☕未婚の貴族or高名の依頼人・25
「エジプシャン・ホールへ!」
ワトスン博士が辻馬車をどうにか拾っている頃、そう御者に告げたホームズと、馬車に乗り慣れていないので猛スピードで石畳の上を走る馬車に、もう少しで
『ここがエジプシャン・ホール……なんかわかんないケド凄い……』
暗闇の中、ガス灯の光に照らし出される、風変りなやかたをマリアが見上げている間に、ランタンを持ったホームズは、さっさと入場の手続きをしてしまう。無許可で……。
「な、なにやってっ!?」
人件費削減のせいか、
「早くしたまえ、母上のティーセット、返さないとまずいんだろう?」
「えっ!? そ、それはまあ、ものすごくまずいケド……」
そう答えたマリアは、無理矢理この状況に納得するとホームズを真似て、こっそり扉の内側に入り込み、エジプトのミイラの入っているらしき棺、エジプトの神様だろう黄金の彫像(にせものっぽい)、さまざまな展示品の間を通り抜けながら、真面目にティーセットを探す。
そう、雰囲気と勢いに、思わず目を奪われたマリアは忘れていた。そもそも、こんな目にあっている原因が、ほぼほぼ、ホームズのせいだということを……。
いくつもの様々な展示品の並ぶ部屋を通り抜け、ようやくたどり着いた先は、緞帳の降りた古びた劇場風のホール。
「ここはいつも定期的に入れ替えながら、色々な興行をやっているんだ。いまかかっている芝居は……なんだったかな? まあいい。我々には関係のない話だ」
「……じゃあなんでここに?」
なぜ、ここにきたのか?
そう聞こうとしたマリアを連れて、舞台に上がったホームズは、
「厳密にいえば、芝居は関係ないんだよ。芝居にはなにがいる?」
「え?……えっと、役者さんと、大道具と……小道具?」
「そう、古来より旅をする役者たちは、少々おかしなモノを運んでいても、疑われずに済むので、グルーナーのようなやからに重宝されたものさ……」
「え?……じゃあ、もしかして?」
ホームズの手には、例のカギ。
「このホールは昔ながら……いや、もう、古いものを新しくする状況になくてね。いまだに貴重な道具をしまう部屋に、この百年近くも前のカギを使っているという訳なんだよ!」
「……それって」
ふたりは目の前に現れた階段をきしませながら、一気に駆け上がると、古びた扉の前に立っていた。
「こういうときのセリフは知っているかね?」
「……Open Sesame!」
「はっ! あの物語は君の世界でも現役らしいな!」
かちりと音を立てて扉は開き、中を覗き込むと、そこには一見なんの変哲もない芝居に使う道具が並んでいたが、ホームズはそこを行ったりきたりしたあと、やはり古びたマントルピースに目をつけ、そこをよじ登ると、天井近くに巻き上げられていた、どこにもつながっていない呼び鈴のひもを、手を伸ばして床に落とす。
「思いっきり引っ張りたまえ!」
「は、はいっ! え? ひ――え――!」
マリアが落とされた呼び鈴のひもを引っ張ると、はたしてこれはどういうことか、マントルピースは、備え付けられた壁ごと大きな音を立てて、宙に浮いたマリアを紐にぶら下げたまま、ゆっくりと回転してゆく。壁の向こうには、イングランド銀行の金庫室のように、いかめしい木箱がならんでいた。
「さあ、マリア君、これが本当のOpen Sesameだよ!」
「わたし、宙ぶらりんで死にかけたんですケド!?」
「君の身体能力を信じていたよ」
「…………」
「それに君の悩みも解決した!」
回転した壁の向こうには、グルーナー男爵の所有する『ニセ金貨』と、彼が『非合法に手に入れた美術品』が、ところ狭しと積みあがっていた。 ホームズが開けた箱には、探していたティーカップのセットも入っていたのである。
「ま、まあ、そう……そう、かな? でも、こんなにたくさん、ふたりで持ち出せませんよ?」
「心配ない。運送のプロがついてきている。そこ! マイクロフトに言われて、ついてきたんだろう?」
「へ……?」
ホームズが声をかけた暗がりには、あのときグルーナー男爵のやかたで潜んでいた影、くだんの東インド会社のあの人物。
「さすがですね、お任せください。あなた方も急いだ方がいいでしょう。そろそろ、大英博物館に向かわねば、間に合わないかもしれません」
「ああ、言われるまでもないよ。じゃあ、ここは君に任せていいね」
「え? あの、ティーカップ……」
「そちらも、ちゃんとベーカー街に届けておきますよ――!」
「あのっ、ほ、ほんとうに頼みますね――!」
簡単に請け合う彼のうしろに、バラバラと人影が出てくるのを目にしながら、マリアは、何度も何度も彼にティーカップのことを頼み、再びホームズと馬車に乗り込んでいた。
「人手が足りなければ、もう少しすれば、スコットランドヤードから、誰かくるから手伝ってもらいたまえ!」
言い残して、大英博物館に向かったホームズの言葉に、今日は紳士然とした格好の彼は、首を振ってから、ため息をついた。
「……それも困ると分かっていて人が悪い。おい、急げ! 誰の目にも止まらんうちに運び終えるぞ!」
それというのも、彼には本来の任務があったのに、マイクロフトの横槍で、この騒動に巻き込まれていたのである。できうる限り、早くコトをすませて国外の任地へと、気持ちはあせるばかりだった。
「……兄弟そろってタチが悪い」
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