8-6 : 無明にて




 ◆




 ズズ……ン……。


 鈍い音と振動が腹の底に響く。低い頭上から、さらさらと砂埃すなぼこりが落ちてくる。


 ポケットから引っぱり出したスカーフを口元に巻き、ゴーグルを再び目元にしっかりとめて。

 はぁはぁと全力疾走後の息切れを続けながら、サイハは暗闇の中を歩いていた。


 ビル巨人の乱打が降り注いだ眼前に、横坑があったのはまさに僥倖ぎょうこうであった。


 しかし、九死に一生を得こそしたが、状況は最悪。


 坑道の入り口はとうに岩に塞がれて、あかりは何一つない。

 闇に伸ばす手の感触だけを頼りに、サイハは出口を求め坑道を奥へ奥へと進む。


 足元すら全く見えなかった。

 たとえ一歩進んだ先に、垂直に掘られた縦坑があったとしても気づけぬ無明。


 踏み出す一歩、その一歩が、底知れぬ恐怖を駆り立てる。

 心をわずかでも緩めれば、一瞬でパニックに陥りそうな。


 だが。

 しかし。

 それでも。


 サイハは進む。

 進み続ける。


 足元を支える地べたが、必ず続いていると心に念じて。



「……リゼット。よぉ、聞いてるか?」



 曲がりくねった坑道をゆっくりと進みながら、サイハが相棒の〈蒸気妖精ノーブル〉を呼んだ。



辛気しんきクセェなァ。テメェも、コノあなもさァ」



 リゼットの声音は真剣な色を帯びていた。

 頭上で続く振動が、自分たちを追い詰めつつあるのを感じ取ってのこと。



「出口を見つけるまでの間、オレの話につき合ってくれよ」



 そのかけ合いがサイハの心をつなぎ止める――それを知ってか知らずか、リゼットはどこかしとやかで。



「フン……イイゼ、聞いててヤるヨ。テメェのつまンねェ泣き言」



 そんなリゼットの言葉に、サイハは闇の中で口元を緩めた。


 そして、語りだす。



「……もしも、神様がいるなら、そいつはとんだ耄碌もうろくじじぃだ。……いや、ばばぁか? まぁ何でもいいや」



 日頃の行いはろくでもないと自覚しているサイハである。この奇跡的な命拾いによって信仰を見いだすどころか、心の中では中指を立てて舌をベロベロとやっていた。



「十年前にさ……オレのよく知ってた男が、ちょうど今みたいな目に遭って死んだんだ」



「…………」

 リゼットは何も言わず、ただじっと聞いている。



「神様の野郎が、俺に……俺なんかに、こうやって道を開けてみせるんならよぉ。何であのとき、同じようにしてくれなかったんだろうなぁ……」



 大剣リゼットを握る手に、力が入った。



「きっとあの日、義親父おやじ足掻あがきもできずに、あっという間に死んじまったんだ……何となく、そうだってわかる」



「…………」

 引きずられる剣先がゴツゴツと岩にぶつかるが、リゼットは文句も言わない。



「まぁ、この街で鉱夫なんてやってるとな、大なり小なりそういう事故はつきもんだ。〝あいつは運がなかった〟って、割りきるしかねぇんだよ」



「…………」



「でもな……その事故はもっと早く、誰か一人でも正しい奴がいたら、起きずにすんだ事故だったんだ……ジェッツには大見得みえ切ってやったけどよ、正直言うと、野郎の気持ちがわかっちまう」



 背後、遠く、落盤の揺れ。

 大量の砂塵さじんが吹きつけて、サイハはスカーフの下でき込んだ。



「……。……何で、止めに行った義親父おやじが死んで、工事を無理やり進めた奴らのほうが生き残ってやがんだよってな。オレはまだ、ガキだったから……そう思いはしても、何もできなかった。ジェッツはちょうど、あの事故のときは、今のオレぐらいの年だったろうなぁ」



「……デ? ナニが言いてンだよ、テメェ」



「〝サイハオレジェッツあいつの、何が違うんだ〟ってな……こう辛気臭いと、そんなこと考えちまうって話だ」



 それはジェッツに返り討ちにされて、打ちのめされていた二日間、サイハの頭を何度もよぎった問いだった。


 あの事故現場に、もしも十九歳の自分がいたら。

 崩落した地下から、〈蒸気妖精ノーブル〉を見つけ出していたら。

 果たしてオレは、修羅にちずにいられたろうかと。



「――オレが、ジェッツになってたかもしれないんだ……オレの〝ロマン〟と、ジェッツの〝復讐ふくしゅう〟……どっちがどっちに転んでもおかしくなかったんだ。それならよぉ、届ききる、、、、のは、どっちなんだろうな」



〈レスロー号〉という夢の機械と、〈蟻塚ありづか〉という復讐ふくしゅうの摩天楼。


 互いに己の求めるものを得た、その次の段階へ。

 おもいを遂げるのは、果たしてどちらなのだろうかと。


 そして――――――サイハの歩みが止まった。



「…………。……わりぃな、リゼット……」

 小さなめ息が漏れて。

「行き止まりだ」



 暗闇の中でサイハが伸ばしたてのひらは、固い岩盤にぶち当たっていた。


 頭上も足元も含めて探り回るが、既に歩いてきた後方以外に、空間は広がっていなかった。


 そこに追い打ちをかけるように、新たな落盤が退路すら塞いでゆく。



「お前の〝粉砕権能〟で、どうにかなんのかこれ……?」



操者ドライバなら自分テメェの〈蒸気妖精ノーブル〉のスペックぐらい把握してろバァカ! ……こンな分厚い岩盤、いくらアタシでもヌけねェよ」



「だよな……」



 観念するようにこぼすと、サイハはその場にどっこいせと座り込んだ。


 傍らに大剣リゼットを立てかけて、手で探りながら土埃つちぼこりを払ってやる。



「…………あーぁ、そっか……届かなかったかぁ……」



「アン? 随分とあッさりしてンな。もッとギャーギャーわめきやがると思ッたンだケド?」



「お前こそだろ。『どうにかしやがれ!』とか言わないのかよ」



 静かに問い返すサイハの声を、リゼットが笑い飛ばす。



「ハッ、アタシィ? アタシはココがブッ潰れてもヘーキだからな。ルグントのヤローは絶対ブッ飛ばすケド、まァこンなじャ、ソレは次までの借りッてコトになッちまいそうだなァ」



「〝次〟っていつだ。ははっ、また二千年後か?」



「ウゲ、マジ? うわダッル……シャレになンねェじャンそれ……」



 そうやって言い合う二人の会話は、この絶体絶命の闇の中にあって不思議と穏やかだった。


 すべて……すべて出しきったのだ。

 そして今、ここにいる。

 つまりはそういうことだと。


 なら、仕方ねぇと。



「やれることはやった、未練はない。ここがオレの限界だってんならな」

 大剣リゼットを、ポンポンと叩き。

「ただ、なぁ……守りたかったよなぁ。……贅沢ぜいたくか。オレみたいなのが、そんなこと」



 自分の限界を受け入れて、サイハは静かな諦観に沈む。



「……。……サイハ。テメェとジェッツの何が違うとか言ッてやがッたナ?」

 リゼットが、野良猫の気紛きまぐれのように、今だけ剣身をでられるに任せて。

「――しョーもな! サイハテメェサイハテメェだろが。バーカ」



 それは何とも……優しい悪言あくげんだった。



「……にひひっ! ……独りじゃないだけ、ずっとましだ」

 サイハが邪気もなく、笑ってみせる。



「マ、〈蒸気妖精ノーブル〉のよしみダ。最期までそばにいてやるヨ。ありがたく思いやがれ」



 こつんと。

 大剣リゼットがサイハに寄りかかる。


 ……そして二人は、それきり口をつぐんだ。


 頭上にゴロゴロと嫌な音が近づいて、いよいよここにも落盤の兆し。


 …………そこへ。



 ……(プァァーン)……――と。



 小さな小さな音が聞こえた。



「……ア? ンだこの音――」

「静かに、リゼット」



 沈黙を促して、サイハがじっと聞き耳を立てる。



 (プァァーンッ)……。



 もう一度、はる彼方かなたから聞こえた。

 幻聴ではない。

 懐かしい音。











 プァァーン!







 プァァーンッ!!







 プァァアアアーンッッ!!!!











 ――それは身体に染みついた、〈鉱脈都市レスロー〉の声。


〈汽笛台〉の吹き鳴らす、汽笛の音色だった。



「座り込んでんじゃねぇぞ」と。



 そんな言葉に聞こえた。



「この音が聞こえてるなら、立て」と。



 汽笛に導かれるようにして、サイハが来た道を戻る。


 つい今し方落盤で塞がってしまった突き当たりまで戻ったところで、音がから聞こえてくることに気がついた。



「…………。…………ははっ」

 サイハが苦笑いして。

汽笛守おっちゃん、どんだけ吹き鳴らしてやがんだよ……」



 暗闇へ。

 頭上へ。

 腕を伸ばす。



「うるせぇって……文句言ってやる」



 革手袋をめた手に、〈霊石〉のなけなしの一個が燃え上がる。


 その頭上の先には、闇が広がっていた……











 空間が、、、広がっていた、、、、、、











 どこまでも頭上に続く、縦坑が。



「……まだ……やってみせろってか……?」



 そして足元に、光を向けて。


 サイハがまた、「くははっ」と笑った。



「……なぁ、リゼット……バッドエンドには、まだ早いってよ……――もう一花火、上げてやろうぜ」

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