マコトは嘘が真実。

久河央理

第1話

 ――具合を見るに、早くて今夜かと。




 アンティーク調の家具で揃えられた西洋風のオフィスから、一人の顧客が退出する。満足げな表情を隠せないまま振り返り、笑顔で上下揃いの黒スーツ姿の顧客は短く刈り上げた頭を下げた。


「貴重な情報、感謝する」


「こちらこそ。またお待ちしておりますね、けーじさん」


 部屋の主である真田ライもまた、頭を下げた。さらりとした茶髪に茶色の瞳、やや高身長の彼は、いま挙げたことくらいしか外見的特徴がない。何か傷跡の一つでもあれば違うのだが、本当に何もない。汚れさえないため、その顔は整って見えた。

 そして、特徴がないゆえに、羽織った深緑色の背広と室内の様子が合わさった印象を際立たせる。そんな計算ずくしの男だった。


 にこりと柔らかい微笑みで、顧客を見送る。その足音が確実に去ったことを確認して、ライはソファに身を沈めた。


 夕日が彼の茶髪を照らすと、よりオレンジ色を増した輝きを放つ。柔らかい髪質で、きらきらとした艶がいつ何時でも保たれているのは、彼のこだわりだった。


 時刻はまもなく午後五時、そろそろ開店の支度をする時間だ。


「さて、行くか」


 素早く身を起こして、背広を脱いだ。スーツから黒のチノパンに履き替え、黒縁のメガネをかけて、ストライプ柄の入った黒いハンチング帽を被る。

 それから、とあるバーへと向かった。


 エプロンを身につけ、少し伸ばした襟足をヘアゴムで括り、カウンター席の前でグラスを磨く。

 時折、女性客たちにひらひらと手を振っては歓声を浴びながら、爽やかな店員はある客人を待っていた。


 カラン、と扉の鈴が音を立てる。そこに一人の中年男が姿を現わした。新調しただろうスーツに身を包み、これから大事な決起集会なんだと言わんばかりの足取りでの入店だ。


 身体は重いが、気持ちは軽々としている――といった様子だ。なんて分かりやすいオジサンなんだろう。

 そう思わずにはいられなかったライだが、そんなことは一ミリも表に出さずに迎えた。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりましたよ。いつものでよろしいですか?」


「ああ、頼むよ。それと君の時間もね」


 にやりとした顔でそう告げられ、心底では気持ち悪がりながらも、ライは特別表情を変えることなく普段通りに微笑んだ。


「……ふふ、かしこまりました。いつもの席を用意しております。どうぞ、おかけになってお待ちください」


「ああでも、作りながらでいいからさ、聞いてよ聞いてよ、『マコト』くん! 例のプロジェクト、上手くいったんだあ」


 早く伝えたい、という気持ちをまといながら、客人はカウンター越しに身を乗り出そうとした。こんなオジサンになりたくないなぁと思いつつ、トーンを下げて「内緒話」の雰囲気を作り出し、興味津々さをしっかり装ったライは問いを投げかける。


「ほう、具体的にどんな感じで成功したんです?」


「講演会さ。いやぁ、カリスマ性を持っている人ってのは違うもんだねえ。誰でもすぐに言葉に乗っかってきてくれる。あとは結果を待つだけ――なんだけど、もう充分なくらいに成果が出ているんだ」


「なるほど、今夜もそちらのお仕事ですか?」


「あ、分かっちゃう? そうそう、そのためにスーツも新しくしたんだよ。でも、やる前に君に挨拶しておこうと思ってね」


 ライは相槌を打つ。そして、グラスに入った度数の低い酒を客人の前に差し出した。客人は得意げな顔でグラスに口をつけると、ライの耳元へと顔を近づける。


「……人間って単純だよね。雲の上にある神仏が信じられなくなった人たちは特にさ。当てにならないお上様より、当てになる隣人ってね。こういうのが宗教になるんだなと思ったよ。こんなに簡単とは思わなかったけど!」


 得意げにグビグビッと酒を飲む彼に嫌悪感を抱きつつも、ライは決して表に出さない。その裏で、どんな声を使うかという点に神経を注ぐ。


「――あの、今更ですけど、僕にそんな喋っちゃって大丈夫ですか? そりゃ確かに、計画段階からその存在は知ってましたが」


「え? いやー、今更だよホント。君ならいいんだって」


「嬉しいお言葉ですが……」


 ライは声量を押さえる。その客の前に顔を近づけ、ゆっくりと警告を紡いだ。


「……今時、どんな輩がどんな場所からどんな手段でネタ探ししてるか、分かったもんじゃないですよ? 昨今の情報屋は舐めちゃいけません」


「はっはっはー、それもそうだ! だがね、君ほど情報屋を警戒してる男もそうおるまい。だって、そういうの嫌いだろう?」


「よくお分かりで。おっしゃる通り、僕は探られるのを心底好みませんので、盗聴等の対策はバッチリですよ」


「だよね! だから、マコトくんになら安心して喋れるってもんだよ。こんな話、自慢したくてしょうがないからね。ああ、もちろん、君に世論のことを調査してもらったことは忘れてないから安心してくれよ? あれがあってこそだからねえ。君は素晴らしい顧問、いや相談役だとも! じゃあ、おれはここらで失礼するよ。お代はこれで、お釣りは御礼代わりさ」


「ありがとうございます。今後ともどうぞご贔屓に」


 客人が退店したタイミングで、ライは控え室へと下がる。オーナーがいることもお構いなしで、ソファーに全体重をかけて座った。


「……ハッ、疲れるわ……」


「ちょっと、マコトくん。まだ他のお客さんいるんだから、しゃきっとしててくれる?」


「けちだな、今日のオーナーは。バックヤードなんだから好きにさせてくださいよ」


「好きにするのはいいけど、声って案外聞こえるもんよ。それに、アンタのおかげでまた客が減るのかと思うと、ちょっとぞっくりしちゃうわ」


「その分、いや、倍は客を増やしてんだから、それでチャラになるでしょ」


「有言実行なのがムカつくのよね、メガネのくせに……」


「そらメガネに失礼ですよ、オーナー。じゃあ僕、休憩入りますんでね」


 ふんっと鼻で一つ笑って去るオーナーを見送り、ライは客人から受け取った代金を眺める。二枚の千円札の間には、一枚の紙が挟まっていた。金の方に興味はないから、全額レジの中に突っ込んでおく。


 ――[午後七時より、集会。場所は例のナイトクラブがあった建物の奥]


「こんなことまで教えてくれちゃってねぇ、あのオジサン」


 随分と気に入られちゃったものだな、と我ながら感心する。もしかしたら、声の使い方が上手くなってきたのかもしれない。予測していた以上に成果が出ていて、若干引いているが……まあ、最近は抑揚をつけるのが実におもしろいと思い始めたところだから、そのおかげだと思っておこう。


「そういうの嫌いだろう?――だってさ。もちろん嫌いだとも。俺だって情報屋だからね、警戒すんのは当然……っと、はいはい?」


 悪態をつくライの携帯電話が着信を知らせる。返事をすると、向こう側から落ち着き払った声が聞こえた。どんな強風に煽られても、地に足が付いているような女性の声だ。


『ライさん、この後どうします?』


「午後七時に例の場所だってよ。手段が講演会らしいから、今回ももちろん割かし喋るだろう。けーじさんには、一時間遅れくらいで伝えたらいい。さっきの音は録れてる?」


『バッチリです』


「よし、じゃあ行動といきますか。オジサンをつけといて。同時に、音声の編集もよろしく。俺は着替えたらすぐ現場に行くよ」


『了解です』


 エプロンを脱いでメガネを外し、結わいた髪をほどいて、ジーンズジャケットを羽織る。軽くメイクを施してから、ライはバーを出た。



          **



「――さあさあ。これらを使えば、あっという間に驚くほど運勢が変わります! 今日この講演にご参加いただいた方には、八〇パーセントオフでご提供しましょう! さあさ、出口で販売しておりますよ~!」


「…………」


 講演会という名の集会を、ライは後方から眺める。湛えた笑顔の裏には、呆れの感情がびっしりと詰まっていた。


 奇跡の品物――そう謳っているが、それらはただの商品と変わりない。様々なメーカーの消耗品をブレンドしているから、むしろただの商品より何倍も品質が劣る。


 それを「運勢が変わります」と騙って売るなんて、酷い話だと思わずにはいられない。何が「神仏が信じられなくなった人たち」だ。結局のところ、運というのは天に縋る考えだろうが。めちゃくちゃ信じさせているじゃないか。


 呆れすぎて、ものも言えない。それでも、いつ誰と目が合ってもいいように、笑顔のまま呆れを悶々と押し留める。

 まあ、メガネをかけていない彼が『マコト』だとは、知人ほど気づかないものだ。例のオジサンともバッチリ目が合ったのだが、ライがそうであるとはまるで気づいていなかった。


 さて。もうじき、「けーじさん」が登場するだろう。最後まで巻き込まれるのは、さすがに御免こうむる。性に合わない。


 ちょうど建物を出たところで、ライは紺色の制服姿を見つける。講演会に参加していた信者たちの何人かが、警官たちに話を聞かれているところだった。胡散臭いカリスマ性に引っ掛からず、怪しいと思った人は少なからずいたらしい。


「本当にこの建物の奥らしいな。大ごとになる前に対処できそうだ。また助けられたな、協力に感謝する」


 短く刈り上げられた頭はさりげなく彼の横に立って、ライと目を合わせないまま静かに呟く。長年すっぴんでの付き合いをしているこの男なら、真田ライの姿を見つけることに難はなかった。


「俺はただ、貴方に本当のことを伝えただけですので。では、あとはお願いしますよ、刑事さん」


「他人行儀だな。まあ、外なら当然か」


「ええ、それでは。くれぐれも、よろしくお願いします。我が国の安全を守ってくださいね?」


 足早にライは帰路を急ぐ。もうじき、勝手に設けた休憩時間のリミットだから、これからの時間は休みなく爽やか店員を全うせねばならないのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マコトは嘘が真実。 久河央理 @kugarenma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ