくても、それがいい。



「………………うん、ずっと面倒見るから。何なら今からでも、ずっと」



 楽しくなって、これからのことを妄想し始める私に、彼が呆れたような声をかけてくる。



「おい、今すぐじゃ意味ないだろ」


「え、あ、そうだね。でも、それなら、うん。なんか勇気出てきた」



 言われて、そうだったと意識を元に戻す。でも、本当にそうなら、もう怖いものなんてない。

 コインの表と裏、そのどちらもが幸せなら、そんなの誰だって迷わず試すに決まってる。



「なら、よかったよ」


「うん。本当にありがとう」



 どうしようもないほどに満たされる心の中、熱く疼くような体を押さえつけるのが大変だった。







◆◆◆◆◆





 

 彼が玄関を開けると、待っていたらしい瑛里華さんがこちらに声をかけてくる。



「少しは、元気になった?」


「はい…………誠君のおかげで」


「全部吐き出せたみたいね」


「……はい」

 

 

 彼の背中を熱っぽく見る私に気づいたのか、瑛里華さんが少しだけ目尻を下げたような気がした。


 もしかしたら気のせいかもしれないけれど、私は、少し恥ずかしくなってきて顔を俯かせる。 



「なら、誠はちょっと出てなさい。また、呼ぶから」

 

「え?なんで?」


「色々あるのよ」


「ん?まぁ、いいや。じゃあ、また呼んでくれ」



 そう言って彼を追い出した彼女は、私が彼の前に顔を出せるように整える時間を稼いでくれたようだ。


 彼が外に出るとすぐに洗面台に案内してくれた。



「また終わったら呼んで」

 

「本当に、ありがとうございました」


「いいのよ。女の子には準備が必要だものね」



 無表情でそう言う彼女はとても優しい。それに、細かいところによく気づく人だと、改めて思った。








◆◆◆◆◆







 そして、しばらくして、話があることを伝えた後。


 目の前では彼の家族がみんな集まっていた。緊張する私に、彼が視線を送り話すよう促してくる。

 

 だから、私は深呼吸した後に自分の秘密を話し始めた。



「あの、今日は色々とご迷惑かけて本当にごめんなさい。それと、今も夜遅いのに聞いてくれるって言ってくれて本当にありがとうございます」



 何か反応しようとした、早希ちゃん達を誠君が無言で止める。

 私の勇気が続くうちにと気遣ってくれたことがわかり、弱気になりかける自分を奮い立たせる。



「とっても非現実的で、面白くもない、むしろ気分の悪い話かもしれないんですけど、どうしても聞いて欲しいことがあって、今日はお時間を頂きました」


 

 緊張して、声も上手く出せない。それに、目線も合わせていられなくなる。


 そのまま、しばらくの沈黙が流れ、次の言葉が出ないでいた私は、無意識に助けを求めたのかもしれない。



 震える手が、彼の若干冷たい手に触れる。そして、その手を強く握ると、彼が優しく握り返してくれた。


 

「私は、人の心が、読めるんです。比喩でも、何でもなくて、本当に言葉通りに」


 

 たったそれだけのことで、震えは収まり、声が出始める。 


 私は、自分の秘密をゆっくりと話していった。








◆◆◆◆◆






 

 全てを話し終え、煩いくらいに心臓の音が聞こえてくる。


 自分がどこにいるのか、座っているのかもわからなくなる中、彼の手の感覚だけが、私をこの場に繋ぎ留めてくれた。

 

 目の前の人達の心を読む勇気はとても無い。ましてや、顔をあげる勇気すらも無い。


 何を言われるだろうかと身構えながら、審判の時を待ち続ける私に、だが、かけられた声はとても明るいものだった。



『「すごい!!!」』



 大きい声に、思わず顔をあげると、そこには太陽のような眩しい笑顔が広がっていた。



「え、あの」 


  

 予想もしていなかったその反応に頭が真っ白になる。

 彼らを瑛里華さんが嗜める間に、少し落ち着いてきたが、それでも、予想外過ぎて頭が追い付いてこない。



「透ちゃんすごいね!漫画の参考にしたいからよかったら詳しく聞かせてよ!!」


「心読めるとか、麻雀勝ち放題じゃないか!お小遣い出すから、今度ついてきてよ!!」


「え?えっと、気持ち悪いとか、そういうのは」



 全く負の感情の無い心の中に私の方が動揺させられてしまう。



『「なんで?そんなことより、どうなの!?いいの!?」』


「いや、あの、その」



 どれだけ探しても、陰すら無くて、ただただ光が広がっていることが信じられなくて、思わず、誠君の方に助けを求める。

  

 彼がうまい具合に二人を抑えた後、何かあるかと尋ねられた瑛里華さんが、こちらに声をかけてくる。



「母さんはなんかあるか?」


「今はいいわ。でも、後でちょっと話したいことがあるの、いいかしら?」


「は、はい」



 ただ話がしたい、それだけで何を考えているかはうまく読めない。だけど、覚悟を決め、それに了承の返事をする。





 そうしていると、誠君のお父さんがこちらに笑顔で話しかけてきた。



「心が読める人って、本当にいるんだな~。君の倍以上は生きてるけどまだ会ったことないよ。うん、すごい!」


「い、いえ、それほどすごいものでもないので」

 


 あまりにも混じり気の無い誉め言葉に、少し感心してしまう。


 そして、それとともに感謝する。恐らく、瑛里華さんだけじゃなく、こんなお父さんだからこそ誠君がこんなに真っ直ぐに育ったのだと分かったから。



「いや、すごいでしょ。だって、ぱっと考えただけでも、色々使い道が思いつくし。それに、隠しごとだって………………あっ!」



 楽しそうに話している最中、突如響いた、少し大きめの声に驚く。



「なんでもないから、ほんと、なんでもないから」


「隼人さん?」


「何も隠してないよ」


 

 まるで、アニメのように玉のような汗を流し始めた姿が面白くてちょっと笑ってしまう。

 


「………………透ちゃん。お願い」


「え、でも」


「いいのよ、どうせ下らないことなんだろうし」


「はい、じゃあ。…………え?」



 冷え切った目でそちらを見る瑛里華さんに促され、その内を探ると、≪エロ本、隠さなきゃ、怒られる≫といった感情だけが所狭しと並べられていた。


 その、あまりにも俗的な単語をこれでもないかと見せられて、逆にこちらが恥ずかしくなる。



「何が見えたの?」


 

 誠君の方をチラリと見た後、こんなことを彼の前で言いたくなかったのでこっそりと瑛里華さんにだけ伝えることにする。



「あの、エロ本、だそうです。」

 

「は?エロ本?」


 

 だが、瑛里華さんがそれをはっきりと言葉にしたことで、周りに伝わってしまい余計に恥ずかしくなった。



「待って!誤解だから、本当に、誤解だから!!」



 可哀想なくらい焦るお父さんに少し同情する。浮気とかそういったものではないようなので、ちょっとした気持ちだったのかもしれない。


 そして、そのあまりな様子に私が庇おうとした時、聞き捨てならない言葉が横から聞こえてきた。



「ああ、あれのことか」



 たったそれだけのことで、抑えられないほどの怒りが心を支配する。

 睨みつけるように彼の方をゆっくりと見ると、珍しく焦りの感情がその顔に浮かんでいた。



「いや、待ってくれ、誤解だ。本当に、誤解なんだ」



 先ほどまであった同情は一切無くなり、それを燃やそうという考えだけが頭を支配する。

 

 

「隼人さん?」


「誠君?」



 絶対に許さない。探して、燃やして、灰にしよう。

 そしたら、こっちを見るよね。そんなもの見なくても、言ってくれれば私がなんでもしてあげるのに。

 


 そうして、彼らへの尋問は続いた。

 それが、けっきょく瑛里華さんを照れさせるだけになる愛の証拠だと判明するまで。

 






◆◆◆◆◆







 騒動が終わり、誠君のお父さんが解放されて寝る準備を始めた頃、私は瑛里華さんとともにに外に出ていた。



「ごめんね、ちょっとだけ話したいことがあったから」


「いえ、全然大丈夫です」



 あまり聞かせたくない話なのか、少し家から離れた場所で二人だけで話す。


 しばしの静寂の後、彼女はこちらの目をジッと見て、口を開いた。



「本音を言うと、私個人としては、心を読まれるということにあまりいい気分はしないわ」


「…………はい」



 浮かれていた気持ちに冷や水を浴びせられたような気がする。

 だけど、それは当然の反応だ。むしろ、はっきりと言ってくれるだけでも、真摯な対応だろう。



「心の内というものは容易く見せるものじゃない。積み重ねられた信頼の中で、自分にとって大事な人だけに見せるものだと思うから」


「…………はい」



 正論すぎて何も言い返すことができず、ただただ、その降り注ぐ断罪の言葉にじっと耐える。



「だから、私はそれを覗かれるということにいい印象は持ってない」


「…………はい。わかってます」


 

 似ていても、考えることは全く同じではない。一人の大人の女性として、やはり思うところは違うのだろう。



「だけど、それと同時に私は貴方に同情しているの」


「え?」



 今までの鋭さが嘘のように、柔らかい雰囲気で彼女はこちらを見た。



「誰しもが善人なわけじゃない。それに貴方は、とても綺麗だから好ましくない感情もたくさんぶつけられてきたでしょう。その未熟な心では、受け止めるのが大変なほどに」


「…………はい」



 誠君とはまた違う、包容力とでもいうような優しさに、視界が涙で滲む。

 


「正直なところ、私も昔はいろいろあったの。隼人さんに会うまでは特に。だから、貴方の苦しみはそれなりに理解できるつもりよ」


「…………ありがとう、ございます」



 少し、気になっていた。誠君は表情は出づらいと言っても、まだそれなりに感情を外に出す。

 

 だけど、瑛里華さんはそれが不自然なほどにほとんど無いから。


 誠君たちは理解できるようだが、私には僅かすぎて、外見だけではそれを見つけられないことの方が多いくらいに。



「言葉だけならまだ耐えられるかもしれない。外に出すときにある程度は形も整えられるから。でも、それをあなたは直接、そのまま見せられてきた。そして、誰にも言えず、一人で抱え込んできた。辛かったでしょう?」


「…………はい。毎日、すごく辛くて。あのままだったら、もし誠君がいなかったら、たぶん、私はどうにかなってたかもしれません」



 せっかく顔を整えたのに、再び涙が我慢できなくなる。同じ想いを理解してくれるというのがとても嬉しかったから。



「貴方は、よく頑張ったわ。とても、すごい子よ」


「うっ、ひっく、はい」



 泣き出す私を彼女はそっと抱きしめてくれる。それは、お祖母ちゃんとはまた違う、母親というものを私に教えてくれた。



「だから、もう、一人で頑張らなくてもいいの。抱え込まなくてもいいの」



 涙で呼吸すらも上手くできなくなる中、何も言えない私を彼女は黙って抱きしめ続けた。


 





◆◆◆◆◆





 

 だんだんと、落ち着いてきた私の心に少しずつ余裕が生まれてくる。


 今日は、本当によく泣く日だ。だけど、それは嬉しい涙ばかりで、こんなに幸せでいいのかと思う。



「すみません。ありがとうございました」


「いいのよ。気にしないで」



 それほど、表情が動いたわけでは無い、だけど、私にはそれが笑顔に見えた。



「あの、その…………一つだけ、わがままを言ってもいいですか」


「なに?」



 だから、私はつい言ってしまった。その母性ともいえる優しさに甘えたくなって。



「今日、泊まっちゃ、ダメですか?」


「いいわよ。実は、戻ってくるって連絡が来た時にそうなるかもとは思ってたの」



 どうやら、なんでも、お見通しだったらしい。本当は心を読めているんじゃないかと思うほどに感情の機微に聡い人だと思う。



「ありがとうございます」


「どういたしまして。じゃあ、帰りましょうか」


「はい」



 これが、家族というものなのだろうか。


 明るい父に優しい母、頼れる兄と無邪気な妹。



 育った家とはまた違うその感覚に、不思議な居心地の良さを私は感じ始めていた。

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