抜かずの人
髙橋
前編
駆け付けたときは全て手遅れだった。
村は弥太郎が出発した時と、同じものと思えないぐらいに荒らされていた。
そこら中から火の手があがっている。のどかな農村だった故郷が一瞬にして破壊されてしまった。
この惨状を見た瞬間、弥太郎の心臓は縄で縛り上げられたかのように痛くなった。
そしてすぐに早鐘のように鳴り出した。
弥太郎の心にあるのはたった一つのことだった。
「頼む、お糸無事でいてくれ・・・!」
弥太郎には、お糸という名前の幼馴染がいた。年も近く、家同士が近所ということもあり、二人とも気付けばずっと一緒にいた。
毎日のように遊び、互いの家で食事をし、家族同然の付き合いだった。
だから弥太郎が隣の町にある香取神道流の道場に稽古に行くことを決めたときも、お糸は一緒に付いてきたがった。苦労してお糸を説得して、どうにか一人で稽古に行くことになった。
年月が経ち、弥太郎は立派に成長した。剣の腕もみるみる上達し、特に二刀流に関しては、向かうところ敵なしとなり、道場内でも随一の腕前だった。
この頃になると、弥太郎にも身を固める話が出てきた。
道場の師範は自分の娘と祝言を挙げさせ、弥太郎に道場を継いで欲しがっていた。
また、弥太郎の腕前を聞きつけた家老は娘の婿養子に来ないかとわざわざ道場に誘いに来た。
しかし、弥太郎はいずれの縁談も丁重に断った。
弥太郎にはお糸という心に決めた人がすでにいたからである。
弥太郎は近々お糸に一緒になろうと言おうと決めていた。
道場からの帰り道にお糸に似合いそうな、明るい朱色のかんざしを見つけた。
弥太郎はこういうものには疎かったが、お糸のお日様のような笑顔にこの明るいかんざしはよく似合うだろうと思った。
弥太郎はかんざしを買い、家路へと急いだ。
お糸は喜んでくれるだろうか。弥太郎はささやかながら幸せを感じていた。
そんな矢先だった。
いつものように稽古が終わり、村へ向かう途中、弥太郎は村から煙が上がっているのが見えた。
どこかの家が火事でも出したのだろうか?
しかし、それにしても煙の数が多い。
弥太郎は強烈に嫌な予感がした。村に向かって走り出すも、胸中は気が気ではなかった。
煙の数はどんどん増えていく。
村に着いたとき、弥太郎は目の前の光景が信じられなかった。
そこら中に人が倒れ、家々からは火の手が上がっていた。
一体何が起こったのか。誰がこんなことを。
いや、それどころではない。お糸は・・・!
弥太郎がお糸の家の前に駆け付けた時、すでにお糸の家は炎に包まれていた。
そして家の前に女が一人倒れていた。うつ伏せで顔は分からない。しかし、血塗れであることは遠目からでも分かる。女はぴくりとも動かない。
弥太郎は自然と手が震え出した。
「頼む、違ってくれ!頼む!」
そう心の中で念じながら震える手で女の体を抱き上げ、顔を見た。
そこにはすでに事切れて静かに目を閉じているお糸の顔があった。
弥太郎はただ震えているばかりで声も出せなかった。
なぜ、こんな。どうして。
そんな言葉が頭の中をただ回っていた。
何とか村中の火がおさまった頃、ようやく弥太郎は正気に戻った。
村はひどい有り様だった。そこら中、焼け焦げた臭いと血の臭いが混じり合って、充満していた。
村の半数の人が殺され、金目の物はあらかた盗まれていた。
生き残った村人に話を聞いたところ、四人組の盗賊が急に襲ってきて、殺戮と略奪を一通り済ますと家々に火をつけて去っていったとのこと。
しかも、賊の頭目は有名人だった。
かつて、ここの藩で剣術指南役をしており、「鬼の孫兵衛」と呼ばれていた人物だった。
この孫兵衛、剣の腕は立つのだが、とにかく横暴で気にくわないことがあると、平気で人を半殺しにするような血の気の多い人物だった。
それでも剣の腕を見込まれ、なんとか指南役を続けていたが、ついには藩の金を横領していたことまでもが明るみになり、ついには上様のお怒りを買い、お縄となることとなった。
しかし、おとなしく捕まる孫兵衛ではなく、捕縛に来た役人をことごとく切り捨て、出奔した。
そしてついには盗賊にまで身を落とした、というわけである。
もっとも元々血の気の多い孫兵衛には盗賊の方が性に合っているらしく、ごろつきを手下にして好き勝手暴れ回っているのだった。
弥太郎は悔やんでも悔やみきれなかった。
何のために自分は剣術を学んだのか。自分の大切な人も守れないで何が侍か!
道場始まって以来の二刀流の使い手などと、もてはやされ少しでも有頂天になっていた自分を殺してやりたかった。お糸を救えなかった自分はもはや侍ではない。
弥太郎は天に誓った。次に自分が二刀を抜く時は仇を果たす時だと。
それまで自分は刀を抜くことはしない。
お糸や他の村人たちの葬儀が終わった日に弥太郎は村を出た。
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