7-6 : メナリィ・ルイニィ
◆ ◇ ◆
――同時刻、〈
コツ、コツ……と反響するのは、革靴が石床を踏み鳴らす音。
「……ふぅーっ……お前の権能は無敵だ。天変地異すら引き起こせる」
葉巻を
「少ない人材と機材で露天掘りを成功できたのも、〈クチナワ鉱業〉をぶっ潰せたのも、こうして邪魔者どもを一掃できたのも、全部あのとき――あの崩落現場でお前を拾ったからだ、ルグント」
ジェッツがちらと、背後へ視線を回す。
その先には、足音一つ立てぬ秘書の男――
ヒト型
「私の特性を
ルグントがぺこりと一礼する。
「〝日時計〟と〝ヒト〟の中間二元存在であるこの身に、〈
謙遜ではなく、ただ事実として。ルグントは己の特性について語る。
その表情は幻影のように定まらず、十年来の
「全くだ。〝
「権能が強力すぎるがゆえに、限定条件がついて回る……まるで馬力だけ無駄に高い重機だ。小回りが利かないのが扱い
「その〝リミッター〟も、じきに解除されます」
それは反論ではなく、またもただ真実としてルグントが言い添えて。
「日時計を日時計たらしめる真の要素は、あの天に浮かぶ〝太陽〟そのもの。それが欠けるとき……〝日食〟をもって、私の権能は極大期を迎えるのです」
「そのために、俺は十年も待たされた……」
忌々しげに、ジェッツが床を蹴る。
が、それとは裏腹に、ジェッツの頬は
「第一の月の
その道程は底なしに泥臭く、目指すものは恐ろしく明確に。
十年という時の重みと、
金と、権力と、
「……それにしても、静かなもんだねぇ。ああ、いっそ
〈
「おっしゃるとおりです、CEO。たとえ長期休暇中でも、ここまで静かにはならないでしょう」
ルグントはその身まで影であると言わんばかりに気配を消して、ただ
「清掃係のおばちゃんまでいないってのは俺も初めての経験だ。寂しいじゃあないか、陰でこそこそあることないこと
「――どうだい、お宅もそうは思わないかね?」
通路側からの陽光が扉の内側へ差し込んで、天蓋つきのベッドを照らした。
「う……っ」
そこから、か細い声が聞こえた。
突然の真昼の日差しを、正面から浴びて。
「『おはよう、お姫様』」
無遠慮に葉巻を吹かし放題のジェッツが部屋に踏み入り、少女を
「『よく眠れたかな?』……あぁ、一度言ってみたかったんだ、この手の場面でこういう
バチンッ。
声よりも先に返ってきたのは、メナリィの手がジェッツの頬を
葉巻から飛び散った灰が、真っ白なシーツにぽとりと落ちる。
「……。……なぁ、なぁなぁ、なぁー? 酷かないかい? ここはうちで一等の
「サイハやみんなに
ヘビのような目で
そこは広々とした客室だった。
天蓋つきの上品なベッドに、高級品だらけの内装。
本来はバルコニーから景観が見渡せるところ、しかし今は木の板が打ちつけられていて室内は暗い。
かれこれこの場に三日間監禁されていたが、メナリィは衣食住が保証され不自由はなかった。暴力の類も、ここへ押し込まれたこと以外には何もされていない。
だからといって、彼女がジェッツを
「怖い怖い。
メナリィは、二日前に起きたジェッツとサイハたちとの衝突について知らない。
防音が施された上に窓を塞がれたこの部屋にあっては、外の情報は一切入ってこなかった。
それを承知の上で、ジェッツがからかうように続ける。
「既に俺は何かやらかしているかもしれないが、ちょいとこれがわからない。男と女の感性ってのは大分違う。かなり違う。全然違う。俺にとってはセーフなことが、お姉ちゃん的にはアウトかもしれない。〝個人の感想です。効果には個人差があります〟ってやつよ」
バチンッ。
メナリィが返す手の
「あなたのそういう……! 周りの人みんなを馬鹿にした
非難の声が飛ぶ先で、ジェッツは首を
数秒の沈黙の後、ルグントの差し出した灰皿へ葉巻を押しつけ火を消すと、ジェッツのギロリと冷たい視線がメナリィを射た。
「……っ!」
「お姉ちゃん……あまり調子に乗りすぎちゃあ駄目だ……お宅のためにも言っておく。次は俺も手が出てしまう。口は災いの元、沈黙は己の身を守る。肝に銘じておくといい……」
ジェッツの読心眼。
それを前にしてはメナリィの強がりなど裸も同然だった。
不安と恐怖で張り裂けそうになっている心が見透かされる。〝見透かされている〟ということがヘビの目から逆に伝わってきさえする。
メナリィはそれ以上はもう、どうやっても強がれなかった。
「……オーケー、忠告をきちんと守れる素直な若者は好印象だ。採用試験なら一次面接合格ってところかね。……さてと、こんな話をわざわざしにきたわけじゃないのよ俺は。用件に移ろうか」
そう言うなり、ベッドの縁に腰かけたジェッツが、ずいとメナリィに顔を近づけた。
「な、何を……っ」
「なぁに、大したことじゃあない……」
黒鉄の爪が、少女の喉元を
メナリィは捕食者の気迫に
やがて、ジェッツが要求する。
「――……飯を、作っちゃくれないだろうかね?」
それを聞いたメナリィの凍りついたままの口が、「……え?」という形に開いた。
◆
「――この〈
〈
ジェッツが広い調理台の一角に
「食材はたんまりとあるんだが、
「…………」
ジェッツが見つめる先、メナリィはただ無言でいる。
声の代わりに聞こえてくるのは、トントントンと包丁がまな板を打つリズミカルな音だった。
その横では鍋とフライパンが合計三つ、〈霊石コンロ〉にかけられている。
「へぇーっ……器用なもんだ。あぁ言っておくけども、毒を盛ろうとしても無駄だ。俺の目は
「お料理にそんなもの混ぜたりなんてしません。馬鹿にしないでください」
肩越しに振り返ったメナリィの瞳は糸目で見えないが、ジェッツのことを
「そんなこと言うようだったら、ご飯作ってあげませんからねッ」
「おぉ怖……それは困る。俺みたいなのはこういうとこにいるべきじゃないな。退屈になるとついつまらんことを口にしたくなる」
ふんっと手元へ向き直り、メナリィは黙々と手を動かす。
タマネギを刻み、
脅されて料理を作らされているわけだが、これはメナリィにとっては救いだった。
真っ暗な部屋に押し込められているよりも、調理に没頭しているほうがよほど気が紛れるというものである。
「…………」
そんな少女のエプロン姿を、ジェッツはどこか、遠い景色を眺めるように黙って見ていた。
「――はい、おまちどうさまですッ」
ドンッ。
それは見事な手際。
あっという間に、ジェッツの前に大皿一杯のコロッケの山が現れた。
「えらく無愛想だなこれまた……駄賃を弾ませるから多少はスマイルをだね――」
「お代なんて結構ですッ」
「う、むぅ……これだから苦手なんだ、レスローの女は……」
「文句を言う前に召し上がったらどうですか。せっかく言われたとおりに作ったのに」
「…………」
不服げな表情を浮かべたまま、ジェッツが無言でコロッケに手を伸ばす。
「こらッ」
ジェッツがコロッケに食らいつこうとした瞬間、メナリィがむっと腕組みして叱りつけた。
「な、何だねいきなり……」
「食べる前に、『いただきます』を忘れてますッ」
プンプンしながらそう言うメナリィの目は真剣。
「……ふん、生意気な娘が……。…………。……いただきます」
少女に渋々従って、ジェッツはようやく食事にありつく。
コロッケに一口歯を立てると、
一個を丸々平らげて、しばしジェッツが黙り込む。
店を
「……ま、所詮は大衆食堂の腕だ。一流の味には遠く及ばん。はっきり言って
冷たく言い捨てたヘビの瞳に、メナリィの傷ついた顔が映っていて。
「用はすんだ。連れていけ、ルグント」
無言のまま
ジェッツとすれ違いざま、少女が悔しそうに唇を
「ふん、
己以外の何者も信じられなくなった男は、そうやって誰も彼もを傷つける。
……サクリ、と。
衣の崩れる音がした。
ジェッツの背中が、二個目のコロッケを飲み込んで揺れた。
「だが、まぁ……腹に入れないよりはマシか……」
サクリ……。
「ああ、
サクリ……。
「本当に
サクリ……。
「
サクリ……。
「…………」
サクリ……。
サクリ……。
サクリ……。
サクリ……。
「…………。……
ブツブツと文句ばかりを垂れるジェッツの背中は、少しだけ小さく見えた。
◆
「――CEO」
それからいくらか時が
メナリィを再び客室へ監禁してから
「侵入者です。こちら側へ、渓谷を越えた者がおります」
調理台に突っ伏して
「…………あぁそぉ。皆既日食までは残りいくらだ?」
「はい。あと、五十八分二十秒です」
「全く……最後の最後まで邪魔をしてくれる」
ジェッツが立ち上がり、葉巻を
「……ふぅーっ……。……いいだろう、
コツ、コツ、コツ、コツ。
背後に秘書兼〈
堂々としたその足取りに、迷いなどありはしなかった。
「――なぁ、そうだろう? エーミール女史……」
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