第30話 蓮見 透 四章⑤

 少し休み、ある程度持ち直してきたので階段を降りる。



「よし!頑張らなきゃ」



 リビングに入ると、誠君のお母さんの瑛里華さんが夕食の準備を始めるところだった。



「どうしたの?」


 

 無表情で問いかけてくるその顔は、整っていることもあって酷く冷たく見えた。

 たぶん、背が高いから、なおさらそう思えるのだろう。


 でも、心の内が見える私には、彼女がとても優しいことが伝わってくる。

 


「お手伝いしようと思って。一人暮らしということもあって、それなりにできることも多いので」



 どうやら、その氷の仮面の下では、誠君と早希ちゃんが何か嫌な思いをさせたのかと私を心配してくれているようだった。



「ああ、そういうこと。まぁ、別に気にしなくてもいいんだけど、逆にそれが落ち着かないようなら手伝ってもらおうかしら」



 さすが、誠君のお母さんだ。人の繊細な部分に配慮できるところがとても似ている。



「ありがとうございます。今日は何を作るんですか?」


「冷しゃぶ、オクラとイカの和え物、お味噌汁に昨日の残りのサラダとかかしら。簡単なものでごめんね?」


「いえ、夏っぽくてとても良いと思います。夏バテにも効きそうですし」


「ありがとう。そう言って貰えてよかったわ」



 夏らしい料理で暑い今日に食べるにはぴったりの料理だ。

 


「はい。そういえば、なんてお呼びすればいいですか?」



 おばさんというのはとても憚られるというか、高校生の子供がいるとは全く思えないほど若々しい外見なので、何と呼ぶのかかなり迷う。



「何でもいいわよ?おばさんでも、瑛里華さんでも。何なら、お義母さんでもいいし」


 

 淡々とした口調ながら、彼女がこちらを揶揄ってくるのが分かる。



「あんまり、揶揄わないで下さい。じゃあ、瑛里華さんって呼びますね」


「あら、まんざらでもなさそうね。誠のこと、憎からず思ってくれているってこと?」


「ノーコメントでお願いします」



 さすがに初対面の、それも想い人の母親に伝えることでは無いので、明言は避けておこうと苦し紛れの言葉を告げる。

 


「なるほどね。まぁ、二人の好きにすればいいわ。どっちも、火遊びするタイプでは無さそうだし」



 バイクの免許を取ってることから、厳しい家では無いとは思っていたけれど、子供の自主性を尊重する家庭なのが伝わってきた。


 私は、彼の性格はこうやって作られたんだなと勝手に納得する。



「じゃあ、ササっと作っちゃいましょうか。一番やかましい人もそろそろ帰ってくることだし」


 

 その素っ気ない言葉とは裏腹に、少しだけ微笑む瑛里華さんは、女の私でも照れてしまうほどに、とても綺麗に思えた。それはもう、心から羨ましいほどに。










◆◆◆◆◆







 鍋に水を入れ、汁用と茹で上げ用に沸かし始めたことがわかったので、私も聞いたメニューで必要になることを手伝い始める。



「オクラ、下処理しちゃいますね」


 

 ヘタの下処理をするため包丁を取り出す。整理整頓され、必要なものがすぐ手の届くところに並べられている台所は、瑛里華さんの性格が表れているのだろう。



「ありがとう」



 私の処理したオクラを瑛里華さんが水洗いして、うぶ毛を取っていく。

 お互いが何をするかわかっているからか、何も言わなくても伝わるのがとても不思議な感覚だった。



「イカも捌いちゃいますね」



 置いてあったイカを取り、サッと捌いていく。



「え、それもできるの?本当にすごいのね」


「実家が海の近くなので」

 

 

 昔は、お祖母ちゃんの知り合いがやっている海の家を手伝うこともあったし、海鮮物の捌き方は一通り教えて貰っていた。

 


「へー。ここらへんなの?」


「いえ、あまり近くはないんです」


 

 皮をむいた後、寄生虫の可能性も考慮して細かく刻んでいくと、その間に片方の鍋が湧いたようでオクラが茹で上げられていった。横に豚肉が置いてあるところを見ると、その後にすぐそれも処理するのだろう。



 

 そのまま順調に分担しながら料理を続けていき、最後に瑛里華さんがみそ汁の味の調整をしている最中、私は何かやれることが無いかと、彼女の心を癖で覗きこむ。




 


 どうやら、後は冷しゃぶ用の大根おろしだけらしい。


 そして、カットされた大根と奥にある添え物を冷蔵庫から取り出し、それをすりおろし終わった時、瑛里華さんがお玉を置いて話しかけてきた。




「透ちゃんは、本当に気が利くわね」




 何気ないその言葉に、蓋をしていた罪悪感が再び息を吹き返しだす。


 


「…………いえ、そんな」


 


 答えを見ているのだから、当たり前だと冷たい顔をした自分が心の中で呟く。

 


 

「謙遜しなくていいのよ。そのくらいの年でそれだけできるのは本当にすごいんだから」




 彼女が、純粋な気持ちでそれを言ってくれているのが分かるからこそ、余計に胸が苦しくなる。


 早希ちゃんに、瑛里華さん。彼の大切な人達を、その心から優しい人たちを、私は騙しているという残酷な事実を突き付けられるから。

 



「それに、うちの家族がもみじおろしが好きってよくわかったわね。おばさん、それはさすがにびっくりしちゃった」




 言われて、気づく。単純な作業だと、特に気にも留めなかったそれは、白ではなく、赤く染まった山を形作っていた。




「貴方の家ももみじおろしだったの?」


「あ、はは。そうなんです、実は」


「うちだけかと思ってたけど、意外と同じような家庭もいるのね」




 誤魔化すような、乾いた私の声が空虚に響く。






 やっぱり、ダメだ。どれだけ取り繕っても、私は普通じゃない。 


 こんな素敵な人達の心を勝手に覗いて、騙して、すり寄っていく私。


 綺麗に着飾っても、美しい言葉を並べても、それは変わらない。


 

 

 私が、自分の本当の姿を暴かれたくないように、心を覗かれたい人なんているわけないのだ。


 だから、こんな私を知れば、きっと優しい彼も私を避ける。大事な人に近づけることも無くなる。






 そして、絶え間なく押し寄せる自己喪失感の中、赤く染まった大根おろしと、おろし金に残ったその白い欠片が目に映った時、私は思った。


 朱に交われば赤くなる。だけどそれでも、混じり切れず、残った異物がきっと自分なのだろうと。

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