1-2 絶望への抗い

 液体が形を成し節足の四本脚が出来上がった。その上部には人の様な上半身が接続されていて、脚と一体となっている。人と節足動物を無理やり繋げたような異質で気味の悪い体躯。

 滑らかだった質感は消え失せ、代わりにアンダーよりも遥かに硬い外殻が無骨に形成。四本脚は槍のように鋭く、上半身は装甲を帯びて両手には二本の矛を持っていた。

 生まれた顔には赤く光る単眼がこちらを怪しく睨む。

 これが隷機ミニステラ。脚一本ですら人の身を超えており、放たれる威圧感で怖気が走りそうになった。

 否、既にこの場には怖気づいている者がいた。


「——がぁぁぁぁ!! や、め……!! わたしは……! しにたく——」

「兄さん!!」

「あの商人か!!」


 背後にいた馬車の中から野太い絶叫が二人に届くも、振り向く間もなくその声は止む。

 その代わりと言わんばかりにリヴィたちの頭上を、揺ぐ薄青色のモヤの様な塊——商人の魂——が通って隷機の胸に運ばれ消えていった。

 馬車に残ったのは抜け殻となった男の身体だけ。

 あれこそが隷機の最大の特徴【魂喰らい】。

 隷機は下級下位から上級上位まで九つの階級で分けられているが、怯えを抱いた瞬間にどの隷機であっても例外なく【魂喰らい】は行われる。


「くそ……! やるしかないか……!」


 一瞬で一つの命が奪われたことに、リヴィの心も怯えそうになる。

 目の前に隷機は一番弱い存在である下級下位エンジェリア。それでも下手を打てば【霊法】を十分使える者であっても容易く屠られる。

 だからこそ、一ノ章しか使えぬリヴィにとっては常に難敵。霊力も尽きかけている今となれば尚更だ。

 だが、この場には守るべき存在アンリがいる。リヴィが動かない理由はどこにもない。

 槍から荷物を降ろし、戦闘態勢へと移るとギチギチと深い音を立てながらエンジェリアも脚を曲げて矛を立てた。


「アンリは木の陰に隠れていろ! 奴の認識から外れるんだ!」

「兄さんは!?」

「アイツをここで破壊する……!! アンリは紐は解かずに霊力がある程度戻れば援護を頼む!」

「……分かりました! 兄さん、気を付けてください!」

「アンリも無理するなよ! 自分の体優先!」


 紐を外せば過剰供給されてすぐに霊力は溜まるが、ゼロからの過剰供給は身体への負担が激しい。倒れない為に遅々として戻さないといけない以上、アンリは今すぐ力にはなれない。そのことにほぞを噛みながらも、リヴィの邪魔にならぬ様この場から離れるアンリ。

 背後で軽い足音が己から離れていくのを聞き、リヴィも行動に移す。


『深淵に仇なす魂の叫び。矮小なるこの身に無垢なる未来を脈動させ続け給へ。霊法一ノ章【駆動廻希エクタシス】』


 なけなしの霊力を全開で回し、全身を強化。霊力が空になるまでそう時間はかからない。

 取れる手段は短期決戦のみ。後のことは考えない。

 それに、難敵ではあるがエンジェリア程度なら屠った経験はいくらでもある。

 左腕を曲げて前に出し、槍を持った右手を後ろに回して腰を落として戦闘態勢に入った。


「いくら隷機とはいえ、【月】の下と【神よけの陣アンチエリア】の範囲内なんだ。いつもよりは弱体化しているはずだろ?」


 【月】。

 六百年前、神によって行われた人類滅亡の際に奪われた【おひさま】の代わりに、七人の大賢者が大陸の七か所に結界の基点神よけの陣を作り、繋げた【おひさま】代用結界装置。

 砂時計で言う十六の目盛りに来るまで空に照らされ続けるその【月】は、気候の変動などの【おひさま】の役割をそのまま引き継ぎ、神をこちら側に来させない様に空の向こうへと封印する役目も担っている。

 その代わりに対神への出力を全振りしているせいで下僕たる隷機ミニステラ以下は【向こう】から自在に降りて来られる。それでも、影響は受ける為に【月】の下では隷機の出力は格段に弱くなっているはずなのだ。

 別を言えば神を封印し続けるために、封印以外の【月】の効果を消して力を蓄えるさせる――【夜】では出力が上がるということなのだが、それは今気にすることではない。

 現在の互いの状況だけを見ればほぼ五分。顔を和らげながらも腹に力を籠め、地を踏みしめる。右手で持った槍を後ろに下げ、左手を前に出して構えた。

 ガシャガシャと猛スピードでエンジェリアが迫ってくる。出力が弱かろうと、その威圧感たるやまさしく絶望が押し寄せてくるかの如く。

 仮に重厚な鎧を付けていようとそれは容易く壊されるし、繰り出される攻撃は激烈そのもの。

 それでも怯えは絶対に許されない。


「ここから先は絶対に通さねぇよ!」


 心に喝を入れ、エンジェリアに向かって疾走。全神経、全感覚集中。これまで以上に全身を駆動させる。でなければ死ぬだけだ。

 そんなリヴィの考えを嘲笑うかのように、いち早くエンジェリアがやってくる。

 エンジェリアは脚を一本折り曲げ、力を溜めて――放った。


「グッ――!」


 バシュッと空気を貫く音を察知。と同時に体を地面に着くくらいかがめて、右手の槍を肩から背に流して脚を逸らす。

 甲高く耳障りな金属音が背から鳴り響く。ビリビリと重い衝撃が走り、全身が震える。気を抜けば腕ごと吹き飛ばされそうだった。

 そうはさせるか――と歯を食いしばり、体をずらしながら槍を振って弾かせる。エンジェリアの態勢が軽く崩れた。

 二波の横なぐりの脚を後方宙返りで躱し、奴の胸にあるがら空きの隷核目掛けて突貫。

 この一撃で――


心臓隷核、貰うぞ!」


 甲高い金属音が鳴り響く。

 槍の一突きは胸の前で両の矛を交差されたことで防がれた。

 急所はそう簡単に取らせてくれない。


「ガ――ッ!」


 エンジェリアは軽く矛を振って俺を弾き飛ばす。まるでおもちゃ遊びだ。

 リヴィは己の全速力以上で吹き飛ばされ、街道を抜けた森の地面と勢いよく叩きつけられた。そのままに二転三転。それ以上に転げまわり、大木に激突。

 胸が詰まって息が出来なくなる。


「ちったぁ……落ち着けよ……!」


 木を背によろよろと立ち上がった途端に、木々を薙ぎ倒しながら駆けてくるエンジェリア。【反しの森】とは、大木だらけの為に隷機たちが行動しにくく入りにくいことからその名が付けられているのだが、強靭な力の前には些細な邪魔者でしかない。

 事実、エンジェリアの巨大な右矛は一瞬たりとも止まることなくリヴィに向かって薙いでくる。

 それを横っ飛びで躱す。矛は何の抵抗もなく背後の大木を斬り倒した。

 すぐに態勢を整え死角になっている脚下へ行こうとするが、近づかせまいと脚槍がその場を薙ぎ払う。

 轟ッと風を切り裂きながら顔面へと迫る。


「っぶな!」


 本能で槍を胴体の前に差し出し、脚槍を受け止める。が、衝撃で吹き飛ばされ、ついでに衝撃が貫通してきて腕も体の中も思いっきり痺れた。

 けれど、命が終わるよりかはマシ。

 衝撃による浮遊が終わり、地面に両脚と槍を突き立て今度は倒れないようにする。続けてまた突貫。

 たった二撃。数舜の接触で体はボロボロ。それでも弱いリヴィは、命を賭して前に進むしかない。活路はそこにしかなく、そこに至る為に今ある力を極限まで磨いてきた。


「時間はかけてられない。さっさと終わらせる……!」


 痺れる全身を意識から外し、視界と意識をエンジェリアに集中。

 リヴィを近づけまいと二本の脚槍が絶え間なく突き出された。たったの二本の槍なのに、その連撃で槍衾が形成された気分だ。

 だけど、それがどうした。


「シッ、シッ――!」


 鈍く響く音の連続。突き出され続ける脚槍を、槍とガントレットで流し体捌きで避けていく。

 ――回避は最小限。致命傷だけを避けろ。

 ――目を凝らせ、思考は反射に任せろ。

 ――足りない分は、勘で何とかしろ。

 体の横を脚槍が貫く。胴体を掠めて血が飛び散り、突き刺すような痛みが全身に走った。

 ――無視しろ。

 一瞬一瞬と体中に傷が出来ていく。

 ――無視しろ。

 躱して、弾き、躱して、弾く。回避と防御を同時に行いながらリヴィは付け根へと攻撃を入れていく。その度に腕が痺れるがそれも無視。

 その英断が小さくはあるがちゃんと傷が刻んでいく。

 いくら攻撃しても怯まないリヴィを煩わしく思ったのか、殺意以外の感情がないはずのエンジェリアが苛立つように両矛を思いっきり振り上げる。

 ――ここだ!

 振り下ろしと同時に槍を構え、リヴィは衝突した刹那に力を抜いて勢いを横に流した。矛の威力と地面への叩きつけで草が飛び散り、亀裂が入る。

 リヴィは埋まった矛を槍で抑えて基点にして、宙に飛び上がって転身。

 もう一本の矛が急速に戻り、エンジェリアは胴体を庇うが——


『【燃ゆる刃ロンファイア】!!!』


 木の上から飛んできた複数の炎の刃がエンジェリアに着弾。身体が大きく揺らぎ、矛が横に弾かれる。

 リヴィの視界に小さな赤い姿がよぎり、大きく笑みを浮かべる。


「愛してるぜアンリ!!」


 眼前には守るモノがなくなった胴体隷核が。

 槍もボロボロ。壊れてないのが不思議なくらいだ。

 ――ここまで付き合ってくれてありがとう。

 ゆっくりと時間が引き伸ばされたような景色の中、渾身の一撃をその胸に。


「これで終わり――」

「――うぉぉぉぉ!! ぶっ潰れろぉぉぉ!!」


 槍が胸を貫くその直後。

 力強くも鈴の様に可愛らしい女性の激昂が上から轟き、激しい破砕音と共に

 脚が完全に折れ曲がり、巨躯は沈む。地が円形状に抉れ、余波の風がリヴィの肌を叩きつけた。


「え……?」


 宙にいたリヴィは突然のことに呆けることしか出来ない。理解がまだ及んでいなかった。

 地に着くと、霊力が空となり強化が終わる。力の抜けた体を槍で支えながらリヴィはエンジェリアに佇むソレを見上げた。

 土煙の向こうに見えるソレは、エンジェリアどころかリヴィよりも小さそうに見える。

 ソレは右脚で土煙を払い、リヴィに向けてぶんぶんと手を振った。


「やぁやぁ! 大丈夫かい傷だらけの君! もう安心して良いよ! コイツはわたしが完全に破壊したからね!」


 粉砕時の激昂とはまるで真逆に放たれた、明るく陽気なその声。

 それに対してリヴィは――。


「は……?」


 またもや何も理解できていなかった。


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