第五章 願いは希望の果てに

5-1 新たな誓い

 目覚めると、乱反射する視界に飛び込んできたのは焦げた色をした木造の天井。顔を横に動かせば、スタンドに吊るされた隷核灯ヘリオライトが白い枕とシーツを照らしていた。


「ここは……」


 掠れ出た声。明瞭になった視界であたりを見渡せば、そこは【暴食亭】の宿部屋だった。

 寝泊りしていた部屋とは別の部屋で、所々に入っている亀裂や煤汚れなどが戦闘の臭いを染みつかせていた。

 ベッドに横たわるのはリヴィ一人だけ。それを認識できた時、リヴィは意識を失う直前の光景を思い出した。

 ——血に濡れた妹の姿を。


「アンリ……!! ——ッ!!」


 あの時取れなかった手を取るかの様に、手を伸ばして勢いよく起き上がると鋭い痛みが体を硬直させる。

 痛みのありかは全身から。指先から裸になった上半身まで黒い包帯——リヴィの魂の記憶が染み込んだキュアスが巻かれていた。

 キュアスは重傷を負ったリヴィの身体を傷つく前の状態に上書きしようとしていているのだ。

 だからこそ、リヴィは痛みを無視してベッドから這い出ようとする。

 けれど、それを見過ごす人はいなかった。


「——こらリヴィ! 何やってんだいアンタ! まだ動ける身体じゃないだろうに!」


 食事を持ってきたミーシャが慌ててそれを机に置き、空いた両手でリヴィの身体を押さえつけた。


「ぐっ……! は、離してくれ…!! お、俺はアンリのところに……!」

「アタシ程度でも押さえられるその身体で何が出来るって言うんだい! いいから大人しくしな!」


 この世で無能と称される黒忌子ニグラスであろうと、流石に鍛えている身体。宿で働く女性に取り押さえられるほどヤワではない。ましてやミーシャは怪我を考慮して力もロクに入れていない。

 なのにその手を撥ねのけられない時点で、リヴィの状態は自分が思っている以上に遥かに悪い。

 それを自覚してしまうと、体から力が抜け重たい身体がベッドに沈み込んだ。


「ったく……怪我してんのに暴れんじゃないよ……。妹があんなに立派に戦ってたっていうのに、あんたがそんな調子でどうすんだい。そんな姿を見るために、あの子はアンタの帰りをずっと待ってたわけじゃないんだよ」


 ミーシャがスツールに座って溜息一つ。呆れ交じりの吐息がリヴィの鼓膜を揺らして、心に現実を届かせた。

 それが少しだけリヴィを冷静にさせると、傷ひとつないミーシャを見やる。


「アンリはミーシャを守れたんだな……」


 妹が自分とは違った結末を齎せたことにドロリとした自己嫌悪が沸き上がろうとするが、それ以上に成し遂げたことに対してリヴィは誇らしさを覚える。硬く、皺が寄っていた眉間が和らいだ。

 なにはともあれ、落ち着いたのを見計らいミーシャが机に置いたスープを差し出す。


「店の大半が壊れちまってロクなモノ作れやしなかったけどね。食べないよりはマシだろうさ」

「……ありがとう、ミーシャ」


 ゆっくり起き上がり、お皿を受け取ると指先から伝わるその熱。スープを一口啜れば、その温かさが傷ついた体をほんの少しだけ刺激させた。


「ミーシャ教えてくれ……俺たちが別れた後、ここで何があったのか……。アンリに何が起きたのか……」

「いいけど……休まなくていいのかい? 目覚めたばかりのアンタにゃキツイ話になるよ?」

「キツイ話なんていつ聞いても同じだし、苦しい状況なんて今更だ。今はそんなことよりも、アンリを助けるために何が起きたのかを知って考えないと。それだけが今の俺に出来ることなんだから」


 自分の無力さを痛感しながらも、黒い双眸に宿っているのは諦めない強気の心。

 覚悟なんて十年前から出来ていた。


「……分かったよ。けど、アタシにとっても衝撃的なことだったからね。口の滑りをよくするためにも水持ってくるからちょっと待ってな」


 そう言って席を立ち、戻ってきてミーシャから語られたアンリの孤軍奮闘。

 【福音教】の登場から、理不尽な術による交戦とアンリを目的とした行動。

 そして最後は、守られていたはずのサトバによる殺傷行為。聴取を受けたサトバが嘘偽りなくそのことを話していたそうだ。


「サトバの奴を責めないでやってくれ。多分だけどサトバがアンリを刺したのは自分の意志じゃ……」

「分かってる。腐ってても叛者レウィナ。いくら【白忌子シニステラ】を目の敵にしていたからってここで、そんなことする理由はどこにもないからな。操られたって線が濃厚だろ」

「操られた? そんなことが出来るのかい……?」

「出来るだろうなアイツらの力をもってすればそのくらい……」


 なんらかの行為によって隷機ミニステラの保有能力を行使する【福音教】固有の力。

 それを思えば、一つだけ該当する能力があった。

 ——中級中位デュナメイアの【支配力】。事象を掌握し、現実を意のままに改変するという凶悪なその力があれば、人の意志に関係なく行動を操ることなんて簡単だ。

 

「だから俺がサトバに怒るのは筋違いってもんさ。むしろ、怒るならそれは——」


 ——怒るならそれは、気付けたはずのことにも気付けずアンリを守れなかった自分自身に。

 心に渦巻く苛立ちが表情にも表れ、拳も堅くさせて手のひらを傷つける。


「……まぁソッチのことはアタシにはよく分からないけど、これからアンタはどうすんだい?」

「決まってるだろ、アンリを取り返しに行く。これ以上、アンリをアイツらのところにいさせてたまるか」

「けど、アンリは……」

「話を聞く限り、アンリを殺すだけなら【福音教】は簡単に殺せたはず。けどそれをしなかったってことは、【福音教】の目的はアンリを殺すことじゃなく連れていくこと。サトバを使ったあの結果はそのための手段でしかない」


 固い決意と冷静になった頭が状況を正確に判断。

 【福音教】に対して憎しみを覚えるが、それは”その時”の為にとリヴィは静かに胸の内へと溜めていく。


「だとすれば生きている可能性はまだある。——そうだろ? シャーリー」


 扉の向こうからリヴィの耳にかすかに届いた足音。その呼びかけに応える形で、いつになく眦を鋭くさせたシャーリーが現れた。

 そこには見る者を笑顔にするあの快活だった笑みは一つもない。


「そうだねリヴィ。アンリちゃんが依り代として神に近づいたっていうなら、彼女の死には猶予があると思うよ。といっても、そう長くはないだろうけどね」

「依り代……。つまりはアンリは神の器として選ばれたってことで合ってるか?」

「うん。多分だけど【福音教】の最終目的はアンリちゃんの身体を使って神を降臨させること。そのためにいくつか段階を踏んでて、まず一つ目がオルタナを殺害することによる【月】の効力の弱体化。これが成功してるのはまぁ、言うまでもないよね。

 そして、二つ目が依代となり得る存在を見つけて手に入れること。これもアンリちゃんを捕えたことで成功した」


 二本の指を立てて、冷静に【福音教】の行動を考察するシャーリー。続く三本の指。

 そこで、静かなシャーリーのその裏に隠し切れない憤りがあることをリヴィは察した。

 

「けど、これでもまだ目的は完了していない。最後にやることが【神よけの陣アンチエリア】の完全破壊。その為に神に等しい高純度の魂になったアンリちゃん魂をぶつけて対消滅させて、生まれた【月】の綻びを通じて【器】に神を降ろす。——これが【福音教】が思い描いているだろう計画だよきっと」

「……ってことは、アイツがアンリの魂を抜くまでの時間がタイムリミット」

「同時に人類にとってもね。戦う準備も覚悟も整っていない今の人類が神に抗えるわけもない。そこからあとはもうこの世の破滅だよ——」


 静まり返る部屋。

 六百年前の絶望がまたこの地上にやって来る。そうなれば今度こそ、生きとし生ける生物は息絶えるだろう。

 この先の未来はもう誰も見ることは出来ない。


「それで……肝心のその時間は?」

「分からないけど、少なくとも封印の効力が弱まる【夜】に儀式が行われるのは間違いないと思う。つまり、あとこれだけだね」


 シャーリーが見せてきた砂時計の目盛りは十のところで止まっている。

 つまり【夜】の時間まではあと七時間。このまま何もせず過ごせば、最短七時間が人類に残された最期の時間だ。


「たったの七時間!? 【神よけの陣アンチエリア】のところに向かうのでギリギリじゃないか! こうしちゃいられない、今すぐに向かわないと……!」


 唯一事情を知っているのはギルドだが、街の混乱を収めなければならないうえそもそも戦える者がいない。【叛者レウィナ】にも期待できない以上、人類を守ることが出来るのはこの場では準備も覚悟も整っているリヴィとシャーリーだけだ。

 それにリヴィにとって大事なのは何よりもアンリの命。リヴィは取り返しに行くべく行動に移す。

 だが、向かうその扉の前。リヴィの行く手を阻んだのは俯いたシャーリーだった。


「おい、シャーリー……!」

「お願い……、この件はわたしに任せて。リヴィは怪我もしてるし、取り返しに行くにしたってリヴィの実力じゃ……」

「そんなの関係ない! 俺がアンリを迎えに行かないでどうする! 怪我はもう治ったし、実力が足りてないなら絞り出すまでのこと! そもそもシャーリー一人だけに背負わせることなんて出来るか!」


 押しのけようと肩を掴むリヴィ。

 ずっとリヴィたちは二人で生きてきた。どちらが欠けるなんて考えたこともなく、アンリを想うリヴィの気持ちは誰にも止められやしない。

 それでもシャーリーはその想いを、リヴィの手を掴むと同時に握りつぶす。


「おまっ……!」

「——わたしは!! 今のわたしが許せないんだよ……!!」


 悲痛なシャーリーの叫び。顔を上げると、そこには怒りと悲しみでぐしゃぐしゃになった感情が露わになっていた。

 リヴィの手を払いのけ、自己嫌悪に駆られて自分の顔を掴む。


「【福音教】をずっと追ってたくせに、復讐心だけに駆られて本当の目的に気づけなかったなんてもう吐き気がする……! この場でわたしだけが気付けたはずなのに……!」

「シャーリー……」

「だから任せて欲しい。身勝手に巻き込んだわたしを償わせてほしい。わたしの命に変えてもアンリちゃんだけは絶対に連れて帰るから……。リヴィまでいなくなったらわたしは……!」


 声を振るわせながらのその激情と後悔。

 シャーリーにしてみれば、妹を危険にしたリヴィへの申し訳なさもあるのだろう。

 けれど、それをリヴィは否定する。


「勝手なことを言うな。誰がそんなことを頼んだ」

「——ッ!!」


 否定の言葉に身体を震わせるシャーリー。ここにきての拒絶は傷ついているシャーリーの心にとっては絶望そのものだ。

 だからこそリヴィはシャーリーの心の傷すらも否定する。

 アンリにしていたように、優しく労わりながら小さなその頭を撫でた。


「リヴィ……?」

「アンリのことを教えていなかったのはこっち。責任はこっちにあるし、アンリを守ることは俺の役目。その責を負わせるつもりは無い。勘違いしないでくれ。これは俺たちが望んで決めた戦いだ。その想いにシャーリーであっても入らない」


 強い拒絶。けれどもそれはシャーリーにとって何とも優しいことか。

 厚くボロボロになったリヴィの手から感じるのはシャーリーを想う暖かな気持ち。傷ついた心に深く染み渡り、ようやくシャーリーの顔を綻ばせる。

 優しき温かみのあるリヴィとアンリが気に入った笑顔だ。


「それに一人より二人。二人より三人って仲間を求めたのはシャーリーお前だぞ。もう俺たちは一蓮托生だ。一人で行こうとするなんて許さないし、アンリだってお前を説教だ」

「それは怖いね……。仕方ない、わたしも怒られたくないし一緒に行こっか」

「そうと決まれば、事が起きる前に取り戻さないとな」

「うん。でも大丈夫? 敵は遥かに上だよ」

「分かってる。その程度で揺らぐほどあの日誓った俺の魂は脆くないぞ」


 実際のところ不可能に近い。

 それでも、リヴィは抗う。格上と戦うのは慣れているし、絶望なんて日常茶飯事。そこでも笑えるだけの強い魂がリヴィにはある。

 思い出すのは【あの日】誓ったこと。

 ———【おひさま】を求めて神に叛逆する。そしてアンリと一緒に【おひさま】を見る。あの日、アンリと誓ったその決意は揺らぐことはない。


「アンリとの約束だ。一緒におひさまを見るってな。だから絶対に連れて帰る。その日を手に入れるまで、俺は歩みを止めたりはしない」

「うん。じゃあ、わたしもそこに入るよ。いいでしょ? わたしたちは一蓮托生なんだからさ」

「もちろん。人数は多い方が良いしアンリだって喜ぶ。全員で【おひさま】を見るぞ——」


 二人、笑顔を見合わせて誓う。あとはその間にアンリを入れるだけ。

 ——誓いの為の戦いを始める時が来た。

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