3-4 切られた火蓋

「そういえば、二人とも。さっきも言ったけどもう少し落ち着いた方が良いと思うよ」

「はんへへふは?」

「こんなに盛り上がってるのに落ち着く必要ないだろ」

「だって、【月霊祭】の本祭はまだなんだよ? ここからもっと盛り上がるって言うのに、最高潮から気分が下っていくなんて嫌でしょ」

「「え――」」


 飴を咥えながら言ったシャーリーの言葉に、口いっぱいに食べ物を詰め込んでいたアンリと両手に抱えた沢山の屋台料理や装飾品を落としそうになったリヴィ。

 およそこの場にある誰よりも楽しんでいるであろうこの二人はとっくに【月霊祭】が始まっていると思っていたのだ。

 言われてみればと周りを見渡す兄妹。確かにみんなは楽しんでいるが、二人ほどがっついてはいなかった。


「ありゃ、気づいてなかったの? 主役がいないのに【月霊祭】を始めても意味ないじゃん?」

「主役……ですか?」

「そ。——大きくて綺麗な我らが主役」


 そう言ってシャーリーは指を天に向けたところで、二人もようやく気付いた。

 地上が見たことのないほど明るかったから忘れていたのだ。今の空に【月】は上がっていない。

 【月霊祭】は【月】の誕生を祝う日だ。ならば当然、【主役】がいなくて祭りが成り立つわけがない。


「完っ全に忘れてた……」

「あははっ! まぁこれだけ街中が明るかったら忘れちゃうよね。でも、本番はもっと明るくなるよ! 霊法をちょちょっと弄って空に光のお花いっぱいに咲かせるんだ。その明るさと言ったらもう、それこそ【おひさま】にも負けないくらいだと思うよ!」

「わぁ!! そうなんですか!? それは楽しみです!!」

「それは是非とも観たいな……!」


 【おひさま】に憧れ、それを観るために今を生きている二人だ。【おひさま】に負けず劣らずの光景が観られるとなれば、心は高揚感に包まれた。


「四方の櫓の鐘が鳴ったらその合図。そこからはもう大盛り上がりだから、人の勢いに腰抜かさないようにね!」

「はい!!」


 心を躍らせながらリヴィたちは南の壁の櫓を見上げる。ジャンブル中が今か今かと待ちわびていた。

 【月】が上がるまであと五秒。


「四!」


 どこからか野太く響く男性の声。


「三!」


 快活なシャーリーの明るい声。


「二っ!」


 ニコニコと自然と満面の笑みを浮かべたアンリ。


「一!」


 楽しさを堪えられないリヴィのカラッとした声。


「「「ゼロ!!!」」」


 ジャンブル全体、誰もが天に腕を掲げての合唱。

 七芒星の【月】が煌びやかに現れる。

 その瞬間。

 石が破砕する鈍い轟音と共に四方の壁全てが櫓ごと


「え……?」


 小さく漏れ出たアンリのその一言は、ジャンブル全員の心を代弁していた。

 光の矛はゆっくりと浮かび上がり、その衝撃でガラガラと壁が崩れる。

 矛が無くなり、縦に空洞となった壁の向こうに見えるその無垢に白いその姿。右手に収まった巨大な矛。

 こちらを睨みつける赫き単眼は、紛うことなき下級下位隷機エンジェリアだった。

 その下からは、大量の尖兵アンダーがこれでもかと押し寄せてくる。

 リヴィは急いでアンリを自分の体に寄せた。


「きゃああああああ!!」

「なんで隷機ミニステラがいるんだよぉぉぉ!!」

「誰か助けてくれぇぇぇぇ!!」


 阿鼻叫喚。あれほどあった喜の感情が完全に消え失せている。

 我を失い、誰よりも早く駆け出そうとする人々を見てリヴィの心は焦り出す。

 街に閉じこもっていれば、直接隷機を観る機会なんてほとんどやってこない。ジャンブルの中には今初めて隷機を観たという人もいるだろう。

 それはつまり、隷機にとっては格好の餌食ということだ。

 六百年前の再現。【魂喰らい】が始まる。


『————!!!』

「いや、やめ……!!」

「ああ、あ、ああああああ!!」

「マズいぞシャーリー……!! 住民たちの心が……!」

「この不自然な発生に殺意の高さ……。また【福音教】……! まさかこんな短期間でやってくるなんて……!」


 一つ、また一つ。怯えは伝染し、恐怖に飲み込まれた人の魂がエンジェリアへと吸い込まれていく。

 残ったのは抜け殻となり倒れた死体だけ。

 四方が同時に崩壊したのだ。リヴィたちが今見ている光景は街中に広がっている。


『——ジャンブルの住民の皆さんまずは落ち着きましょう。今から結界を張ります。心を乱さず、深呼吸をひとつ。周りを見れたら、近くにいるギルドの係員の指示に従ってください』

「この声、ライラか!」

「さっすがギルド! 対応が早い!」


 霊法第三章【ウィンティア】の応用によって、ライラの声が風になってジャンブル中に響く。

 次いで巨大な光の壁が崩れた外壁を補填するかの様に現れ、やがて宙も含めてジャンブル全体を覆っていく。壁に遮られ、これ以上尖兵らは入ってこれなくなっていた。

 ギルド専用結界霊法【静寂の壁シレンシア】。下手に悪用されぬ為にギルドの役員のみに伝えられるその霊法は、単体で使えば鉄の盾ほどの強度しかないが束ねることによって霊力が続く限りこうして絶対不可侵領域を作り出す。

 脅威が去ったわけではないが、一転して訪れた安寧の帳。

 何も分からず右往左往して混乱していた人々にとってギルドの対応は何よりの効果をもたらした。


『結界によってこれ以上の敵は入ってきません。【叛者レウィナ】は総員、戦闘を開始してください。器物の損害は二の次、人命を優先に。そして、金級ゴールド叛者にして称号持ちの【暴虐姫】のシャーロット・ディエスイラ』

「わたし!?」

『その力をもって勇気を与えなさい』


 シャーリー一人に告げられたその信頼の言葉。【称号持ち】は人類希望の証。残った恐怖を取り除き、士気を上げるには最適の人物だ。

 その信頼に応えるべく、凄惨とも取れる笑みを浮かべてシャーリーの心は燃え上がった。それに応じて【踊り子の地鳴りテラトリクス】が展開される。

 リヴィもそれを見て、後ろ腰から短剣を一本抜き放った。

 

「りょーかいライラ! 【福音教】もろとも、全部ぶっ壊してあげるよ!」

「ああ! 槍はないが、全員で戦うならこれで十分。悪いけどアンリ、今は俺たちに——」


 戦闘準備に入り、連れて行くべくアンリに視線を向けたところでリヴィの体が一瞬にして凍りついた。

 アンリの様子がおかしい。


「うぅぅ……! はぁはぁ……!!」

「アンリ!?」

「アンリちゃん!? ちょっと大丈夫!?」

「だ、大丈夫で……す……。れ、霊力が思う様に――カハッ……!」

「――ッ!! 霊力が抑えられていない!?」


 アンリが喀血し、リヴィのクロークが赤く染まる。血の気は引き顔面は蒼白。

 一方で、アンリの全身を覆うほどに溢れ出てしまっている霊力の勢いたるやなんと皮肉なことか。があっても抑えられない過剰な霊力がアンリの肉体を傷つけていた。


「なんでこのタイミングで……! これだけ傷ついてたら、下手に発散させることも……!」

「リヴィ! とりあえずリヴィはアンリちゃんを安全な場所に連れて行って!」

「ああ! 悪いけど、そっちのことは任せた!」


 短剣を仕舞い、寒気に震えるアンリを温めるようにギュッと抱きしめその小さな身体を優しく抱えて駆け出すリヴィ。シャーリーもそれを見送って自分の持ち場へと向かった。

 ごった返す人込みの中、まともに進んではたどり着けない。リヴィは【駆動廻希エクタシス】発動させ、屋根伝いで最速で【暴食亭】へと向かおうとした。


「はぁはぁ……! に、兄さん……。私に構わないでいいですから、まずは敵の方を……」

「馬鹿! アンリがこんなに苦しんでるのに放っていけるか! お前が無事でいてくれることが俺の生きる理由なんだから……!」


 誰にも邪魔されない宙。

 時間はそれほどかからず、【暴食亭】が見えてくる。衝撃を与えない様に優しく地に降りて、中に入ると慌てたミーシャが奥からやって来た。

 いてくれて良かったと、リヴィは安堵する。


「リヴィ! アンリ! 無事だったかい!」

「あぁ……。でも、アンリが霊力の過剰供給で体に負担がかかりまくってる。部屋で休ませたいから、アンリを見ておいてくれないか? 俺は蔓延るクズどもを狩りに行くから。アンリの安全は何としても確保しないと……!」

「そ、そいつはいいけど病院やギルドに連れて行かなくていいのかい!? かなり状態が悪いみたいじゃないか!」

「そこに預けられるのなら俺だって預けたいさ。けど、【白忌子シニステラ】であるアンリを安心して休ませられる場所は【暴食亭】しかないんだよ……! ここなら差別しないでくれるおかみがいるから……」

「――ッ! 分かったよ……! アンリのことは任せな!」

「ありがとう……。この恩は絶対に返すよ!」


 そうしてミーシャはアンリの看病をすべく道具を取りに奥へ。

 リヴィは二階の部屋に行き、優しくアンリを寝かせて口元についていた血を拭った。


「アンリ大丈夫か?」

「は、はい……。兄さんのおかげで少し楽になりました……」

「良かった……。——いっそのことここでずっと一緒にいたい。本当だ。街の奴らよりも俺はアンリのことが何よりも大事だからな。でも……」


 ベッド脇にしゃがみ込み、自愛を込めて自分の温度を与える様に冷たいアンリの頬を撫でる。

 大きくごつごつとしたリヴィの手のひらに暖かさを感じながらアンリは兄の葛藤を読みとって、小さく優しい笑みを浮かべた。


「分かってます兄さん。シャーリーさんは大切な仲間ですからね。【福音教】たちを相手に一人で戦わせるわけには行きません。私は今こんな状態ですから、私の分まで助けてあげてください」

「アンリ……。ありがとう、行ってくる……! アンリの安全と俺たちの日常を取り戻す為に!」

「はい。終わったらまた改めて【月霊祭】楽しみましょう。きっとその時には全部解決しているはずですから……」


 リヴィの手をぎゅっと握り、満面の笑みでリヴィを送り出そうとする。

 やがてアンリは痛みに呻きながら意識を遠のかせ、身体を落ち着かせに入った。

 小さく冷たい。けれど心に伝わるその温かさ。リヴィの葛藤は吹きとび、勇気を貰って立ち上がる。

 備え付けていた予備の槍を握ると、貰った熱が槍に伝導していくようだった。


「いってきます」

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