第33話 別の未来(ラファエル視点)



 ダグラスはこのまま私の預かりで、一度私の離宮へ連れて行くことになった。そのためこの場に長居することは出来なくなってしまった。


「ごめんね、ココ。きみと一緒にバザーを楽しみたかったのだけど……」

「謝らないでください、エル様。ダグラスを騎士へ育て上げようというエル様のお考えはとても素晴らしいものだと、わたしも思います。彼が騎士の制服を着た立派な姿が、今からとっても、とっっても、ほんっっっとうに!! 楽しみですからッ!!! あの、ちなみに騎士の制服って白でしたよね? ね??

 それに『星月夜の宴』は来年もあるのですから。楽しみは次に取っておきましょう!」


 ココは嫌な顔一つせず、私に対する不満も口にせず、私へダグラスを騎士にすることの真意を尋ねたりもせず、ただただキラキラ輝く視線を向けてくるだけだ。その頬は薔薇色に上気していた。


 なんて心の広い女の子なのだろう……。私の胸の奥が甘く締め付けられる。


「ありがとう、ココ。……あと、この焼き菓子もありがとう」

「はい。クッキーです。花の形にしましたの」


 先程渡された紙袋をそっと開ければ、甘いバターの香りと共にチェリーブロッサムの花の形をしたクッキーが現れた。五枚の花びらが開いた形のそれはきれいな狐色をしている。ブロッサム侯爵家の紋章も確かこの花だった。


「上手に焼けたね。王宮で出てくるクッキーと同じくらいきれいだよ」

「料理長の焼き方がいいんですわ。わたしとルナマリアさまは生地作りと型抜き作業をしましたの。父も一緒に」

「ずいぶん賑やかだったんだね」

「ええ、レイモンドがドワーフィスター様と仲良くなれたみたいで。姉として嬉しい限りです」

「へぇ……。レイモンドがワグナー殿と……」


 前回の人生ではいがみ合っていた二人なのに、面白いことだ。そう思って傍に居るレイモンドに視線を向ければ。彼もココから貰ったクッキーの袋を開けて、ダグラスにクッキーを分けているところだった。

 レイモンドはダグラスの手に一枚一枚クッキーを乗せ、「このクッキー、僕のお義姉さまが作ってくださったんです。とっても美味しいですよっ」と笑いかけている。ダグラスの方もレイモンドに気を許したのか「……ありがとよ」と目を細めた。


「さぁエル様、召し上がってください」

「うん」


 促されるままにクッキーをかじる。サクッと音を立てて崩れたクッキーは、噛み砕く度に卵と砂糖の甘みが口に広がった。王宮で食べるものとは別の、素朴な味わいに口許がほころぶ。


「とても美味しいよ、ココ」

「お口に合ったようで良かったです!」

「残りはお茶の時間にでも、大切に食べさせてもらうから」

「日持ちはしますが、なるべく早めに食べてくださいね」

「うん、わかった」


 私の視界の隅で、フォルトが懐中時計を見る仕草をする。“そろそろ時間です”の合図だ。

 名残惜しいけれどもう王宮へ帰らなければならない。


「ではココ、また王宮で会おう。レイモンドもさようなら」

「はい。エル様、フォルトさん、ダグラス、道中お気をつけて」

「みなさん、さようなら!」


 馬車へ乗り込めば、窓の外でココとレイモンドが並んで手を振っている。

 仲の良い姉弟の姿に思わず顔をほころばせながら、私も小さく手を振り返した。





 馬車の向かいの席に、ダグラスが落ちつかない様子で腰かけている。浮浪児としてスラム街で暮らしていた彼のことだ、たぶん馬車に乗るのは初めてなのだろう。

 王都といえども道の状態が悪い場所はいくつもある。そこを通る度にくる激しい振動に、それでもダグラスの体の軸はブレなかった。……やはり身体能力が良いようだ。





 前回の人生で出会ったダグラスは、裏社会を生きる荒んだ青年だった。

 スラム街で孤児として生まれたダグラスは、その容姿の醜さから『悪魔のダグラス』と呼ばれて忌み嫌われていたらしい。

 周囲からの暴力は日常茶飯事で、生き延びるために反撃を続けていたらその内犯罪グループの用心棒になるほどの実力を身に付けてしまったそうだ。


 王太子の座を奪われ、レイモンドに匿われて城下に潜伏していたときに、私はダグラスと出会った。お互いの醜い顔を一目見ただけで、きょうまでのお互いの苦しみを理解し合ってしまう。虚しい相互理解だけがあった。


 ダグラスは私に多くのことを教えてくれた。

 醜さゆえに虐げられて生きる民のこと、彼らのうらぶれた生活、彼らがよく集まる酒場にも連れて行ってもらった。彼らの嘆き苦しみは、私が王宮で味わったものとよく似ていて、とても他人事には思えなかった。

 人の感情は、集団になると気が大きくなって増幅する。『星月夜の宴』で多くの民が笑顔を浮かべ、その幸福な雰囲気に酔うように。惨めに生きる人間たちが集まれば、その嘆きは肥大した。憎しみは深さを増し、色を濁らせ、原型を失うほどドロドロに崩れていく。


 ーーー彼らと共に、この腐った国を終わらせよう。


 憎しみが極限まで達したとき、私はそう決意していた。


 それから私は彼らと共に反乱軍を作った。

 私個人の財産が資金源となり、作戦を練るときはレイモンドの力も借りた。そして裏社会に精通するダグラスがほかの者たちにも声をかけ、秘密裏に武器も集めてくれたから、その規模はどんどんと増し、抗争は苛烈になっていった。


「テメェがなんの為に生まれたかなんて、考えたってわかんねぇけどよォ」


 王立水道施設を占拠し、王都のライフラインを壊滅状態へ陥れてやろうと制御用の水門を爆破している最中に、ダグラスは私へ語りかける。

 彼の周囲には叩きのめされた水道施設の職員たちが血に濡れて倒れていた。ダグラスの両手や顔は返り血に汚れている。


 ダグラスは本当に強かった。

 自己流だと言っていたが、スラム街や裏社会で身に付けた腕っぷしと剣術は目を見張るものがあった。もしも幼い頃からきちんとした師範に師事していたら、体術であれ剣術であれ、彼に敵うものは居なくなるのではないかというほどのポテンシャルを秘めていた。

 こんなところで燻っているには惜しい人物だと、前回の私はダグラスに対して何度も思ったものだ。


 水道施設の外から、ドガンッ! と爆発音が聞こえてくる。窓から外を覗きこめば、水門が次々に破壊され、瓦礫が落ちて茶色く濁った川の、その本流と支流の流れがめちゃくちゃになっていく様が見えた。


「虫けらみてぇに扱われてきた俺様でも、この国にちゃんと生きてたんだぜって、爪痕を立ててやれるのは気持ちがいいもんだな」


 焦げ茶色の髪が戦闘で乱れ、金色の目が濁ったように輝く。薄い唇をひくつかせるダグラスは、ひどく醜い笑顔を浮かべていた。

 そしてそのときの私もきっと、鏡のように同じ笑みを浮かべていただろう。


「そうだね、ダグラス。……その爪痕はできる限り大きく、深く、刻み付けてやろうじゃないか」

「おう! レイモンドの野郎に下流の水門を破壊する人員をもっと増やしてくれって伝えとけ、ラファエル」

「わかったよ。火薬は足りそうかい?」

「問題ねぇ。行ってくる!」


 ダグラスの歩幅はどんなときでも大きく、施設の外へとのしのし進んで行く。


 断頭台へ登る足取りだって、変わらずに大きかった。

 あの時だってダグラスは「じゃぁな、行ってくる」と私たちへ軽く声をかけ、のしのしと進んで行った。





 馬車の窓の移り行く景色に、驚いたような顔を向ける今生のダグラス。あの頃よりもずっとずっと幼い彼へ、私は思う。


 今生ではきみを救いたい。


 ……誰かを救いたいだなんて私が考えられるようになったのは、きっとココの影響だろう。

 でもダグラスが大きな歩幅で進んで行く未来に、断頭台はふさわしくないと今の私は心から思うから。

 きみに手を伸ばす。今生こそは、と。

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