妻は二刀流
来 根来(きたりねごろ)
第1話
ボクの妻は『二刀流』の名手だ。
もちろん彼女は剣道家でも剣術士でもないのだから、本当に二本の刀を振り回す訳では無い。
――いや、包丁ぐらいでならやっていただろうか? 彼女ならいつの間にか二天一流ぐらい習得しているかもしれない。
まぁそれぐらい、ありとあらゆる多彩な面で『二刀流』なのだ。
世間的にわかりやすいのは、「母親と仕事」の二刀流だろうか。
自分で言うのも何だが、ボクは家庭に協力的な方だと思う。一人暮らしが長かったせいか大抵の家事は手際よくできるし、育ち盛りの子供の相手は大変ながらも心から安らげる時間だ。実際、共働き世帯の我が家の家事は二人で分担制となっている。
しかし妻ほどにできるかと言われれば……情けないかもしれないが、到底及ばないと思う。
何せ、世界を相手にするような仕事をバリバリとこなしながらも「子供に寂しい思いは絶対にさせない」と、毎日必ず夕方には家へ帰ってくるのだ。普通ならそれだけで頭がいっぱいになるほどの責任のある仕事だし、給料だってそれはもう……いやうん、お金の話は止めておこう。
妻曰く「毎日の家族団らんがあるからこそ、頑張れる」だそうで。
妻は帰宅するなり、すぐに夕食の支度を始める。どこか古風な考えを持っているのだろうか、夕食作りは必ず自分がすると頑として譲らないのだ。
確かに彼女の手料理は絶品である。素人のボクはもちろんのこと、プロ料理人にだって引けを取らない。だから感謝こそすれ不満など無いのだが……凡人のボクからすれば、あまりにも頑張りすぎだ。
結婚以来何度もこのことについては話をしてきたが、何を言っても受け入れられることはなかった。
というわけで最近はボクも諦めて、娘と一緒になっておとなしく上げ膳据え膳を享受しているのである。
次の二刀流はもう少しプライベートな側面だが――妻は「母親と恋人」の二刀流も見事にこなす。
いや、こなすというのは表現が違うか。ボクの方が妻に対して、結婚してからもずっと恋人のようにドキドキして惚れ続けているのだ。
ボクたちは
バカップルと周りから散々言われるほどの
妻はあのクールビューティーな見た目と違って甘え上手。そんなギャップに、ボクはイチコロだった。
――あぁ、そうか。そういう意味でも『二刀流』だ。
まぁ妻の意外性と魅力の幅たるや、
それに昼の甘えん坊と夜の荒々しさのギャップといったらそれはもう……だ、ダメだ。思い出したら顔が赤くなってきた。
ちなみに、妻の仕事はミスの許されない場面が多いらしい。通訳と外交官を兼ねるような職務だから、相手の機嫌を
しかし妻が仕事において
でもそんな妻は、私生活ではちょっとだけ抜けている所があるのだ。気が緩んでいる証拠でもあるのだろうけど、何もない所で
ボクが思うに、実はアレこそが彼女の「
いや、もしかしたら。
あれすらも、ボクを惹きつけるために妻がワザと演出した「しっかり者キャラと天然キャラ」の二刀流の
まぁ掌で転がされるのは、ボクも望むところだけど。
……などと。
一人で家に居ると、こうしてついつい妻の事ばかりを考えてしまう。
早く帰ってきてくれないかな。そう思い始めた、ちょうどその時。
ガチャガチャ、ガチャリ。
玄関の方から、鍵を回し扉を開ける――待望の音がした。
でもボクは、犬のように飛びついて行ったりはしない。
なんだ、もう帰ってきたのか
「ただいまぁ」
まずは子供の声が、リビングに飛び込んでくる。
ボクは努めて平静に「おかえりなさい」と返事を返してやる。声の感じからして、遊びすぎてすでに眠たくなっているんだろう。そんな気分に応じて頭の触覚が心なしかくったりとしている所も、実に可愛らしい。
でも、もぞもぞと膝に乗ってきた子供の肩を撫でながらも、ボクの耳は勝手に玄関の方を向いてしまう。
ぴっぴっぴっ
スリッパが床を鳴らす音が近づいてくる。
「ただいま。ごめんね、遅くなって。『まだ遊ぶっ!』って聞かなかったもんだからさ」
落ち着いたトーンの太くハスキーな声が、
ビクリと体が反応しそうになるのを必死に抑えて、顔は子供の方を向けたままでボクは答える。
「おかえ――」
……あれ?
ドキリとして、思わず勢いよく振り向いてしまった。
そこに立っていたのは、まぎれもなくボクの「妻」。
窓から差し込む夕日が、普段通り妻の美しい
そう、見た目はいつもとほとんど変わらないけど――
「……そうか、今日は
「ん? 何か言った?」
「な、なんでもないよ」
「そう? あ、今日は焼きトリ買ってきちゃった。塩とタレ、両方あるよ」
焼きトリはボクの大好物なのだ。しかも掲げている緑色の袋は、お気に入りの店の物。
子供を何とか付き合わせて、わざわざ寄ってきてくれたようだ。
根っから貧乏性のボクは塩にするかタレにするかで毎度延々悩んでしまうのだが、こうしてスパっと迷わず両方買ってしまえるのは羨ましい。
ちなみにあっちは「美味しいと美味しいを交互に食べるのが一番美味しい」派閥だったりする。
「やっぱり二刀流だなぁ」
「二刀流?」
「ううん、こっちの話。ありがとう――えっとその、ビールの買い置きあったかな?」
「大丈夫、それも買ってきたよ」
「やったぁ、さすが!」
焼きトリといえばビール。これは世間的にもベストカップルだろう。
でも、ボクたちにとってはそれだけの意味ではない。
ボクたちは共に、楽しくなるタイプの酒飲みだが……今日みたいな「
――付き合いたての最初の頃は戸惑った。
仕方ない。今の世の中珍しくなくなったとはいえ、ボク自身は
まぁ妻はハーフだから、入れ替わりが起きるのは月に数回程度なんだけれど。
慣れてしまった今となってはもう、時々訪れる「お楽しみ」としか感じなくなった。
「……あはは、もう寝ちゃった」
ふと見ると、子供はすっかり膝の上で寝入ってしまっていた。
満足そうなその顔に、ほっこりとする。
「やれやれ。限界だったんだろう」
「そうみたいだね」
「ベッドに運んでくるわ」
「うん、お願い」
妻がボクの膝からひょいと子供を抱き上げて、ベッドルームへと連れていく。
でも、暗い部屋に入る直前。ふいに立ち止まってこちらを見た。
「これで……」
「うん?」
「――今夜は久々に。ふたりでゆっくり楽しめるね」
……本当にずるい。
そういう態度にボクが弱いって、知っててやってるんだ。
ゴクリと喉が勝手に鳴る。
「そう、だね」
「あはは。本当に可愛いんだから」
「からかわないでよ!」
「はいはい」
「や、焼きトリ並べておくからね!」
「よろしくー」
ベッドルームに消えた妻を見送って、ボクはにやける頬をパチリと叩いて立ち上がる。
確かに掌で転がされるのは嫌いじゃない。
でも素直に転がされるのも、それはそれで何だか悔しいのだ。
そんな、心の中で相反する自分が切り結んで葛藤するのを感じながら、ボクはキッチンに向かう。
ちらりと胸元を見れば……うん、よかった大丈夫。今日は気を抜いてない下着だ。
ドキドキで震える左側、ウキウキで跳ねる右側。
勝手する二本のしっぽを引きずって、ボクは焼きトリとビールを並べていくのだった。
妻は二刀流 来 根来(きたりねごろ) @kitari_negoro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます