あの部屋の景色

飛烏龍Fei Oolong

1話

「ええ、来週から異動になりました。準備もあるので、ここに来るのもこれで最後になります」


 そう言うと、寺田麻衣子は白衣の胸ポケットからペンを取り慣れた手つきでチェックリストに必要事項を記入していった。体温は安定しているけど、脈拍が少し乱れている。

あとで担当の看護師に伝えておこう——そう思いながらリストをベッド脇に戻し、麻衣子は視線を上げた。

 春になったとは言え外はまだまだ寒いし日の入りも早い。西向きの窓からは、既にやわらかな茜色の光がレースのカーテンを透かして流れ込んでいる。カーテンが空調で揺れるたびに、床に映る影がくるくるとその形を変えていた。

白を基調とした病室は全体がセピア色に彩られていて、壁もシーツも綺麗に活けられた花も、古めかしいブラウン管のテレビも、今麻衣子の目の前で優しく微笑んでいる皺が刻まれたその顔も、全てが古い写真からそのまま抜け出したようだった。今は自分もその写真の一部になっているかもしれない、と麻衣子はふと思った。


「そうかい。まいちゃん先生が居なくなると俺も寂しくなるな」


 ベッドに座る老人は少し残念そうに眉を下げながら、しかし穏やかな声でそう言った。かなり旧式のベッドにはリクライニングはなく、老人は枕を背中に置いて身体を支えて座っている。喋るたびに肉の少ない喉がせわしなく動いているのが見て取れた。


「私も、妹尾さんに会えなくなるのは寂しいです。前々から打診はあったのでいつかは、と思ってたんですけど。思ったより早かったですね」


 麻衣子は近くにある、これもまた古めかしい丸椅子をベッド脇に持ってきて、妹尾の目線に合わせるように腰かけた。妹尾は麻衣子の目を見て少し微笑んでから、小さく何度もうなづいた。


「良い事じゃないか。まいちゃん先生の頑張りが認められたって事なんだろ?俺はお医者さんのお仕事はよくわからないけど、先生が頑張ってるのはよくわかるよ」

「妹尾さんにそう言ってもらえるとほっとします。まあ、本当に場所が変わるだけで立場は今とほとんど変わらないんですけどね」

「そんな卑屈な言い方するもんじゃないよ。自分の出した結果はちゃんと受け止めなきゃ。それが悪い事でも、良い事でもね」


 妹尾は手を伸ばし、麻衣子の手にそっと乗せた。妹尾の手は冷たくて骨張っていてかさかさしていた。しかし麻衣子にはその手は何よりも温かく、柔らかく感じられた。麻衣子は乗せられた手に自分の手を重ねて「ありがとうございます」と小さく言った。



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