第二章 -陸の孤島の巡り会い-
2-1 : 変な女
全くもって意味のわからない状況だった。
安眠を、文字通り踏みつけて。
ベッドに
「わッざわざこのアタシが名乗ッてヤッてンだゼ? ナンとか言えよコラ」
リゼットと名乗った人物の、
挑戦的で野太くあったが、それは
――は? ……は??
サイハは依然として声も出ない。
突然のことで動転しているというのもあったが、それにも増して物理的に声が出せないでいた。
顔面を思いきり踏まれていれば無理もない。
目だけをぐるりと回して、真夜中の
女。
十代の半ばを過ぎた程度と
冷たい星明かりにも似た真っ白な肌は、本来であれば病的で
そして夜の
「オイ……ジロジロ見てンなよ、このバァカ」
その瞳にサイハの視線が吸い込まれていると、
挑発するように顎を上げ、
世間には、女性からそういった扱いを受けることに
――何なんだよこいつ……誰なんだよ?! さっきから黙ってりゃ
リゼットの
「――ぶっふぉ?!」
リゼットの足を顔面に乗せたまま、サイハが盛大に噴き出した。
「ウオッ?!
唾
「ぶっふ……そっちこそ何だってんだよ! いきなり人ん家に上がり込んで人の顔踏んづけてきて……こ、この……この……っ!」
ようやく自由になった身体を起き上がらせて、サイハが震える指先を女へ向けた。
「この変質者ぁ!」
いやぁぁ! と顔面
「ア゛?! どーいうこッたオイ!? ドコにいンだよそンなヤツ!? ヤベェじャねェかッ!!」
サイハの悲鳴にぎょっとしたリゼットが拳を構えた。周囲を警戒して右へ左へ
「やべぇのはお前だよ!
「ア゛ァ!? テメェ、アタシのことバカにしてンのかバカヤロー!」
サイハの発言を侮辱と受け取ったのか、顎をしゃくらせメンチをきったリゼットがサイハに迫り、ドンと左手を壁につける。右手でサイハの襟元を
「ひぃぃ!? 露出魔に襲われるぅっ!」
「ロシュツマ? アタシは〈ノーブル〉だ! ヘンな名前で呼ンでンじャねェぞゴラァ!」
ならず者には慣れているが、露出癖の変質者を相手取るのは無経験のサイハである。気づけばリゼットにすっかり
「ど、どっからツッコめばいいんだよ!? やめろ、情報量が多すぎる! わ、わけがわからん!!」
「ワケがわかンないのはこッちだバカがァ!」
男女が
「こんっの……!
一声叫ぶと、サイハは意を決して両腕を前に突き出した。
リゼットの白磁の肌を突き飛ばす。
ギッ……シ。と、一際大きくベッドが
「はぁっ……はぁっ……はぁぁぁ……」
嫌がる猫のように暴れていたリゼットを、ようやく押さえ込み。サイハがほっと息を吐く。
サイハの筋肉質な男の身体に対して、リゼットのそれは
「チッ……だッからヤなンだ、このカラダ……」
急に
サイハは、リゼットのそんな態度が気に入らなかった。
だから――バサッ。と。
「……ア? ンだコレ?」
ベッドに横たえていた裸体にジャケットを投げつけられて、リゼットが
ほとほと疲れたと語る背中で
「あー、何だ……何がどうなってんだ? 落ち着いたんなら説明し――ほぁぁあ?!」
サイハが対話の場を設けようとする最中、あぐらを
ジャケットを急いでキャッチして、もう一度強引に彼女に着せる。リゼットが「ンだよ邪魔クセェな!」と暴れて聞かないものだから、結局袖を通させることもできなかった。
肩に
「何か逆にやらしくないかこれ」と思わなくもなかったが、サイハは頭を振って雑念を飛ばした。
「えーっと……リゼットっつったか?」
「アァ」
名を呼ばれ、ジャケットの裏地の触れる肩をボリボリと
「何で〈
「ハ? アタシのこと連れ込ンだのはテメェのほうダロが。バカか? さてはバカだなこのバカヤロー」
リゼットのガルルと
「……オーケー……ちょっと原始人には通じてないっぽいから聞き方変えるわ……」
どうにもこの勝ち気な女は語彙力が残念なことになっているようで、サイハもサイハで貧弱と自負する頭を絞って言葉を選ぶ羽目になる。心労と疲労で彼の頬は心なしか欠けて見えた。
「じゃあ、どっから来たのお前」
「ン? 知らね。アッチのほうダロ?」
「……家はどこだよ」
「サァ? 寝てたのは土ン中だったケド?」
「……何でオレの名前を知ってる?」
「ガキがテメェのこと〝サイハ〟ッて呼ンでたろうが」
「……。…………〈ノーブル〉って何」
「ハ? 〈ノーブル〉は〈ノーブル〉だろが。そンなコトも知らねェのかよテメェ」
「えぇ……それでいくと……ドライバ? ってのはただドライバって言いたいのかよ…??」
「ナンだ、わかッてンじャねェかよ、ハハッ」
「うん……お前の言ってること全部わからんってことはとりあえずわかったわ、うん……」
気づけば東の地平は白みだし、空と土と鉄の色が鉱脈都市に昼の顔を浮かばせつつあった。
◆
「――サイハさーん、起きてますぅ……?」
夜間の突然の露出魔襲撃に安眠を妨害され、今もその露出魔(リゼット)があぐらを
「そのう、ちょっと相談したいことがありま――わひゃっ?!」
「ああ、ヨシューか……今日は夜中から客が多い日だなぁ……はは、ははは…………はぁ……」
放心した様子でヨシューへと
「オウ、ガキィ。また会ッたナァ。アタシは〈ノーブル〉。ギフトネームは〝リゼット〟だ」
「お前さっきからほんとそればっかかよ……」
サイハが覇気のない枯れ果てた突っ込みを入れている相手は、ヨシュー少年の知らない女。
「な、何で裸の女の人がいるんですかー!? 服着てくださぁい! は、恥ずかしいですよう!!」
色事など
わひゃと悲鳴が上がる。目を両手で覆い隠してしゃがみ込み、耳の先まで真っ赤にして。
「……ン? ハ……??」
先ほどからヨシューを指差してハッハと笑っていたリゼットだったが、ふっと口を
「なァオイ、サイハよォ……アタシのこのカッコ、恥ずいのか?」
あんぐりと顎を落としたサイハが、白い目で見る。「こいつ今更何言ってんの?」と。
「全モロなんだからそりゃそうだろ……いや、露出魔にはむしろご
「ぜ、
それを聞いたリゼットが、にわかに慌て始めた。
表情が凍りつき、全身に順繰りに手を当てながらあたふたとして、額にはどっと大量の汗。
「コ、コレ……! ひョッとしなくても外装部品全部外してるッてことカヨ!? うッそ……! しュ、主機関もターミナル回路もインナーフレームも全部丸出し?!」
女体を指しているのだろうか、何か隠語めいた言葉を連発して、リゼットが目を丸くする。
白かった肌は今や真っ赤に。アババと珍妙に踊りだしたのは、どこを隠せばいいのかわからず
それを流し見ているサイハの表情は死んでいる。ヨシューとリゼット、二人の悲鳴が飛び交うその真っ
「もうオレには収集つけれんわ……まぁ、ゆーて全身ぺたんこのおこちゃま体型だし? そんなもん見られたところで――」
「ナンでさッさと言わねェンだよこのヤローマジぶッ飛ばすぞテメェ! バッカァアーッッッ!!!」
涙目のリゼットが右手でジャケットを手繰り寄せ、殺意も
バッチーン!
「ぶべぇっ!?」
大きなびんたの乾いた音が、〈汽笛台〉の鳴らす時報よりも随分早く夜明けを告げた。
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