☕未婚の貴族or高名の依頼人・19
〈 ~極東からの息吹~わたしの愛する大日本帝国コレクション~ 開催三週間前、マスグレーヴ家 “東洋の間” 〉
さて、2チームに分かれた全員は、あきらめ顔で、あるいは興味津々で(マイクロフトとワトスン博士である。)それぞれに奮励努力していた。
ひとつめのチームは、大英博物館で、『グルーナー男爵をおびき寄せて引き留める、博物館チーム』→マスグレーヴ、マイクロフト、(マリアに化けた)テレーゼ、そして、実はこちらがニセモノ、花瓶ふたつのメンバーである。
「テレーゼ、絶対に花瓶を死守……あ、いえ、先に自分の命よ? 分かったわね?」
「……分かって――いるわ姉さん。花瓶は必ず守る……から……これ――は怪しいわね。横によけておいてくださる?」
余念なく陶磁器の知識以外にも、今度『大日本帝国コレクション展』に持ち込まれそうな美術品の知識を、マスグレーヴに聞き取り、頭に叩きこみながら並行して“東洋の間”にある陶磁器コレクションを鑑定していたテレーゼが、そんな生返事をするので、マリアは心配になっていたが、「妹君は必ずお守りします」そんな言葉を、マスグレーヴにかけてもらい、少し安心した表情で、両手を組んで祈るように、彼に妹のことを頼み、ふたりが見つめ合うその光景に執事は安堵していた。
そしてふたつめ『グルーナー男爵のやかた捜索チーム』→ホームズ、マリア、ワトスン博士のはずであったが、こちらはまず先に片づけることがあった。
「ねえ君、手紙は置いてきたが、そろそろ君の母上はご心配なさっているだろうねぇ……ティーカップもなくなっているし……」
「花瓶もね……もう警察を呼んでいても、おかしくはないわね。誘拐と窃盗で。シャーロック・ホームズは指名手配になるかもしれないわね」
「それは困る……」
『……嘘くさい』
花瓶をしばらく見つめていた彼は、少しの間両手を合わせて、いつものように瞑想していたが、ぱっと目を開ける。
「ワトスン! ハドスン夫人を呼んできてくれたまえ! 早く!」
「早くって……」
「はいはい、なんの御用ですか? 先ほどからここにいますよ」
「…………」
ハドソン夫人は、すっかり歩き疲れて、部屋の隅にあった黒漆に金の蒔絵がほどこされた、どこか東洋の趣のある美しい曲線を描くヴィクトリアンチェアに、どこか申し訳なさげに、小さくなって腰かけていた。
「すまないが、これからワトスンと一緒に一度ベーカー街に帰って、マリア嬢の母上に、ティーカップのことをうまく説明……ああ、代わりのティーカップもいるな」
小声で彼女にそんなことを言っていたホームズは、難しい顔をしながら、美術品目録を手に、テレーゼの横に立っているマスグレーヴに声をかける。
「マスグレーヴ、事件が片づくまで、少しの間、なにか君の家のティーセットを、何セットか貸してくれないかい? なるべくいいヤツ!」
「……それは事件と関係……いや、もういいよ。好きにしたまえ。ただし普段使いのヤツだからな」
彼に目配せされた執事は、ハドスン夫人とワトスンをともなって席を外す。
それを視界の隅で確かめながら、マリアは普段使いといっても、ママがとっても喜びそうなのが届くだろうから、きっとわたしたちのことは、しばらく忘れているだろうなと思い、ホームズは、そんな彼女の母が、かなりのティーカップのコレクターだと、踏んでいたので、これで時間がかせげる自信があったのである。
***
〈 それから数時間後の英仏屋 〉
「まったくあの子たちは、どこに行ったのかしら? 勝手にティーセットまで持って行くなんて……」
マリアの母は、『ちょっとお嬢さん方を連れて、数日本格的なピクニックに行ってきます』そんなホームズの手紙と、空になった食器棚の前で、思った通り困った顔で、頬に手を当てていた。
「ピクニックに何日もなんておかしい! 警察に届けた方がいいわ!」
そんな至極まっとうなことを言ったのは、彼女の友人で、世間の評価的には、至極まっとうではない頭のてっぺんから足先まで真っ黒、黒のヘッドドレスに、膝丈の黒いフリルなワンピース、黒のロングブーツ、長い水色の巻き毛に、唇にはサファイア色のリップを塗った、世界的に有名なゴスロリブランド『
「そうかしら……? でも、でも、そんな悪い方には見えないし、あの子たちも、もう大人だし……あら? 桃の花瓶がない……え? ピクニックに花瓶とか持って……」
「持って行く訳ないでしょ――が! ほら、早く電話! 警察に電話! ああもう、わたしが電話するわ!」
そう言いながら、静音がスマホを高級なビジューで飾られた、黒の小さなレザーバッグから取り出し、ああ、ここ圏外だったと、マリアたちの母と庭に出て、少し母屋のほうに歩いたあとである。なぜか英仏屋の中から大きな声がかかったのは。
「マダム! マダム! 実に申し訳ない! ちょっとした行き違いがございまして!」
「あら? ワトスン博士にハドスン夫人! いつの間にいらしたの?」
「あの、いろいろありましたの。で、かくかくしかじかで……」
ハドスン夫人が言うには、ピクニックのあとに、ちょうど親戚の姪たちがくるので、しばらくうちで、お嬢さん方をお預かりして、何日か一緒に……そんな話であった。
「それなら、珍しいティーカップや花瓶を用意しましょうということになって? ティーカップや花瓶を持って行った? そんな見栄をはるなんて、しょうがない子たちねぇ……え? でも、その間うちのティーサロンは?」
自分を怪しんでいる、真っ黒な怪しげな女性を、ワトスン博士は『なんだこの水色頭の喪服女性は?』そう思いながら、ポカンと見ていたが、マダムのその言葉に我に返る。
「それならこちらに! 珍しいかどうか、わたしには分かりませんが、本物のウィーン窯の品です。セットであります! 中に全部置いています!」
「あらまあ……」
ウィーン窯というのは、現代ではかなりレアであり、ヴィクトリア時代にあるマスグレーヴ家であればこそ、普段使いしているブランドであった。
ワトスン博士が持っていたのは、ティーカップひとつであったが、みなで中に戻ると、確かに数個のおが屑がつまった木箱の中には、ポットやらなにやら、とにかくサロンが開けるくらいのセットが入っていたので、マリアの母は、すっかり気を取り直し、友人の平たい目にも気づかずに「まあまあ、これなら、分かるわ! これなら分かるわ!」なんて、どこかの赤毛の質屋のようなことを言いながら、ひとつひとつカップを取り出し、うっとりした顔で、それらを眺めていた。
『な──にが分かるんだか、このティーカップマニアめ……』
***
〈 再びマスグレーヴ家のやかた 〉
「と、いう訳で、なんとか納得してもらってね。もうなんというか、喪服のようなドレスのお嬢さんの方が大変で……あのな、尋常じゃないぞ? 髪が空色なんだ!」
ワトスン博士がそんなことを言っていたのは、その日もすっかり夜が更けた頃の話である。
『髪が水色……あの人か……それよりも、やっぱりママは娘よりティーカップなのか……』
ワトスン博士の話を聞きながら、マリアはふと、そんなことを思ったが、まあとにかく一番の問題が片づいたと、安心して、ホームズを振り返り、口をひらく。
「あとはこれで、グルーナー男爵のやかたを捜索して、わたしは手下をやっつけるのを手伝えばいいのね!」
「…………いや、それはいい」
「え……?」
マリアの張り切った顔に、ホームズは微妙な顔をしてから、少し離れた場所にある窓際に立つと、もうなにも見えない暗い庭に目をやり、ひとり言を言うように口を開く。
「……君にして欲しいのは、手帳とティーカップの回収だけだ。他は、なにもしないと約束してくれ」
「どうして? わたしが手伝った方が……」
『役に立つわよ?』
そうマリアが言おうとしたときである。ホームズが再び口を開いたのは。
「君のいる世界ではどうか知らんが、この世界では、この時代では、レディを、貴婦人を守るのは紳士の役目なんだよ。それはゆるぎない真理であり、
「はあ……」
「……だから、これはお願いだから、たとえ僕がいかに傷つこうと、命が危うかろうと、紳士たる僕を、僕の貴婦人である君が、僕を助けるなんて言うのは、やめてくれたまえ」
「……は?」
「いや、なんでもない! とにかく君は手帳とティーカップに集中してくれ!」
『イマ……ナンテ言イマシタカ?』
ワトスン博士は、自分が邪魔者であることを察して、静かにその場から姿を消し、ポカンとした顔のマリアに、我に返ったホームズは「いまのは言い間違えだ! ああ、えっと、少々脱線したているとはいえ、純然たる貴婦人を、紳士が守るのがこの世界の
そんなことを思い出したりして、「ああ、うん、じゃあ、そうします。打ち合わせの続きは、また明日! おやすみなさい!」早口でそう言うと、パタパタと部屋に帰ってゆき、ワトスン博士に話を聞いた、斧を持っていない、ナイトガウンを羽織り、おもしろそうだと駆けつけたマスグレーヴと、ワトスン博士、興味津々のマイクロフトが、こそっと隣の部屋の隠し小窓から、ホームズの様子を見たときには、もう部屋には彼ひとりだけであった。
「見逃したか!」
「……そこにいるのはマスグレーヴか? あと他にもいるな? 兄上まで紳士らしくない行動とは珍しい! はっ!」
「いや、君の様子がおかしいと聞いてね」
「ふん……ちょっと言い間違えただけだ。僕が紳士だと強調しただけだよ」
「そうかね」
小窓ごしに、紳士たちがそんな会話を繰り広げる中、先程の窓の外では遠くのガス灯の灯りが、風で揺れた木々の間から、ぼんやりと灯っているのが見えていた。
ただひとりの運命の人、ただそばにいられたら嬉しい人、出会えて光栄な人、そんな人に出会えたことに気づくには、お互いにまだ早すぎた夜だった……。
******
※マリアの母の友人、ゴスロリ女子の
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