第六章 -やがて儚き人の夢-

6-1 : とある男の半生

――〈鉱脈都市レスロー〉南採掘区、露天鉱床。


 深い深い大穴から、天高く伸びる異形の塔。

〈PDマテリアル〉本社ビル――通称、〈蟻塚ありづか〉。


 一週間前に突如飛来した深紅の流星によって粉々に砕かれたCEO室の大窓には、いまほろが掛けられているだけだった。荒野の空を吹き抜ける乾いた風が、それをばさばさと踊らせる。


 ほろの隙間越しに下界を見下ろしているのは、〈PDマテリアル〉最高経営責任者CEO、ジェッツ・ヤコブソン。


 平衡感覚を奪うその眺望の窓辺に立ち、顔色一つ変えることなく、その男は葉巻を吹かした。



「……ふぅーっ……。……おーおー、随分とにぎやかになってるわけだが?」



 ふん、と鼻で笑い飛ばしたジェッツの足元に広がる地上光景


 そこには〈蟻塚ありづか〉の異名を持つこのゆがんだ塔に相応ふさわしく、ありのように小さな影が――何十何百という人間たちがごった返していた。


〝クマ社長負傷〟の一報に激怒した〈クマヒミズ組〉の鉱夫たちが、フリー鉱夫共同体ジャコウユニオンの同調者を取り込んで、〈PDマテリアル〉へ殴り込みをかけた。


 地上に渦巻いているのは、その喧噪けんそうと怒号であった。


 暴徒とぶつかり合っているのは、〈PDマテリアル〉の下請け技術屋集団、〈クチナワ鉱業〉の鉱夫たち。


 ジェッツが「行け。でなけりゃ次の契約更新はなしだ。〈クマヒミズ組〉とり合うか、この俺に見捨てられて路頭に迷うか。好きなほう選べ」と言い放ったがゆえの全面衝突。


 現場は刻一刻と混迷を深めてゆく。


 しかし、この状況にジェッツは満足していなかった。


 昨夜ジェッツ自ら襲撃をかけた、〈ぽかぽかオケラ亭〉。

 そこに直筆で書き残してきたのは、いま相見あいまみえぬチンピラへ向けたメッセージ。


 制裁対象は、そのたった一人。


 今のこの状況は、その前座に過ぎず。

 組合同士の闘争など、ジェッツの眼中には全く入っていなかった。



「……舐められたら、、、、、、終わりなんだよ、、、、、、、。何もかもな……」



 一言、ジェッツは虚空へ向けてそうつぶやいた。


 途端に、ジェッツの意識は下界の喧噪けんそうを遮断して、一人の世界へ没入していく。悟りのように。


 それほどの激情。

 それほどの感情の大波が、そのたった一言にめられていた。



「…………マリン…………」



 葉巻の煙を、そっと吐き出す。



「……俺の、この十年の投資は……会社のためでも、金や権力のためでもない。マリン……ただ、ただ、お前のために――」



「CEO」



 独り言をこぼしていたジェッツを、秘書の男が呼び止めた。



「暴徒がロビーへ雪崩なだれ込みつつあります。一団を先導しているのは、金髪のチンピラと銀髪の女であるとのこと。エーミール女史も加担しているようです……如何いかがなさいますか?」



「ようやくVIPのお出ましか」

 くるりと、ジェッツが振り返る。

「なら、主催ホストがお出迎えしてやらんとな」



 黒鉄の爪ではじかれた葉巻が、弧を描いて外界へ飛び出る。

 はるか鉱床の底でじゅっと灰が散る頃には、ジェッツと秘書の男はそろってエレベーターに身を詰めていた。


 地の底へと下る、狭い鉄の箱の中。普段の調子に戻ったジェッツが、気怠けだるげにつぶやいた。



「……しっかし、ドレスコードも知らんとは参ったね……きたねぇパーティーになりそうだ」




 ◆ ◇ ◆




『――マリン。なぁ、マリン』



 安い木のテーブルに頬杖ほおづえをつき、青年が誰かの名を呼んだ。


 マリンと呼ばれた女性は、青年の視線の先、窓辺に飾った鉢植えに水をやっているところだった。



『なぁに? ジェッツ』



 マリンが振り返る。


 頬にそばかす。

 低い鼻と、少し丸みのある顔。

 繕われたワンピースにふわふわの髪を揺らして。


〝素朴〟という言葉がぴったりな、そんな着飾らない町娘が、青年の名を呼び返した。



『マリンお前、いつまでその鉢植えの面倒見てやるつもりだよ』



 十八歳の――十年前の、ジェッツの声はあきれていた。



『〈コカゲサカズ〉ってんだろそれ? クマ社長のオカミさんに聞いたら、花も実もつけない雑草だって言ってたぞ?』



 そのくせ適当に扱っているとすぐに枯れるという、ただ面倒なだけの何の見所もない植物。


 そんなものを、ジェッツと同い年のマリンは、鉢植えを幾つも並べて毎日世話をしているのだった。



『咲くわよ』



 そう言って、マリンは腰の左右に両手を当てた。



『? 咲くって、何が?』



『なぁに? 〝咲く〟って言ったらお花に決まってるじゃない、馬鹿ね』



『いや、だからそれただの雑草だって――』



『違うわよ、可愛かわいくて綺麗きれいな花が咲くの! 私、小さい頃確かにこの目で見たんだから』



 マリンいわく、そのとき見た花があんまりにも綺麗きれいだったから、拾った種を毎年少しずつ植えているのだという。


 二人が同棲どうせいを始めてもうすぐ二年。花どころかつぼみすらついた試しもなかったが。



『ふぅーん……あそぉ』



『ジェッツ……その目、信じてないでしょ』



 適当に相槌あいづちを打ったジェッツに、マリンがいぶかしい目を向ける。



『ほんとにそのとき見た花の種なのかそれ? ――わ、分かった! 分かったからそのフライパンを下ろしてくれマリン!』



『ジェッツぅ……そういうデリカシーのないところぉ!』



『お、おっと! そういや今日は〈クチナワ鉱業〉に用があるんだった!』



 ジェッツが冷めかけのコーヒーをぐいっとあおり、逃げるようにして玄関へ飛びだしていく。



『ちょっと! 誤魔化ごまかさないでよ!』



『もうすぐ広い家に引っ越すんだ、デカい〈霊石〉掘り当てて稼いでこないとだろ? そしたらもっと好きなだけ、その雑草鉢植え並べられるようにしてやるよ!』



『やっぱり信じてないじゃない!』



 憤慨するマリンを余所よそにジェッツは玄関先で手を振ると、そのまま採掘場へと駆けていった。



『もうっ、情緒も美意識もないんだから……私にプレゼントくれたのと同じ男だなんて信じられないわ……』



 一人取り残されたマリンが、め息交じりに手元を見る。


 その細い薬指には、指輪がめられていた。


 磨いた〈霊石〉を載せただけの、安物の指輪。


 けれどマリンにとっては、世界で一番綺麗きれいな宝物。



『ふふっ……絶対あなたにもこのが咲いてるところ、見せてあげるから』

 そう独り言をつぶやくと、マリンは鉢植えに向かって両手を組んだ。


『だからあの人のこと、今日も守ってくれますように……』



 ジェッツが仕事に出かけて部屋に一人になってからこなす、それがマリンの日課だった。


 決まった儀礼なんてない。

 レスローの女たちは、そうやって自分だけの神様に、大切なひとの無事を日々願う。


 祈りを終えて、顔を上げる。



『……あ』

 食卓を見やったマリンが、声を漏らした。

『もうっ……ジェッツったら、お弁当忘れてるじゃない』




 ◆




 ――それは、ただの偶然。


 不運な巡り合わせにすぎなかった。


 いくつもの〝もし〟が、重なってしまっただけのこと。


 もしあの日……〈クマヒミズ組〉に勤めていたジェッツの元へ、〈クチナワ鉱業〉から助っ人すけっと依頼が来なければ。



 もしあの日……ジェッツが弁当を忘れていなければ。


 もしあの日……弁当を届けに向かったマリンとジェッツとが、路地一本を隔ててすれ違っていなければ。






 それは、名前も知らない神様の、悲しい悪戯いたずらだった――






『――マ゛リ゛ン゛んんんんんんっ!!』



 崩落した事故現場へと滑り降り、ジェッツは彼女の名を呼んだ。


 何度も何度も「マリン」と叫んで、喉が潰れ、声はれ、言葉の形もくしても。


 それでも彼は、彼女のことを呼び続けた。



『マリン……マ゛リン! マ゛リ゛ンんんん!!』



〈クチナワ鉱業〉の無謀な発破で崩壊し、地の底に蓋をするように折り重なった岩盤。


 その下に埋もれてしまった彼女を救い出そうと、ジェッツはツルハシを振り上げる。


 ドリルの鋭い刃も、くい打ち機の頑強なくいもすべて駄目にしてしまう、鉱夫にとっての天敵である黒い岩。〈鬼泥岩きでいがん〉は無情にも、ジェッツのおもいを無視してツルハシをボロボロにする。



『うあぁぁ! う゛あ゛ぁ゛ぁっ!!』



 泣き叫びながら、ジェッツは素手で岩に食らいついた。


 ガリガリ。

 ガリガリッ。

 ガリガリッッ!!


 取りかれたように岩肌を引っかき回す。


 両手の指すべてから爪が剥げ落ちても。

 指先の肉が削れても。


 ジェッツは止まらなかった



『助ける……俺が助ける! 今助けてやるからな!! こんな岩、すぐにぶち砕いてやるからな! マ゛リ゛ン゛んんんっ!!』



『ジェッツ! やめんねや! ジェッツ!!』



 半狂乱のジェッツを羽交い締めにしたのは、遅れて事故現場へ駆けつけたクマ社長だった。



『離せ! 離じでぐれ゛!! 社長ぉ!!』



『誰んか! ロープで引っ張り上げてくれんや! どこがまた崩落するんか分からんでよ!』



『やだ! いやだあぁ! マ゛リ゛ン゛が! マ゛リ゛ン゛がまだ埋まってるんだよお゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛――――っ!!』




 ◆




 ――――



 ――――――――



 ――――――――――――



 ――……マリンとの結婚が間近であったジェッツの傷心は計り知れず、彼が現場へと復帰できたのは、それから半年後のことだった。


 復帰したその日。ジェッツはクマ社長に組合を去る意志を伝えた。


 土中の細菌に侵され腐ってしまった爪に変わって、黒鉄を埋め込んだその手で、〝あばよ〟と殴り書いた紙切れをたたきつけて。


 彼女と暮らした小さな部屋を引き払い、思い出の詰まった家具も、遺品も、〈コカゲサカズ〉の鉢植えも、そのすべてをあの大崩落を起こした地の底へと放り捨てて。


 それから間もなく、ジェッツは〈PDマテリアル〉を立ち上げることとなる。


 そして彼は、事故を起こした張本人、〈クチナワ鉱業〉との企業戦争を開始した。


 このときわずか、十九歳の若さであった。




 ◆




 ……それからの五年が、彼の歩んだ人生で最も苛烈な日々だった。


 それまで誰も試みようとはしなかった、大規模工法露天掘り技術の独自開発。


〈クチナワ鉱業〉の所有地を堂々と侵犯しての採掘工事。


 大事故を起こしたとはいえいまだ最大手であった老舗組合クチナワ鉱業と、若造の立ち上げた新興組合PDマテリアルとの間で日々繰り返される〈霊石〉の奪い合い。


 毎夜のように送りつけられる脅迫状と、薄ら寒いならず者ヒットマンの影。


 あまりにも若いジェッツの形をゆがめるには、それは十分すぎる日々だった――




 ◆ ◇ ◆




「――……全部、ぶっ潰す」



 一番臭いのきつい葉巻をあえて選び、紫煙をき散らして何者も近づけず。



「俺に逆らう奴は、全員、後悔させてやる……」



 露天掘り工法を軌道に乗せ、集めに集めた圧倒的な財力と物資で〈クチナワ鉱業〉を真っ正面からたたき潰し。



めた真似まねは、絶対に許さん……」



 和解を申し出た〈クチナワ鉱業〉との対話の席、彼らが決死の覚悟で放った何人もの刺客を、全て返り討ちにして。



められたら、終わりなんだよ……何もかも……」



 その所有地を奪い取り、看板を燃やし、けれど〈クチナワ鉱業〉という名だけは惨めにそのまま担がせて。その末に〈PDマテリアル〉の下請け集団として飼い殺して。



「誰にも、俺の〝計画〟は邪魔させん……もう、すぐそこなんだ……」



 この十年で積み上げられて凝固した、そのすさまじい怨念と執念。



「これが最後の試練だと言うのなら……ああいいだろう、受けて立つ」



 それが、ジェッツ・ヤコブソンという男であった。








 ――チーンッ!








 怒号渦巻くロビーに、小気味よいエレベーターベルが場違いに響く。


 鉄扉が開き。


 ジェッツとサイハが、ここに初めて邂逅かいこうを果たした。



「……。……やぁ、ようこそ〈PDマテリアル〉へ――くそったれのチンピラ野郎」

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