ドライブ×ドライバ -蒸気妖精物語-

長月東葭

第一章 -荒野と鉄と歯車と-

1-1 : 蒸気の街

 それは何とも――殺風景な世界だった。


 焦げ茶色の大地がじりじりと焼け、陽炎かげろうが揺れている。

 乾いた風に、ざぁっと砂が舞い上がる。


 天頂で燃え上がる太陽と、その隣にはぼんやりと浮かぶ二つの月。

 蒼穹そうきゅうの天蓋は地平線まで伸びて、その縁が蜃気楼しんきろうと溶け合っている。


 雨雲はおろか、筋雲一本も浮いてはいない。


 無慈悲に乾いた、鮮烈な土色の大地と。

 青一色に塗り潰れ、遠近感を失った空。


 三百六十度、見渡す限りに――荒野。


「全く、何もない場所だよ、本当に」――そんなとりとめのない言葉をつぶやく者さえおらず。


 聞こえるのは、ただ徒然つれづれと吹く風の音と、静々と岩の風化してゆく気配だけ。


 およそそこは、人の住み着く場所ではなかった。


 彼らの出会いの物語は、そんな世界の片隅から始まる――




 ◆




 ――何もない荒野のど真ん中。陸の孤島のような場所に、その街はあった。


 茫漠ぼうばくと続いていた土色と空色の狭間はざまに築かれるは、鉄の黒と煉瓦れんがの赤。


 それから、ポッポッポッと立ち上る、蒸気の白。


 乾風が街並みを吹き抜けると、そこに滞留していたもやも晴れて。


 聞こえてくるのは、人々の活気と機械の喧噪けんそうだった。


 プァァーン!

 街の中心でけたたましい音を響かせたのは、住人たちが〈汽笛台〉と呼ぶ塔である。それは時報をとどろかせるたび、濃い蒸気で街の姿をかすませる。


 大きな弾み車フライホイールが回る。太いピストンが往復運動を繰り返し、クランクシャフトが躍り上がる。


 蒸気機関が隆盛をきわめるその街の名を、〈鉱脈都市レスロー〉といった。



「――よぉっし」



 街並みを見下ろす、〈汽笛台〉の一室。

 元は倉庫として使われていた、無駄に広いだけの空間。そこには何やら巨大な機械構造体が鎮座していて、その腹の下から、一人の男がいだした。



「ちぇ、切替弁バルブが詰まってやがった……。何が新品だ、ジャンク屋の野郎。適当なこと抜かしやがって」



 十代後半と見える、生気にあふれた顔つきの青年だった。

 乱雑に切られて逆立った金髪、赤土色の瞳、頬には長くうっすらと切り傷の跡。


 文句をこぼす口調は荒く、元から悪い目つきは不良品をつかまされた不満で一層渋くゆがんでいる。


 椅子の背もたれに掛けていた焦げ茶色のジャケットを手に取る。油に汚れたシャツの上からそれを羽織ると、やたらと数の多いポケットがジャラジャラと揺れた。

 カーゴパンツについたものも数に入れれば、ポケットの総数は十を超える。まるで歩く工具箱である。


 両手にそれぞれつかんでいたスパナとドライバーを図面台へ放る。足元には大きな木箱に放り込まれた機械部品ガラクタの山。その横にはゆがんだフレームがきだしになった簡素なベッド。



「えーっと、どこにやったっけか……?」



 整備したての機械をしばし満足げに眺めてから、青年はポケットをまさぐって何かを探す。



「……お! こんなとこに入れてたか」



 目当ての物を探り当て、上機嫌にそれ、、を取りだす。

 それは親指ほどの大きさの、青白い結晶だった。



「にっひひー。いっちょ試運転といこうや。頼むぜ、〈霊石〉ちゃーん」



 ンー、マッ!

 小さな結晶に唇を押しつけて何やら願かけをすると、青年は両手に分厚い革手袋をめる。ごわつく指先で結晶を摘まむと、彼はそれを額へとやった。


 そっと目を閉じ、野犬のようにやさぐれていた表情がこのときだけは敬虔けいけんな顔つきへと変わる。



 ――『火』だ。火をイメージしろ。



 ……心の中で、自分に向けてそうつぶやいた。


 閉じたまぶたの裏側に映る暗闇は、窓辺から差し込むの光を透かしてわずかに赤みを帯びている。血の巡りに合わせて、その中を無数の不定形の記号が無作為にうごめき、流れて。



 ――暖炉の火とか、き火とかじゃない。もっと、鋭い奴だ。刺すような。



 眉間にしわを寄せながら、青年はムムムと喉を鳴らす。


 それはこの世界において、訓練さえすれば誰もが身につけることのできる技能だった。

 資源をこの小さな結晶に頼っている彼らにとっては、それは例えばマッチの芯を折らずに火をおこすことであったり、例えば自転車に転ばずに乗ることであったりと、そういう感覚的で当たり前のこと。


 しかしいざ、その手順と方法を具体的にすべて言葉で説明できるかと問われれば、万人が万人言葉に詰まり、皆が皆「何となく」としか答えられない。そういう類のもの。


 何事か念じ続ける青年のまぶたの裏に漂う暗闇と記号の群れが、やがて一点に集中し始める。

 それは目を閉じているなかにあって、はっきりと〝光〟として認識できるほどになり――。



「――っぢ!」



 革手袋がジュッと音を立て、焦げ臭くなったところで青年ははっと目を開けた。


 指先に摘まんでいた青白い結晶が、今は赤熱してにわかに湯気を上げていた。


〈霊石〉と呼ばれるその結晶は、引火性を持たないにも関わらず、人の思念に感応して発火するという性質があった。

 加えて、その複雑な結晶構造は多量の水分子と結びついてもいる。


 そこから得られる高温蒸気は膨大で、それ自体が超小型・大出力のボイラーとして機能する鉱物。



「熱っちち……! よっしゃいけぇ!」



 青年は蒸気を噴きだす〈霊石〉を両手でお手玉させながら、機械構造体の投入口へ放り込んだ。


 バタンと勢いよく耐圧容器をロックすると同時に、黒鉄くろがねの機械に命が宿る。


〈霊石〉が、鉄の腹の中へ蒸気を満たしてゆく。

 圧力計の針が起き上がり、あっという間に最大値に達する。それと同時に増えすぎた圧力の逃げ道である安全弁が開き、ピィーっという笛の音とともに蒸気が噴き出る。


 燃え盛る結晶は、さながら心臓。

 鉄の管を流れる蒸気は熱い血潮。

 けたたましい汽笛は、まるで咆哮ほうこうにも似て。

 まさしくそれは、鉄の身体を持って生まれた獣のごとき、蒸気機関の躍動であった。


 そのようにして機械が息吹いぶくさまを見守りながら、青年は興奮した様子で鼻の穴を膨らませていた。



「ふふーん、ご機嫌じゃんよぉ。回路内圧力正常。お次は展開シリンダーいってみよー」



 我が子同然の蒸気機関を「おーよしよし」とで回しながら、青年は鼻歌交じりに手元のレバーを引き倒した。


 ……ガッ。

 そのとき。

 何かがみ込み、レバーが引っ掛かる不快な感触が手先に伝った。



「……ん?」



 ピクリ。

 それまで機嫌よく上がっていた頬をこわばらせ、青年はもう一度レバーを引いてみる。


 水平方向まで倒れるはずのレバーが、斜め四十五度の位置からびくともしなかった。



「ん……? ん?? んんんー???」



 はてなと首をかしげ、ならばと青年はレバーを元あった真上方向へ押し上げる。


 全くもってピクリともしなかった。



「なぬ……?」



 両手を添えて、両足で踏ん張って、全身をジャッキのようにしてレバーをぐいぐいと押し上げる。


 しかし、一念の覚悟を固めたおとこのように、レバーはその場に居座って微動だにしなかった。


 バキッ。

 嫌な音が聞こえたのは、そんなとき。


 直後、高圧の蒸気が漏れる気配。



「うひぃ?! や、やべぇ、変なトコに圧が行っちまってる!? くっそ、閉じろ! もしくは開け! そんな中途半端な位置で引っかかるなこらぁ!!」



 焦り顔を浮かべた青年は、レバーに四肢を絡ませ全身を前後に激しく揺すった。まるで汚いポールダンスである。


 そんなことをしている横で、悲鳴を上げた圧力計が振りきれて。


 ボンッ。

 それは何とも情けない音。


 ガラス窓をぶち破り、真っ白な蒸気がほとばしった。



「にぎゃーっ!」



 倉庫に住み着く青年の悲鳴が、爆発に遅れて響き渡る。


 この青年の名を、サイハ・スミガネといった。




 ◆




「サ、イ、ハぁぁー!!」



 ドタドタと階段を踏み鳴らして倉庫に駆け込んできたのは、恰幅かっぷくの良い中年の男。

 時報の汽笛を鳴らし終えたばかりの、汽笛守きてきもりである。



「な、な……何やっとんだお前ぇ!? とうとうくたばったか?!」



 扉を蹴破る勢いの汽笛守きてきもりだったが、肝心の扉は先の蒸気爆発で吹き飛んでしまっていた。



「痛ってて……くっそ、さっきの部品のせいだ……絶妙なタイミングでイカれやがって」



 そんなうめき声とともに、荒れ放題となった倉庫の片隅にひっくり返っていた木箱の一つが、ヌンッと脚を生やして立ち上がった。


 汽笛守きてきもりが思わずぎょっとする。


 それはサイハの声で間違いなかった。脚があるから化けて出たわけではないようである。



「サイハよぉ……お前、まぁたガラクタいじりかいや」

 サイハを見やりながら、汽笛守きてきもりあきれた調子で言う。

「ここを吹っ飛ばす気なんなら、今度こそ出てってもらうぞ?」



「ん……? あれ? どこいった?」



 不機嫌な顔の汽笛守きてきもりを尻目に、サイハはといえば鉄屑てつくずの山をき分けて何かを探している。汽笛守きてきもりの苦情など聞いてもいない。



「お前はほんまに……タダで住まわせてやっとるっちゅうのに。そんなもん突っつき回しとる暇があったら、機関室うえに上がって汽笛の整備ぐらいやってくれてもえかろうが」



「オレは汽笛屋になる気なんざねぇよ、おっちゃん。そんな毎日決まった時間に汽笛ぶん鳴らすだけの人生になんて収まりたかないね。ロマンがない」

 サイハの尻が、汽笛守きてきもりの言葉を拒否して左右に揺れる。

「……よしよし、壊れてないな」



 滅茶苦茶めちゃくちゃになった室内からサイハが引きずりだしたのは、左右で作りの異なるゴーグルだった。


 右のレンズは二重構造。透明レンズの上に、跳ね上げ式の偏光グラスがついている。


 左のレンズはまるで目玉が飛びだしたような多層構造。まみがいくつもついていて、それらをカリカリと回転させることで倍率と焦点を切り替えられる構造になっている。


 目を保護するために常時装着しておくには使い勝手の悪そうなそれは、サイハが自ら改造したもの。

 だるだるに緩めたヘッドバンドに頭を通して、サイハはゴーグルを首に下げる。


 同じく引っぱりだしたバックパックをひょいと背負うと、サイハは説教を垂れ続けている汽笛守きてきもりを無視して、フンス。鼻息を吹いた。



「うっし……行くか」



「……お前ときたらどこの組合にも入ろうともせんで、ワシはそれが心配で――どこへ行くって?」



 目をつむっていた汽笛守きてきもりが、どことなく不穏なサイハの言葉を聞きとがめて目を開ける。


 次に汽笛守きてきもりの目に飛び込んできたのは、横を素通りしていくサイハの背中だった。


 汽笛守きてきもりが呼び止める間もなく、サイハは滑り棒に掴まってするすると階下へと下り始める。



「〈霊石〉きれちまったから、ちょいと拾いに行ってくる! それじゃおっちゃん、窓と扉の修理頼んだぜ! どうせ次の汽笛鳴らすまで暇だろ? そんじゃなー!」



 降り立った地上から汽笛守きてきもりを見上げてそれだけ言うと、サイハは背を向け走りだした。



「なっ……おい! サイハぁー! 逃げるなこらぁ!」



「さっきの汽笛、昼飯ひるめしの合図だよなぁ! なら、〈蟻塚ありづか〉に忍び込むにはちょうどいいぜぇ!」



「お前、また〈PDマテリアル〉に行く気かぁ!? やめとけぇ! 最近あそこいらにはならず者の番犬がいんだぞ! おぉい!!」



 窓から身を乗りだす汽笛守きてきもりの言葉には耳も貸さず、サイハはそのまま走り去っていく。


 街並みの彼方かなたには、異質な造形を誇示する摩天楼がそびえ立っていた。

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