OSHI☆KATSU

Ray

OSHI☆KATSU



 僕はパッとしない高校生だ。

 いや、それどころかハブられているクラスの除け者と言った方が正解だろう。要素はこの生まれ持った暗い性格か、この丸黒縁眼鏡か、運動音痴のせいか、或いはその全てだろうか。

 落とした女子のペンケースを拾ってあげればチッと舌打ちされ、触った部分を袖で拭き拭きされるくらいの嫌われぶり。そんな僕でもある程度勉強は出来たから、それが僕が人間として生き永らえる唯一の糧だった。


 ただ、今、それが危ういのだ。

 僕はハマってしまった。

 そう、アイドルという世界に。


 あれは中学三年、受験シーズン真っ盛りの頃だった。身体も成長痛でギシギシと痛む上、親は勉強しろと圧迫する。更にはいじめられ登校拒否寸前の状態で悶々としていた僕はある深夜、テレビで運命の出会いを果たしていた。

 地下アイドルの新田萌こともえもえ。正統派アイドルのようにゴージャスな衣装でもない、歌やダンスも上手いわけでもない。だが僕には輝いて見えたのだ。

 アキバに通い、握手会でゲットしたサイン入り下敷をルンルンで学校に持って行ったらキモイと言われ尚更いじめられた。テレビにネットに夢中になった僕に勉強しないからと親には全娯楽を禁止された。そんなに悪いことなのか、何かに夢中になるってことは、と僕は心底傷ついた。

 それ以来僕はこの趣味のことをひた隠すようになり、普通に見える学生生活をただ粛々と過ごしていた。


 そんなある日のことだった。僕が遂に中間テストで赤点をくらい、追試を受けた帰り道、奇跡的な出会いを果たしたのだ。

『ねぇ、どうして何も言えないの。どうして笑顔になれないの。どうかわかって欲しい。これは好きの裏返しだって』

 廊下をうなだれ歩いていると、聞こえて来たのだあの神歌が。それは、もえもえのデビュー曲『乙女心は?色』ではないかっ、と気づいた時にはもう扉をガラリと開けていた。

「やあ! 君、もしかして、この曲知っているのかい?」

 爽やかな青年が目に飛び込んだ。ヲタ曲と爽やかがどうしても結びつかずしばらく静止してしまう。不釣り合いだったのだ、そのさらっと流れる髪質、硬く引き締まった胸元、小麦色の肌はアキバで見るそれとは違った。

「あ、はい……」

「ねぇ、君もしかしてもえちゃん推し?」

 その他のアキバ系男子がそう言った。

「あ、はいっ。というか、オンリーですけど」

 すると突然皆の顔色が変わる。

 え、なんか……まずいこと言ったかな……

「実は今日、聴き納めの会を行っていたんだよ」

 え……どういうこと?

 すると爽やかな青年はこう言った。


「もえちゃんはね、引退するんだよ」


 僕は、愕然とした——



 その後どこをどう歩いて帰路を辿ったのか、覚えていない。僕は部屋に居て、手には名刺のような紙切れを持っていた。

『OSHI☆KATSU』

と書いてある。

 アドレスを入力すると、惜しみなくファンタジーに溢れたアイドルヲタのマニア系サイトが表示された。

 部長:イヴァン

 副部長:セリーヌ

 マネージャー:将軍

 部員:フミヲ

 これは、名前、なのか……

 ひとりひとりの似顔絵はどう見ても今日遭遇したあの四人だった。

『OSHI☆KATSU』とは

 自分の推しをひたすらに応援する部活、略して推し活……

 こんな部活、高校にはなかった筈だが。秘密裏の活動なのだろうか。と踏んだ僕の顔にはニヤッと笑みが零れていた。

 これならバレる恐れもないではないか。あわよくば趣味の合う友達ができるという千載一遇のチャンス。

 僕は『入部』のアイコンを迷わず押した。



「ああ、やっぱり君だったか、ようこそ推し活へ!」

「もえ吉君、かぁ……」

「何だか今となっては、切ない名前だよな」

「ダイジョブダイジョブ、カワイ子ちゃんなんてまだまだ星の数ほどいるんだからさっ」

「フミヲ、キモイ」

「おいっ、キモイはよせっ、禁止用語だぞっ」

 僕は思い出をありがとう、という意味で自らの名を、もえ吉にしていた。

「あの……『あの名前』で呼べばいいんですか?」

「そうさ、仮の名だ。勿論この仲間内だけでの話だけれどね」

 仮の名、と言うんだ……

「それよりもさっ、ポストもえもえの話しようぜ。昔の女のことは忘れてさ」

「あの、もえもえはどうして引退するんですか?」

 そして沈黙が迸る。僕はこんな仲間をも黙らせる力があるようだ。

「男、だって」

 するとセリーヌが口火を切った。

 ああ、そうか……と眩暈が襲う。

「一般庶民には知る由もなかっただろうね」

 将軍は情報通の仕草で得意気に携帯の画面を見せた。もえもえファンに手を出しオワコン草、というスレッドに更に意識が遠のいた。

「時に君は、たまぴよアイドルお披露目会には行かないのかい?」

 そんなもの存在さえ知らない、という顔を僕はしたようだ。将軍はニヤリと笑い鞄からごそごそと何かを取り出した。

「こんな時の予備チケだ。一緒に行こうぜ、もえ吉」

 それは黄金に輝くゴールデンチケットのように僕の目には映った。

「はいっ!」

 僕は高校生活で初めて満面の笑みを見せていた。



 それこそオワコンだった僕の学生生活、それは仄かに色づいたようだった。

 イヴァンはアイドルオタクと言うよりは、あの独特なダンスに魅了されたらしく、そこでやっと合点がいった。

 セリーヌは声優オタク。声優志望の地下アイドルを追っているのだそう。いつも漫画を読みながら、そのキャラに見合う声優を充てて遊んでいた。

 フミヲは相変わらず女の話、将軍はいつもネットにかじりついてニヤニヤ、そしてぶつぶつと独り言を言っていた。

 この異質な人間達の組み合わせ。

 何だか妙に居心地が良かった。

 みんなと一緒にいたいという思いで、苦手だったあのダンスの指導を受けるほど僕は、この部活にハマっていたのだ。



——そしてお披露目会当日

「なんだ、もえ吉。まだ着ていないのか」

「そうだよ、駄目じゃないか。気合が足りていないぞ」

 男性陣は既にヲタ武装全開だった。あの領域に入ることに対する羞恥心なのか、それとも恐怖心なのか、僕は怖気付いていた。セリーヌと一緒に傍観組に徹するつもりで将軍からもらった予備はバックパックにしまっていた。

「もえ吉。乗り悪い奴はたまぴよアイドルにも嫌われるぞ」

「忘れたのか? 予備なら、あるぞ」

 予備を出そうとする将軍を制し、慌てて自分のものを取り出すと、あれよあれよと言う間に僕は武装させられていた。

「ほら、始まっちゃうよ」

 セリーヌの号令で会場へ赴く。細いジメジメとした階段を下り、重めのドアを引き開ける。中は薄暗く、野郎の汗が壁にでも染みついているのではないかというほどつんとした臭いが鼻についた。

「おお、イヴァン。遅かったな」

 ひとりの法被が声を掛ける。

「やあ、みんな。新入部員を待っていたんだ。紹介するよ、もえ吉君だ」

「ははは、もえもえ推しバレバレ」

 新たな法被が会話に入る。

「そういえば今日、ポストもえもえ候補の子が来るらしいよ」

「そうそう、あかねちゃんだろ。初お披露目、超上がるよな」

 色々な法被が会話に混ざると間もなく照明が落とされた。

「お、始まるぞ!」

 皆ぐるりとステージの方を向き、一斉にリズムを刻み始める。

 むしろ法被ではない人間の方が悪目立ちをしてしまうこの中で、僕は一体感を覚えていた。

 ピコピコピコとボカロ風の曲調、さあ誰の曲だったか。まだまだ知識もダンスも中途半端な僕は見様見真似で皆に合わせる。

 それが、楽しかった。

 いつの間にか恥ずかしさは遥か彼方へ吹き飛んでいた。ワッショイワッショイとコールもすれば祭りのようで最高に、上がった。

 

 何と素敵な時間だろう、もっともっと弾けていたい。そんな思いも裏腹に、何曲目か過ぎたところで僕はもう限界だった。膝に手を付き、ぜぇぜぇと息を整える。

 すると容赦なく次のイントロが流れ始めた。その時ふと背中に手が当たる。顔を上げれば、将軍が口をパクパクさせていた。

『あ・か・ね』と言っているようだった。

 それはもえもえになり得るアイドル。精神論的作用、僕の体力はそれだけで回復した。期待に胸膨らませ、ステージが良く見えるように背伸びをする。

 すると「ワー!」と大歓声、君達前を見ているのかと疑うほどの乱舞が始まった。

 ただ、僕は呆然と立ち尽くしていた。

 イヴァンも将軍もフミヲも夢中。

 そんな中僕のペンライトは手を離れ、地に落ちる。

 その顔、その声……


 あかねは以前、僕をいじめた女子だった。



 僕はそのまま部活へ行かなくなった。

 皆には何も打ち明けていない。僕が気分を害してしまったなどと心配しているようで申し訳なかったが、無言を貫いた。

 キモイんだよお前、と罵って下敷を踏み躙ったあいつ。

「よろしくお願いしまーす♪」

と媚びを売り、笑顔で歌っていた。

 もしかしたら、もえもえだって似たような人間なのかもしれないとそう思ったら、僕の中の情熱は一瞬にして冷め切ってしまったのだ。

「出席番号12番」

 それが僕の番号だったことは、2回呼ばれてやっと気づいた。ガラガラと椅子を押し立ち上がる。

 どうしよう、全く聞いていなかった。黒板には図形が描かれている。

 赤点取ったこの科目、やばい落第とかあるのかな……

 すると背後から囁く声がする。僕はそれを復唱した。

「……140」

「ん?」

「140…度……です」

「はい、正解」

 僕は座った。

 後ろにいる子は誰だったか。後でお礼を言わないと。でも僕になんか話しかけられたら、嫌がるだろうか。

 そんなことを思っていると、チャイムが鳴った。僕は振り向く。

 その子は僕と同様陰キャな女子生徒だった。

「あの……ありがとう……」

 名前もうろ覚えだったこの女子高生。彼女は緊張する僕を見てうっすらと、微笑んだ。

 

 ドキッ


 それほど可愛いわけでもない、プロポーションが良いわけでもない。ただ、妙に気になった。

 僕を毛嫌いしないクラスメートが存在するだなんて……

 まやかしの女神をいつまでも追い続けていた僕はその時、とても大切な何かに気づいたような気がした。

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OSHI☆KATSU Ray @RayxNarumiya

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