☕未婚の貴族or高名の依頼人・18
ホームズは機嫌よく言う。
「あの男は本物だというこちらの花瓶を、まず正攻法で手に入れるために、必ずニセ金貨を今日からでも大量に作るか、手持ちの隠し金を用意するだろう。あちらこちらから、うさんくさい目を向けられている男だし、今回の派手な強盗事件で、すぐにまた『こと』を起こすのは、目立ちすぎる。そして、レディ・マリアを手に入れるためにも、なんらかの行動を夜会で起こすはずだ。マスグレーヴ気をつけろ、おそらく婚約者の君も命を狙われるぞ! はっ!」
「最大限善処する……イートンの頃から変わらない君がうらやましいよ」
わたしの命が狙われるのは派手な事件ではないのか? マスグレーヴはそう思いながら、あとで拳銃を用意させようと考えつつ返事をしていた。
「シャーロック……マスグレーヴ卿はともかく、か弱いレディまで囮にするとは、お前という男は……。あと、グルーナー男爵が本物の片方を持っているのなら、なぜ、ここにふたつある? お前が持っていたのと、さっきお前が隠したひとつだ。入ってくるなり、マントルピースの置時計の裏に隠しただろう? つまり一対はここにある。が、男爵の花瓶が本物だということは……」
遅まきながらではあるが、マイクロフトの花瓶が三個に増えているという指摘と疑問は至極当然であった。
マスグレーヴは、マイクロフトのうしろのマントルピースに近づくと、置時計の裏を覗き込んで、興味深げに三個目の花瓶を手に取り、グルーナー男爵ご自慢の“桃源郷の枝”と見分けがつかないソレを、しげしげと見つめていた。
「東洋と西洋の美の極致が調和した芸術品だ……」
なぜ花瓶が三個あるかといえば、ホームズが持っているふたつが、実は、マリアの母が偶然展覧会で、ひとめぼれをして、「お誕生日と、母の日と、クリスマスと、あと、えっとえっと、いろいろ合わせて十年分でいいから!」とかなんとか言って、マリアのパパに買ってもらいサロンに飾っていた、極上のスーパー・レプリカだったからである。
(復活させた同じ技術を使って、ロットナンバーを証紙で横に飾っていただけなので、この時代的には、もはや本物と区別はつかなかった。)
「細かいことは気にするな。グルーナー男爵が、自分の花瓶を贋作だと言っているなら、あちらが贋作だ。花瓶については以上。妹君を頼んだぞマスグレーヴ、僕はレディ・マリアと別の用事があるからね」
「別の用事……国家的犯罪が絡む。文句は言えんが、レディがたには実に申し訳ない……」
「いえ、もう、その……あきらめていますので……この事件が片づかないと、いろいろとこちらも都合が……」
この男、なにがなんでも、わたしを犠牲にしてでも、あの男を『型』にはめ……いや、ロープに吊るす気だなと、眉間に少しシワを寄せて、精いっぱい怒りを隠しながら、マリアはホームズを凝視していたが、キティや他の被害者のことを思い出し、これは正義なのだと、自分に言い聞かせ、脳内でいま一度、古い任侠映画の決めゼリフやら、ダイジェストシーンを、まるで走馬灯のように浮かべていた。
彼女は、ぐっと握りしめていたフォークとナイフを、テーブルの上にある皿に、そろえて着地させてから、残念そうな顔のマスグレーヴから花瓶を引き取り、抱えたまま『シャーロック・ホームズ被害者の会』のみんなと一緒に、ソファにならんで腰をかけ、彼からようやく今回の細かい手はずと内容を聞くことに相成ったのでありました。
『やっぱり元の世界に戻ったら、扉を板と釘でふさいでしまおう……』
そう思いながら。
***
〈 翌朝 〉
翌日、案の定、すべての新聞の見出しは、盗まれたマスグレーヴ家の婚約者の『東洋の高価な品々』の話題で持ち切りであった。
「しんぶーん、新聞だよ――! シャーロック・ホームズが取り返した、マスグレーヴ家の婚約者の持参した陶磁器がまた盗まれたー! 無事だったのは、一番高価な“桃源郷の枝”と呼ばれる花瓶だけだったらしい! 詳しくはこちらでっ!」
「それ、もらうよ!」
レストレード警部の容態が安定したので、一度、ベーカー街の自分の部屋で着替えを済ませて、マスグレーヴのやかたに戻ろうと外に出たワトスン博士は、驚いて新聞を一部購入すると、忙しく目を通しながら辻馬車に乗り込んで、マスグレーヴのやかたに、再び戻っていた。
「“桃源郷の枝”……それだけでも無事でよかったが、ポーキーたちは大丈夫だったのかなぁ? そんなすごい花瓶が、あのサロンに置いてあったとは……」
それから三週間後、マスグレーヴが趣味で主催するクラブ“極東陶磁器愛好クラブ”は、大英博物館の一画を借りて、『極東からの息吹~わたしの愛する大日本帝国コレクション~』を、マスグレーヴ主催で、夜の閉館後に開かれることになり、婚約者の紹介も兼ねるという手紙をそえた招待状は撒かれる。
そういうことなので、クラブのメンバーたちは、当然夫人同伴の上、自分の自慢の一品を持ち寄るという趣向であるので、コレクションから持参する品を悩み抜いて選びながら、本物の“桃源郷の枝”が見られるらしいと、大いに期待していた。
案の定ヴァイオレット嬢が、父親からもぎ取った招待状の内容を見た、本物の花瓶の片方を持っていたはずなのにと、新聞を見てから疑心暗鬼になっていたグルーナー男爵は、もう用済みの女だと思っていた女が、以外にも今回役に立ってくれそうだと、ほくそ笑んでいた。
彼は襲撃の失敗に、烈火のごとく怒りを表していたが、手下の持ち帰った『極上のティーカップコレクション』のおかげで、なんとか精神の安定を保っていたのである。
「ヴァイオレット、まさしく、あなたはわたしの天使です……」
「まあ……」
夜会の当日夕刻に、彼女を隙のない装いで決めて迎えにきた彼は、用意されていた紅茶を飲みながら、自分にとっては、くだらない彼女の話を、しごく興味深げに、楽しそうに聞き流して、時間がくるやいなや、招待状を持ったままの彼女に手を伸ばし、まるで壊れやすい陶器の王女であるかのように扱って馬車に乗せると、大英博物館に向かって出発していた。
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