4-4 : 夕暮れ




 ◆




「――長居したな、メナリィ」

 男性二人、女性三人(?)、カエル一匹(??)でのにぎやかな晩餐ばんさんを終え、〈ぽかぽかオケラ亭〉の玄関を後にしながらサイハが言った。

「飯、美味うまかった」



「うふふー、お粗末様でしたー」


 母性あふれる穏やかな声音で、メナリィが微笑ほほえむ。


 すっかり日の暮れたレスローの街並みは月明かりであおく染まり、吹き抜ける風は肌寒い。

 玄関先で言葉を交わしているのは、サイハとメナリィの二人だけ。



「……サイハ」



 キョロキョロと辺りを見回して、誰もいないことを確かめてからメナリィが口を開く。


 その声は、震えていた。



「ほんとに、もう怪我けがはいいの……?」



 胸の前で小さな手をきゅっと握り締めながらささやく。


 常ににこやかに、何も悩み事などないかのようにおっとりと構えているメナリィ。

 しかし今このときだけ、宵闇に浮かび上がるその表情には不安げな影がのぞく。


 小さな母親のような包容力は消え、サイハの目に映るのは十七歳の少女の姿だった。



「大したことねぇよ。こんなの唾つけとけば治る」



 そう言いながら、昼間エーミールとの衝突で負傷した左腕をぶんぶん振り回してみせるサイハの額には、しかし脂汗が浮かんでいて。



「ねぇ、サイハ……。あのね……。……今夜だけでも、泊まっていかない……?」



 メナリィが、細い指先でサイハのジャケットの袖を摘まむ。

 水仕事で荒れた手は、彼女が懸命に生きてきたあかしだった。



「……。いや……悪ぃけど、オレはねぐらに戻る。やらないといけないことが残ってんだ」



 メナリィとは違う理由で傷まみれになっている手で、少女店主の手を優しく包み込み。

 サイハがはっきりと首を横に振った。


 それを聞いてうつむくメナリィは、まるで独り留守番を言い渡されたさみしがり屋の少女のよう。



「そう……。……ごめんね! サイハもお仕事、大変だものね!」



 そう言って笑ってみせるメナリィの表情はぎこちなく、形ばかりのそれはとても笑顔とは呼べないものだった。



「メナリィ……」



 同情も下心もなく、サイハは自然と、両手をメナリィの肩に載せていた。



「サイハ……どこにも……どこにも、、、、行ったりしないでね……?」



 貼りつけただけの笑顔が剥がれ落ち、メナリィの両目に涙が浮かんだ。



「にひひ。馬鹿なこと言ってんなよ。こんな飯の美味うまい店、出禁になっても通うぜ、オレは」



「…………」

「…………」



 そして……

 二人の距離が、少しずつ縮んでいって――



「――サイハァッ!」



 しっぽりとしていた雰囲気をぶち破り、扉を蹴り開けたリゼットが二人の前に飛び出した。



「オイィ……テメェ赤毛オンナエーミールの話聞いた直後にバックレるたァイイ度胸してンなァ。それとも三歩歩いたらメモリー干上がるバカ頭――……ナニしてンだオマエら?」



 ポカンとしているリゼットの前で、サイハとメナリィがさっと顔を離す。



「な、何でもねぇよ!」

 サイハが勢いだけでとにかく否定する。



「うふふー。お見送りしてただけですよー」

 メナリィも口裏を合わせる。その口調は〈ぽかぽかオケラ亭〉少女店主のそれに戻っていた。



「アン……? ププーッ! メナリィよォ、オマエもサイハと同じでバッカだなァ!」

 何かに思い当たったとみえるリゼットが、小馬鹿に鼻で笑いながらメナリィを指差した。「ソイツはアタシの操者ドライバだ。ニンゲン同士で強制接続、、、、したッてナンにもなンねェゼ? ハハハッ」



 そンなコトもわかンねェのかよ、ほンとバカだなァと、相変わらずの乏しい語彙力でバカバカ連呼しながら、リゼットがふんぞり返って大笑いする。



「サイハ!」



 そしてき乱された夜の静けさに、もう一つバンッと。


 今度はエーミールが飛び出してくれば。まるでそこは昼間の喧噪けんそうへと逆戻りである。



「サイハ。君の住みへ案内してもらおうか」

 ビシリと、エーミールがサイハとリゼットを指差して。

「これからしばらく、君たちを監視する! 急で悪いが、当分の間押しかけさせてもらうぞ」



 メナリィとの静かな時間――それはサイハにとって、癒やしと慈愛をもたらしてくれるオアシス。


 そんな聖域へズカズカ踏み込んでくるのは、リゼットとエーミール……出会ったばかりの女二人。


 フラリ……。

 サイハがたまらず目眩めまいを感じたのも無理なき話である。



「……おい、待て。ちょっと待て……さっきの飯に酒なんて出てたか? ラリっちまう系のヤバそうな葉っぱでも混ざってたか? それとも元からここがイってんのかお前ら?」



 ジリっとサイハが一歩後退あとずさると、リゼットとエーミールはそれぞれ三歩前へ出る。



「〈蒸気妖精ノーブル〉と操者ドライバは、いちれんたくしょー、、、、、、、、、だッつッたろうが! 今日のケンカでわかりやがッたろ! もうねぐらを別々にするなンて許さネェ!」



「〈蒸気妖精ノーブル〉のなかでも、ヒト型はレアケース……それに、リゼットの権能は強力すぎる。このままおいそれと本部に引き揚げるわけにはいかない。そ、それに――」


 リゼットに続いて口を開いていたエーミールの顔が、そこで急にぼっと赤く染まった。



「それに! 〈蒸気妖精ノーブル〉と、キ……キスだなんて! 破廉恥だ! これ以上ふしだらな行為に及ばぬよう、私が年長者として監督しなければなるまい!」



 その一言が、まるで時の流れを止めてしまったかのようだった。



「え?」

「エ?」

「えー?」



 サイハも、リゼットも、メナリィも。

 口を半開きにして棒立ちになる。



「……どういうことなの、サイハ……? リゼットさんと、どういうことなの……?」



「ち、違うんだメナリィ! 落ち着いて聞いてくれ! オレはむしろ被害者で――」



「?? なァ、ヨシューよォ。〝キス〟ッてナンだ??」



 サイハがメナリィに詰め寄られている横で、リゼットがアホ面のまま店の陰に隠れていたヨシューを見やる。



「わひゃ!? な、何でぼくに振るんですかぁ?! せっかく巻き込まれないように影を薄くしてたのにぃ!」



 思わず本音が漏れるヨシューの下へリゼットが大股にやってきて、襟元をつかみ詰問する。


 そしてヨシューは、顔を真っ赤にしながらキスの何たるかを子細に説明させられる羽目になる。とんだ羞恥プレイであった。幼気いたいけな少年には酷である。



「――ナン、だと……?! ただの、接点接続じャない……?! ア、アタシ……あのバカに舌まで入れちまッたンだゼ……!?」



 行為の意味を知ったリゼットは、愕然がくぜんとなっていた。



「わ、わざわざ報告しないでくださいよう! は、恥ずかしいですってばぁ!」



 いたたまれなくなったヨシューが悲鳴を上げる。数日前、全裸のリゼットを前にしたときと同じように。


 ゆらり……。



「……サ・イ・ハァァア……ッ!」



 全身をプルプルと震わせ、肌を羞恥に染め、屈辱で涙目になりながら……リゼットがギラリ、八重歯をのぞかせた。

 毛先を上向けにしてめられた髪は、〝怒髪天をく〟という言葉のとおり、鋭くいきり立っている。



「オレは! 何にも! してねぇだろぉがよぉ!!」



 不可抗力に巻き込まれることを繰り返し、渦中の人となってしまった不運の男、サイハ・スミガネ。

 怒声とも悲鳴ともつかない声を上げると、彼は一目散に逃げだした。



「ヤローぶットバす!」

 リゼットも猛烈な速さで走りだし、サイハを追って夜闇に姿を消す。



「ヤーギル!」

「ケロンッ、抜かりはありませぬぞエーミール殿! 既にリゼット氏の衣服に弾丸オタマジャクシを潜ませますれば!」



 一足遅れて、カエルヤーギルをつれたエーミールが二人の後を追いかけていった。


 メナリィとヨシューだけが、呆気あっけに取られて〈ぽかぽかオケラ亭〉に取り残される。


 その夜、サイハの住処汽笛台からは男女の痴話喧嘩ちわげんかの声が鳴りまなかったという。

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