第20話 正妃マリージュエル(ラファエル視点)



 ここ最近はなにかと忙しい。


 もともと二回目の人生だ。王太子教育はすでに前回の人生で一通り受けているので、そちらの方は問題ない。

 ただ個人的に、シュバルツ王の『金のクロス』について調べている為、時間を効率的に使わなければならなかった。

 そうしないとココと会える時間が格段に減ってしまうからだ。

 ココと会える時間は私の癒しだ。週に二回の王宮内でのお茶会はもはや定例化していて、ほかにもときどきブロッサム侯爵家でレイモンドを交えてお茶会をしている。


 レイモンドの記憶力は前回と同じく凄まじいものだった。一度見聞きしたことは絶対に忘れず、覚えたことを瞬時に答えられる。

 彼のあまりの吸収力に興味が引かれ、私はつい、自分の所有する書物をお茶会の度に貸し出している。そしてレイモンドも「お義姉さまとブロッサム侯爵家のお役に立てるよう頑張りますっ!」と楽しそうに受け取ってくれる。

 今回の彼はかなりのシスコンになったらしい。まぁココ相手では気持ちはわからなくもないけれど。


 最近ではそのほかに、ワグナー嬢の面会の場でもココと会っている。


 とても不思議なことなのだが、今回の婚約者候補たちはそれなりに良好な関係らしい。

 前回はもっと不穏な空気が漂っていたのだが。


 前回のオークハルトの婚約者候補である三人は、全員がオークハルトを愛していたのでお互いの足を引っ張り合っていた。

 オークハルトの前では三人ともニコニコと明るい笑顔をしていたのに、その裏では何度か暗殺未遂もあったらしい。

 ただ証拠がないので候補から外すわけにもいかず、しかも自分から三人を選んだ手前無下にもできず、オークハルトは頭を抱えていたようだけど。

 ……だから学園に入学した途端、平民上がりの教養もない男爵令嬢に落ちたのだろうか、あいつは。

 けれど今回のオークハルトの婚約者候補であるココは、王太子である私の正妃を狙っているし、ベルガ嬢はオークハルトに対して何の行動も移していない。

 オークハルトにアタックしているのは現在クライスト嬢だけなので、とても平和そうだ。

 クライスト嬢はココにも好意を向けているようだし。


 そんなココとクライスト嬢を婚約者候補に持つ私の方も、今回は穏やかだ。

 前回の私の婚約者候補たちの関係はボロボロだったように思う。

 私を嫌悪するバトラス嬢は、自身が妃に選ばれないよう冷ややかな態度であったし。クライスト嬢は我慢にがまんを重ねて暗い表情をしていた。ワグナー嬢は会う度失神するせいか、遠くから見かけた時でさえ具合の悪そうな顔色をしていた気がする。


 ……そうだ。前回の婚約者候補に選ばれた六人の令嬢は、誰一人として幸せそうではなかった。

 私の候補者三人は全員去ったし、オークハルトの候補者など全員あいつから選ばれなかったのだ。報償金やほかの縁談が用意されるとはいえ、六人全員が妃教育に費やした時間を無駄にした。なんて酷い話だろう。


 ーーー前回幸せになれたのは、オークハルトと男爵令嬢だけだったのか。


 そう思うと、私の奥底にある憎しみがブワッと膨らむような気がした。


 ……とにかく、ワグナー嬢だ。

 今回の彼女は、前回よりも私やほかの婚約者候補に関わろうとしている。

 王家への忠誠心があつく、正妃という権力を欲しがるワグナー嬢は、前回はやる気のないバトラス嬢と犬猿の仲であり、クライスト嬢をライバル視して無視を貫いていた。

 けれど今回は私の妃になる気のないクライスト嬢と犬猿の仲であり、ココを私の側妃として推して交遊関係を築いているらしい。


 フォルトの報告によると、王宮の温室で何度もココとお茶会を繰り返しているそうだ。たまにオークハルトも顔を出すのだとか。

 オークハルトがココに近づく件にはどうしようもなく苛々するが。

 まぁ、あいつはどうせ数年後にはあの男爵令嬢に落ちるのだ。今はココに『真実の愛』だなどと世迷い言を言っていても。


 とにかく、彼女たちがお茶会をした翌日には決まってワグナー嬢から面会の要求があり、ヴェールやらサングラスを掛けて会いに来ては失神するので、お茶会で三人がどのような会話をしているのか想像がついてしまう。

 大方、どうすれば私の顔を見ても失神せずにすむのか話し合っているのだろう。心優しいココと、……あの正義感の塊のようなオークハルトのことだから。


 ココの優しさは素直に嬉しい。

 私と向き合おうとしてくれるワグナー嬢には感謝する。

 だけど、どうしても。


 前世から抱えるオークハルトへの苦々しい気持ちを、私は消化することが出来ない。





 王宮図書館からの帰り道だった。

 シュバルツ王の『金のクロス』が見つかったとされる教会を特定するために、教会関連の書物を読み進めている最中だ。

 ここの書物で見つからなければ、次は民間伝承の方へ手をつけなければならないだろう。……そうなったら、クライスト嬢の協力を求めなければならないかもしれない。

 そんなことを考えながら、フォルトと共に庭園を横切る道を歩いていると。


 甲高い女の声が聞こえた。


「ブロッサム侯爵家の調査書はたったのこれだけなの!? ちっとも役立つ情報がないじゃないッ!! この役立たずがっ!!」


 ヒステリックなその叫び声だけで、その女が誰なのかすぐに分かった。


 我が母上、ーーーシャリオット王国正妃・マリージュエルだ。


 心配そうにこちらを見つめるフォルトに、人差し指を唇に当てて静かにするようジェスチャーすると。私は近くの茂みに入って、庭園の奥を覗き込む。

 季節の花々が咲き乱れる庭園に、青い屋根のガゼボが建っている。その中央で数人の取り巻きにかしずかれて座る母のすがたがあった。

 藍色に輝く髪をまとめあげ、青い口紅と青いアイシャドーで目の回りを塗りつぶした母は、顔の作りこそ整っているが、そのすべてを台無しにするほど歪んだ表情をしている。


「いったいあの色男の侯爵は、なんの企みで自分の娘を差し出そうとしているわけ? 娘に化け物へ色仕掛けまでさせて……、今まで王家の権力など欲しがっていなかったじゃないッ!」

「……ブロッサム侯爵の動向は、これからも引き続き調査を致します。ですが正妃様、現在まったく情報が上がっておりません。もともとブロッサム侯爵は中立派で、領地経営も安定しており、社交界でもとくに目立つ行動はなく……」

「うるさいわね、この役立たず! なにがこれからも引き続き調査よ!? そんなことは当たり前の前提でしょ! その上で、今の時点で侯爵の狙いに目星もつけられないような無能が! なにを! ベラベラ言い訳しているのよっ!!!」


 母は従者を畳んだままの扇で打つ。

 目の辺りをバシッと打たれた従者はそのまま頭を下げ、「大変申し訳ありません……」と苦しそうに答えた。


「それでっ、噂のココレットの様子はどうなのよ? その娘はルナマリアやミスティアのように、私の使い勝手の良さそうな駒なの?」


 母の問いかけに、今度は別の従者が身辺調査の結果について話し始める。

 ココの妃教育の成績から、教師や衛兵や侍女たちからの評価、そのほかにもココが過去に行った慈善活動についてなど、さまざまな角度からの報告だった。


「ふ~ん……」


 母は眉間にシワを寄せる。


「心のお優しい馬鹿か、特大の猫を被る悪女か……。判断がつかないわね。

 わかったわ。時間を作って一度その娘に会いましょう。スケジュールの調整は任せたわよ」

「畏まりました」

「あ~あ、それにしてもあの化け物、私に面倒くさいことをさせて……」


 化け物、と母が私を呼ぶ。


「婚約者候補は全員、私の駒で固められれば楽だったのに……。

 大方、その娘に笑いかけられてコロッと堕ちてしまったのでしょう? とても綺麗な娘だと報告が上がっているもの。これだから女に免疫のない不細工はダメなのよぉ。

 お陰でこの私が一から調べ直しよ! 化け物の癖に面倒をかけさせやがって!」


 舌打ちしながら、母の呪詛が続く。


「単なる馬鹿な娘なら私の駒にしてもいいわ。化け物にさえ媚を売れるような胆の据わった娘なら……、私の手足になる気があるのなら可愛がってあげる。そうではないのなら……ウフフ?」


 小首を傾げるようにして笑う母は、青く染まった唇を吊り上げた。


「容赦はしないわッッッ!!!」


 地獄の底から響くような声を出す母に、私はゆっくりと背を向ける。

 真っ青な顔をしたフォルトを促し、その場から離れた。





 ココを守らなければ。


 母は正妃として完璧だ。

 苛烈な言動や残虐性などものともしないほどの有能さを持っている。父である陛下は、性格など二の次で母を正妃にしたのだから。その手腕は確かなものだ。


 母からココを守らなければならない。

 母の駒にされないように、悪意の標的にもされないように。守り抜かなければ。

 ーーーいったい、どうやって?


 ふいに、焦げ茶色の髪をした青年の姿がよみがえる。彼の鋭い眼差し、粗野な立ち振舞い、荒々しい言動、そしてあの純粋な暴力ーーー……。

 前回出会えた彼ならば、ココを守ることが出来るのだろうか?


 ああ、ココ、今あなたに無性に会いたい。会って癒されたい。

 あなたやブロッサム侯爵の思惑なんてどうだっていい。権力だろうと金銭だろうとこの命だろうと、私が持っているものならなんだって差し出せる。

 なんならこの国を転覆させたっていい。ーーーどうせ前回の私はそれをやろうとした罪人なのだ。


 ココに会えない時間は、一秒だって長すぎる。

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