世楽和人


「白黒だ……」


窓の外を眺めながら、私はふとそう呟いた。劣等感、嫌悪感、絶望感……よくわからないけど、そんな感情が入り交じった声を、私は、窓の外へと放り投げた。


私は中学生のときに、色を失った。すべての世界が白黒にしか見えなくなってしまった。原因は一向に分からず、いくつかの病院を転院し、今はこの大学病院にいる。担当医によれば、「何かしらのショックや衝撃的なことが起これば、その反動で、もとに戻る可能性が高い……」とのことだ。そうは言っても、ここはただの大学病院だ。おまけに私には、友達も呼べるような人はいない。楽しみも、喜びも、ましてや衝撃的なことなど、起こりうるはずがないのだ。起こりうる…はずが……。



気分転換に屋上に来た。少し風が吹いているが、柔らかくて、心地の良い風だ。5月にふさわしい、季節相応の天気である。


私の目の事だが、最近は視野も狭くなってきていて、最終的には、光すらも失ってしまうという段階にまできてしまっているらしい。治る余地もないのにそんなことになってしまえば誰だって、もうなにもかもどうでも良い……そんな風に思ってしまうだろう。


「ここから飛び降りたら……この気持ちも少しは晴れるのかな……」


自分にしか聞こえないような極々小さな声で、そう言った。本当に飛び降りてしまおうか……。そうすればきっと……。

屋上を囲う柵に手を伸ばし、力を込めようとした、その時だった。


「なにしてんの?」


私はドキッとして、行動をキャンセルし、何事もないように後ろを振り向いた。「まさか聞かれてなんかいないよね?」と思ったが、どうやら大丈夫だったようだ。振り向いた先には、私よりも背の高い、やせ形の男の人が立っていた。歳は……私くらいかな…。見るからに優男といった風貌だ。


「なんでも良いでしょ……あなたに関係ない……。」


無意識にそんな事をいってしまった。私って最低だ……ぶつけようの無いこの憤りを、今会ったばかりの人に当てようなんて……感じ悪い奴だなんて思われちゃったかな…?


「まあ確かに、なんでも良いね。それにしても、良い天気だね~。なんだか眠くなってきちゃうよ。」


いったいなんなの?この人は……のんきで、私の放った言葉に、嫌悪感を微塵も感じていない。…変な人……でも、なんでだろ、なんでかわからないけど、凄く温かい……。


これが、色の無い私とのんきな彼の、温かい出会いだった。



「じゃあ、これは何色?」


「……うーん、赤」


「正解、じゃあ、これは?」


「えっと~……黄色かな」


「すごいじゃん!全部当たってるよ!本当に見えてないんだよね?」


彼と出会って1ヶ月、私たちは、毎週土曜日に、初めて会った病院の屋上で会っている。彼は毎回、本を持ってきてくれて、私の目が少しでも色を識別できるように訓練をしてくれている。


「色は見えてないよ、白黒の濃さとか、そういうので何となくね」


「それでもすごいよ、訓練の成果出てるのかな?」


彼は私の事を自分の事のように喜んでくれる。それがとても嬉しかった。そして、彼の笑顔が隣にあることが、こんなにも安心できる。それが私の、今を生きる理由になった。



今日も私は、屋上にやって来た。彼がまた、そのドアを開けてくれると、そしてまた隣で笑ってくれると、そう信じていたから。だけど、彼は来てくれなかった。一時間、二時間、夕方になっても、彼は姿を見せてくれなかった。そして私は、次の日に知った。彼が、長い長い旅に出てしまったということを。私は泣いた。夜通し泣いた。彼の事を想って、彼の笑顔を思い浮かべて、ひたすらに泣いた。どれくらいそうしただろう。気がつくと、空が明るくなっていた。開け放った窓の外の空が、明るく。彼の死は、とても衝撃的で、とてもショックで、私の白黒の世界に、光をもたらした。病室の窓からは、青く光輝く海と、目の前を多い尽くす、大きな青空が広がっていた。

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世楽和人 @Sera511

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