隣りに住む幼馴染は推し活をしたいらしい

かきつばた

そして彼女は不意打ちをする

 春眠暁を覚えず。

 初めて学んだとき、俺は深い感銘を受けた。

 確かに、春の眠りは気持ちがいい。そもそも、睡眠という行為自体がこの上なく心地のよいものなのだが。

 ……さすがに、趣味は寝ることです、とまではいかないけれど。


 ともかく、朝の睡眠は俺の人生の中で最も大事にしている時間のひとつで――


「大変なんだよ、じゅん!」


 耳元で甲高い声がすると同時に、強く身体を揺さぶられた。

 あまりにも暴力的過ぎる意識の覚醒。うっすらと目を開けば、間近に隣人の顔があった。


 北條由梨音ほうじょうゆりね、愛くるしい顔立ちと明るい性格が人気らしいが、こんな天災じみた起こし方をされると本当に疑わしい。


「……お前、俺のこと、ドラえもんか何かだと思ってるだろ」


「なんで? そんなことないよ」


 例の漫画で一番ありがちな導入と、今の状況は酷似している。

 残念ながら、この女の問題を解決できる道具なんて持ち合わせていないが。


「帰れ、帰れ。勝手に上がりこんで」


「おばさんはいいって」


「百歩譲って家にいるのはいいとして、部屋にまで入ってくるのはやりすぎだろ」


「だって、それは……うん、確かに悪かった。ごめんね」


 しおらしい態度に、俺は続ける言葉を失った。

 悪気がないのはわかっている。たぶん事態が切迫しているんだろう……少なくとも由梨音の中では。


「で、用件はなんだ。朝っぱらから、人の快眠を邪魔して」


「もう十時過ぎてるよ、純。寝すぎだって」


「……マジで」


 言われて時計を見ると、確かに彼女の言う通りだった。

 春休みといえど、さすがにここまで自堕落なのは自分でもどうかと思う。

 

 気恥ずかしさをごまかすようにそそくさと起き上がって、改めて幼馴染に向き合う。

 何か出かける用事でもあるのか、ウチにくる格好としてはどこかオシャレに見える。


「どっか行くのか」


「うん、女子会」


「わざわざそれを報告しに来てくれたのか。ありがとうな、じゃ」


「待て待て。んなわけないでしょ。どうして、あたしの予定をいちいち純に言わないといけないの」


「それもそうだな」


 無理やり会話を終了させようと思ったが失敗した。

 ぶっちゃけ、寝起きなのに加えて過剰睡眠でかなり頭が重たいのである。


「あのね、推し活ってわかる?」


「まあ言葉は聞いたことある。なんかあれだろ、自分の好きなものを布教して回るみたいな」


「そうそう、そんな感じ。それをね、やるの」


 きりっとした顔で、我が幼馴染は言い放った。その堂々たる様は、本当に久しぶりに見る。


 ……日頃から思うが、由梨音は言葉足らず傾向だ。

 特に今の状況だと、非常に理解に苦しむ。


「ええとね、みんなで推し活バトルしようって」


「おしかつばとる……」


「うん。最近のお気に入りを持ち寄って、ひたすらにお喋りするわけよ」


「それをバトルと称するのはどうかと思うが……まあいいや。でもお前、そういうの疎くないか」


 由梨音はあまり漫画やゲームなどは好まない。正確に言うと、自分からいろいろと漁るような人間ではない。話題作や勧められれば、さわりはするが大ハマりすることはないといった感じ。


 そんな彼女が推し活だなんて、いったいできるのだろうか。幼馴染でありながら、未だにこいつのこだわりはよく知らなかった。


「うん、そうなんだけど。でも、昨日ようやく推しを見つけた!」


「ほうそれはすごいな。で、それはいったいなんなんだ?」


「おだのぶなが」


「……は?」


「だーかーらー、織田信長!」


 ややムッとしながら、由梨音は同じ言葉を繰り返してくれた。

 初めから聞こえてはいた。ただ、あまりにも結びつきが弱かったのだ。

 ちなみに、由梨音は日本史の成績はあまりよくない。


 まあしかし、昨今の界隈では戦国大名がキャラ化しているのなんて珍しくもなんともない。しかも織田信長といえばなおさら。

 だから、こいつがハマったのもその類いのものだろう。まさか純然たる織田信長を今更推したりはしないだろう。


「どの作品の織田信長だ?」


「作品って、織田信長は一人しかいないでしょ」


「……いや、まあそれはそうなんだけど。元となった人物は一人でも、今は色々なキャラがいるじゃんか」


「そうだけど、あたしが言ってるのは原本。原本織田信長」


 げんぽんおだのぶなが。

 とんでもないパワーワードが出てきたな。こう言うからには、教科書に載ってるおひげが素敵なナイスガイのことを指しているのだろう。


 まさかだった。おかげで、思いっきり目が覚めた。


「……最近、日本史の勉強したか?」


「うん。宿題をしょーしょー」


 少々って、期日までに春休みの宿題は終わるのだろうか。泣きついてきた日は、結局一科目もまともに終わらなかったのに。


 しかし教科書レベルのエピソードのどこにドハマりする要素があったんだろう。あんなの、彼の逸話の一部分にすぎないだろうに。

 というか、織田信長なんて付き合いは長いはずだ。始まりは小学校の社会。そうでなくとも、しょっちゅうテレビとかで話題になのに。


 由梨音の頭のネジがちょっと外れ掛けてるのは今に始まったことじゃない。

 むしろ今回は、振り回されるのが自分じゃないことに安堵しよう。


「いやぁ、やめといたほうがいいんじゃないか。織田信長について力説されても、周りは困惑するだけだろ」


「ええ、そうかな。でも、りさっちは『アンタの好きなものならなんでもいいよ』って、言ってくれたよ?」


 りさっちもまた、幼馴染の一人だ。その付き合いは小学校にまで遡る。だから、由梨音にとっては一番仲のいい友達だろう。

 俺の方もまた、北條由梨音被害者の会という同盟を組んでいる。あいつもまた、結構由梨音の自由奔放さに悩まされてきた。


 まあ、たしなめるのはこれくらいでいいだろう。こうと決めればてこでも動かないのが、北條由梨音。そのことは、りさっち——理沙りさだってよくわかってる。


「でさ、なにかグッズとかない? いろいろと調べはしたんだけど、やっぱ推し活といえばグッズでしょ!」


「俺、日本史好きとか織田信長マニアだって話したか」


「ううん、聞いたことないけど、もしかしてそうなの?」


「いや違う」


「なーんだ」


 おそらく、今のは地球上でもっとも不毛な会話のひとつだ。

 由梨音の頭の中がどうなってるかを確かめようとした自分が愚かだった。

 

 目前にしてこんなことを言い出すなんて、本当に不安になる。まあ、梨沙がいる会なら大丈夫か。

 たぶん、もとよりろくでもない会なのだ。類友じゃないけど、理沙もまた普通の女子とはどこかずれてる。


「……ゲームならあるけど」


「ホント! じゃあそれでいいや」


「絶対、お前のやろうとしてることは推し活じゃないからな」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ!」


 根拠のない言葉と共に、幼馴染は俺の部屋を飛び出していった。

 嵐のような一幕にくたびれて、つい二度寝をしたい気分になる。


 まあ、別にひどいことにはならないだろう。

 そう切り替えて、机に積んでおいた本の山に手を伸ばした。

 最近は古典的なミステリーにハマってる……これを由梨音に勧めるのが、推し活の一番の凱だったかもしれない。



 後日理沙から聞いた話によれば、最終的に由梨音は俺のエピソードを散々ぶちまけてくれたらしい。

 なぜそうなる……。果たして、原本信長はどこへ行ったのか。


 相変わらず、俺の幼馴染な隣人はよくわからない。

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