ヒトという軸がズレている。
眞壁 暁大
第1話
町田マチはミチとサチの母親であった。
ミチとサチは、同様に町田マチの子供であった。
先週までの話である。
先週の頭、ミチは町田家の入居するマンションの前で、警察車と救急車、そして消防車に囲まれる形で大人から質問攻めに遇っていた。
ミチは後になってそれが事情聴取だったのだな、と思い返すが、その時はそこまで頭が回らず、責め立てられているとしか思えなかった。
足を残して燃えカスになった母・故町田マチ(未確定)の載せられた担架を背に二人の大人が言う。
「君の、もとへ、君たちの父はあの〇〇だね?」「やくざの?」
手前のひょろいオッさんのセリフに後ろの太い青年の言葉が被る。
そのとおりだが、それがなにか関係があるのか。
ミチには質問の意図がよくわからなかった。
ミチが知りたいのは足首のちょっとうえ、ふくらはぎのくびれだけ残っている担架の上のそれが、たしかに故・町田マチであるのかどうか。
状況から見てまず間違いなく母であろうとは思うが、確証はまだない。
「心臓が弱いんだよ」と言いながらシリアルを貪るように、よくわからない薬を匙でザラザラ飲んでいた母だから、いつか死ぬかもとは思っていた。
寝タバコの癖はついに治らなかったから、そのせいで寝室を燃やしたついでに自分も燃えたのだろうという想像もついた。
しかし、確証はない。
だからそのことが一番知りたかった。
なのに大人はどうでもいい父親のことを聞いてくる。もうずいぶん前に刺殺されたはずだ。ミチは母からそう聞かされていた。
今いない人間のことを聞いて、この大人はどういうつもりなのか?
返事を探しあぐねたミチの沈黙を肯定と受け取ったのか、ひょろいオッさんは一つ頷くと
「よし、わかった!」
と手を叩いて背を向けてしまった。
残りの細々とした質問…ミチの帰ってきた時間とか誰が通報したのかとか…は太い青年が聞き取りをすることになったようで、それで長々とミチは拘束されることになった。
太い青年の方も、さいしょの質問を放ったときのような真面目さは感じられず、淡々と質問を消化していく。
早すぎず遅すぎず、黙々と消化される質問が途切れたあたりで、ミチはようやく自分から尋ねた。
「あれはやはり母ですか」
「母…? うん、町田マチだね」と青年は答えた。続けて
「救急の話だと心臓発作を起こして亡くなったようだ。それで吸っていたタバコを消す暇もなくあっという間に死んだ、というのは消防の見立てだね」と言った。
それじゃあ警察はどう考えているのか? と訊く前に青年はさらに被せる。
「我々としても、異論はないね」
青年の背後に置かれていた故・町田マチ(確定)の載せられた担架が運び出される。
これからどうなるのか、青年が言葉を被せる前に慌ててミチが尋ねると、青年は答えた。
「知らんよ。それは警察の仕事じゃない。他を当たるんだね」
母の遺体を何処かへと運び去るのに知らんもないだろうに。ミチはそそくさと立ち去る大人たちの背に向かって悪態を吐いた。
こうして町田マチの子供であったミチとサチは、もはや身寄りのない、ただの町田ミチと町田サチとなった。
事の次第を町田ミチから聞いた担任は胴長の平たい胸の前で一つ、腕を組んだ。ミチら生徒からは「如来」の渾名で呼ばれているその担任はすこし首を軋ませながらひねり
「それでは、今はキミらは誰と暮らしている」
とミチに尋ねた。ミチは正直に、ミチとサチの二人で燃え残った部屋に住んでいると答える。
「では、キミらの母親がなくなった部屋はそのままか」
「水も掃けて片付けもしましたが、そのままです」
如来は踊らせていたもう一組の腕を、すでに組んだ腕の上で組む。
腕組み2つで如来の平たい胸が半ばまで埋もれてしまったが、まだ一組残った腕が、如来の頭の周囲を所在なげにくるくると輪を描いていた。
如来が本当に困っている時の癖だ、この学校に進学以来、ずっと如来が担任だったミチはすぐに気づいた。
如来がなにを困っているのかはなんとなく想像がつく。
ため息をつくと、如来は残った腕も胸の前で組む。6本の腕で平たい胸は完全に覆われた。
「保護者がいないのは仕方がないし、瑣末なことだ」
そう言った後、如来は首を回す。体育教師や数学教師のように、顔が3面も4面もあるわけではないから、ミチには如来の薄くなった側頭部がよく見えた。
「問題は、これからどう食っていくかだよ」
やはりそれか、如来の一言にミチは考えないようにしていた悩みを直視せざるを得なくなった。
*
昔々のある日。
世界に不意に小さな穴が開いた。その穴からはヒトならぬものが湧きでたものの、しばらくするうちにまるで無害なものと判明してからは、その穴は体の良いゴミ箱として用いられるようになった。
いまは世界にとって不都合な、不格好なヒトやモノを放り込むのにちょうどいい穴として用いられている。
穴そのものへの直接投棄は人の心が痛むのか、穴の周縁に放置して隔離するというのが人の振る舞いだったが、棄てているという行為そのものには変わりはない。
*
現に棄てられたはずの不都合なヒトやモノが、その穴の周縁から出ていこうとすると、人はそれを未然に防止しようと躍起になる。
町田家のマンションの部屋が焼けた時に警察や消防・救急の大人がやってきたのは、焼け出された町田家が、穴の外の世界に戻ってこないように押し止めるのが目的だった。
町田家も、町田家の子供達もまた、人の形こそしているが人の世界にとっては不都合な存在であった。
町田マチの遺体が人の世界へ持ち去られたのは、もはやそれが人の世界に不都合で不格好な存在ではなくなったからに他ならない。
まだ生きていて、ゆえに不都合な存在であるミチとサチは、依然として穴の周縁に留めおかねばならない。
しかし二人が周縁にとどまるためには、今のマンションにとどまるためにはカネがいる。
それが分かっているからこそ如来は頭を悩ませているのだーーミチはそう思っていた。
「カネの当てはないのだよな?」
如来の尋ねたのに、ミチはコクリと頷く。
すると如来はあっさりと
「なら、母親の部屋を貸し出すといい。ルームシェアだ。客は心当たりがある」
と言った。
金策の目処が立たないと思っていたミチにとっては思いがけない話。
思わず顔をあげたところ、如来は胸の前で組み合わせた腕をキシキシと鳴らしながらさらに渋い顔をしていた。
礼を言おうとしていたミチは、如来になにがそれほど気に入らないのかわからなかった。
「うむ」
如来はミチの言葉にすべての腕をほどき、ついでに腰掛けた椅子の上に両足を掲げた。
「つまりこういうことだ。
ミチよ、君はこれからルームシェアのオーナーであり、同時に学生でもある。
こういうのを人の世界、外の世界では『二足のわらじを履く』というのらしいが……見たまえよ」
如来は掲げた足を含めて、8本の腕と足をまったく同じように胸の前で組んでみせた。
そうして組んだ腕と足をキシキシ鳴らしながら、如来は渋面を浮かべる。
「ご覧のとおり、私には腕しかない。このような有様で『二足のわらじ』など、実感を伴わない上滑りした言葉になりはしないだろうか?」
「いや。よりはっきり言うなれば、私は足を持たぬのに、足に擬えた表現というものに違和感をおぼえるのだ」
ミチは驚いた。
如来の8本の肢が、本人の意識としてはすべて腕であったということに。
ミチは6本の腕と2本の足であるとばかり思い込んでいた。
人間の偏見というものはまこと根深いものだと思う一方、如来がすごくくだらないことにこだわっているようにも思えて急にバカバカしくなった。
「先生」
ミチはシェアメイト候補の詳しい話を聞く前に如来の悩みを解いてやることにした。
「そういう場合はこう言えばいいんですよ。
『学生とルームシェアのオーナーの二刀流』
だと」
自分で言いながらなにかおかしいと思っていたが、そのことは黙っておいた。
二足のわらじも二刀流も、厳密な区別なく使っているし、使ってきたのだから、いまさら小さな違和感に拘って、如来のように二進も三進も行かなくなるのもバカバカしい。
ミチは腹の底に引っかかるBad Feelingを飲み込み、如来に笑みを向けた。
ヒトという軸がズレている。 眞壁 暁大 @afumai
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