第50話 恋のような味

「はぁ? もうデートじゃん」


 ホテルの優雅なアフタヌーンティーを前にして、朱莉はそう目を見開いた。夕べの出来事を尋問されているのだ。自分たちが帰った後どうだったのか、と。


「あぁ、でも当然そういう感情ではなくって。単に心配をして誘ってくれたんだと思うんだ。けどそれがさぁ、優しいなぁって思って」

「まぁそうだよね。大人の優しさだよね。寄り添い方がスマートというか」

「そうそう」


 二人でシャンパンに口を付けながら、何度も頷いた。細かな泡が口の中で弾ける。わざわざ、これが付いている店をチョイスするあたりが朱莉らしいなと思う。周りの女の子たちは、いちいち写真を撮ったりと忙しそうだが、あぁいうことは樹里も朱莉もしない。目に焼き付けて、目の前の美味しいものに集中する。サークルでも写真を撮る人の多い中、二人だけはそういうことに全く興味を示さなかった。ある意味似ているのかも知れない。


「でね。私、思ったんだけど」

「お、うんうん」

「やっぱり私……彼のことが好きだと思う。彼女もいるし、相手にはされないだろうけど」


 朱莉には、今の気持ちを素直に宣言しておきたかった。昨夜、斎藤と過ごして感じたことだ。彼がヒロミと結婚をしてしまうとしても、今一緒に過ごせる時間を楽しみたい。それと、自分の気持ちを押さえ付けて、見ないフリもしなくない。仕事で頻回に会ってしまうのは苦しいけれど、それはそれだ。


「うん、それでいいんじゃない? 無理矢理奪ってでも、彼女になりたいって話じゃないでしょ。それなら、私は応援するよ」

「ありがと。どのみちさぁ、今は仕事で関わらなきゃいけないでしょう? しかも、これからが忙しい。だもの、いちいちときめいてる場合じゃないし、今の関係で十分」

「あぁ、そっか」


 そりゃそうだ、と朱莉は笑いながら、スコーンに手を伸ばす。クロテッドクリームとジャムをたっぷり乗せて、ほこほこと嬉しそうな顔を覗かせた。でしょ、と同調しながら、樹里もそれに手を伸ばす。同じようにたっぷりと乗せたクリームとジャム。これがスコーンにはよく合う。

 店内に流れているのは、静かでお洒落なジングルベル。思ったより心は乱されていない。千裕を見限ったことと、陽気な雰囲気ではないことが功を制したのだろう。もしあの曲が流れたなら、きっと今も心が締め付けられることは目に見えている。


「ところで。朱莉こそ、昨日あの後どうしたのよ」

「え? あぁ。平野くんとラーメン食べた」

「あ、ラーメン……」

「話して思ったけど、アイツ意外といい奴だね」

「そうねぇ。ちょっと頼りないところはあるけれど、仕事の面だけで言ったら、最近は随分成長したよ。元来大人しい子だろうから、押しに弱いようなところはあるけれど」


 大樹はどう思ったろうか。一瞬、ラーメンかぁ、と思ったが、彼はそれでも嬉しかったかも知れない。わざわざ上司である樹里に連絡しては来ないだろうが、月曜日の反応は楽しみだ。温かく受け止める準備はしておこうと思った。


「あの人、変わるよね。きっと」

「ん? あぁ小笠原さん?」

「そう」

「そうね。ちゃんと見ててくれる人、いるから。きっと、すぐよ」

「そうなの」


 意味深な笑みを浮かべて、頷いた。

 昨日千裕に会って、思い出したことがある。いつだったか、同期の真面目な男から連絡が着ていたことを。『何もないと思うけど、千裕が暴走しそうだから気をつけて』と。千裕の様子と香澄のことを知らせる内容だった。そんなに気にも留めていなかったが、昨日のアレだ。『無事、方がついたよ』とだけ連絡したのである。それから話を聞けば、彼は全てを見ていたのだ。香澄に樹里たちのことを話したのも彼。それはずっと香澄が、千裕を見ていることに気付いていたから――


「ねぇ、樹里ちゃん。お正月はどうするの?」

「ん、何も考えてないけど。とりあえず実家に帰るかな。いつ帰るとかは決めてないけど。まぁ、千葉だから。それほどかからないし」

「あ、千葉かぁ。じゃあ日帰りでも行けるんだ。いいなぁ」

「あれ? 朱莉は?」

「私も帰るよ。長崎だからチケットも取ってある」

「長崎かぁ。それは遠いね。お休み入ったら、すぐに出る感じだ」

「そう。今のところは、一日前に有休取って出る予定。ほら、旅行の人たちと被るの面倒じゃない」


 樹里の家は遠くない。電車で一時間ちょっとの距離だ。交通費だって、千円に満たない樹里に比べ、彼女は何万円とかかる。『帰省』への思いが、樹里とは違うようだった。


「そうだ。この後、お土産探しに行ってもいい?」

「え、うん。いいよ」

「お姉ちゃんとこのチビに、何か買って帰ろうと思って」

「うんうん。そっか。分かった。朱莉はお姉ちゃんがいたんだね」

「そう。姉が二人。樹里ちゃんは?」

「私は、兄が一人。仲がいいわけでも、悪いわけでもない」


 地元の同級生と結婚して、子供も二人いる兄。住んでいるところも実家の近くで、どちらの家にもよく行っているそうだ。それが幸いして、孫の顔を見せろ、というあのフレーズを樹里は言われたことがない。ただ、結婚できない娘のことを不憫だと思っているのは確かだ。きっと正月に帰っても、その小言を言われるのは目に見えている。いくら近くてもあまり帰る気になれない、憂鬱な原因だった。


「チビちゃんは女の子? 男の子?」

「男一人と、女二人。小学生と幼稚園児だね」

「そうか。じゃあ何屋さん見る? おもちゃ屋さんは、今日混んでそうだけど」

「あぁぁ……そうだった」

「本とか文具とかは?」

「あぁそれもいいね。よし、文房具見よう」


 そして、嬉しそうにプチケーキに手を伸ばした朱莉。カシスのムースというそれは飴細工で覆われ、陽の光で艶々と輝いていた。樹里は、鮮やかなグリーンのブッシュドノエルを皿に取る。ピスタチオの濃厚なクリームの中に、バニラクリームとフランボワーズの甘酸っぱいクリーム。今は帰省の憂鬱など忘れよう。小さくカットして、それを口に放った。ふわっと広がっていくそれは、何だか恋のような味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る