第3話 ヤセルンジャー、現る!


 桃凜は走っていた。本来なら授業中の時間だが、授業は開始されなかった。何故ならクレープを食べ終わった生徒が、まだ食べたい、とクレープを買いに教室を飛び出していったからだ。しかも生徒だけではなく、教師も数名程が学校を飛び出していた。


 桃凜は妹に『お兄ちゃんがなんとかする』とだけ返信した。

 なんとかするって、どうするというのだろう。桃凜は走りながら考える。考えなんて全くない。けれど、体が勝手に動いてしまっていた。

 桃凜は特別正義感が強いというわけではないが、食に関しては人一倍強い想いがあると自負している。昨日から感じた違和感、放っておくわけにはいかなかった。

 桃凜はどんな物でも美味しく楽しく食べたい。あんな風に不健康に、日常生活に支障をきたす食べ方は、駄目だ。

 絶対あのクレープにはなにか秘密がある。とにかく、作っている人に話を聞こう。そう思い、桃凜はミラクレのキッチンカーへと向かった。




 桃凜は爽やかな朝の空気に似つかわしくない緊張感を全身に纏いながら足を進めた。

 SNSによると、今ミラクレのキッチンカーは桃凜の家の近所の公園の、噴水広場に来ているらしかった。

 学校から走り続け、息を切らしながらもとうとう公園前まで到着した桃凜は、またも信じられない光景を目にする。

 平日の朝だというのに公園には多くの人が押しかけていた。恐らく公園中央にある噴水広場から行列が出来ているのだろう。

 行列とは言ったが、秩序は保たれておらず、言い方は悪いが、群がっているという表現がぴったりくる。人々は皆クレープを求めて必死な様で、口々に「クレープ……」と呟いている。

 パッと見ただけでも学生や会社員の様な人も多かったが、学校や仕事よりもクレープのことしか考えられない様子だ。

 異常だ、と桃凜は戦慄する。走ったからではない、嫌な汗がつーっと背中を伝った。

 いや、怖気付いている場合ではない。桃凜は覚悟を決め異様な空気感を放つ人混みの中に足を踏み入れた。


 噴水広場の異常さは桁違いだった。桃凜はこれが本当に現実に起きていることなのか、信じることが出来なかった。

 ミラクレのキッチンカーに群がるふくよかな人々、周りにはクレープを貪るふくよかな人々。食べれば食べるほど正気を失ってしまう様な、まるで薬物だと思った。

 人が多くてよく見えないが、店員さんががひたすらクレープを作り続け、それを手当たり次第に提供している。スピード重視で、見た目も本来のクレープとは似ても似つかないほど歪になっていた。

 けれど誰もそのことに文句を言わず、クレープの様な塊をただただ貪り続ける。

 よく見えなかったが、桃凜は見逃さなかった。店員さんが出来上がったクレープに、紫色の怪しげな液体をかけていたことに。


 絶対、皆がおかしくなってるの、それのせい!


 桃凜は叫び出したくなったが耐えて、震える足に鞭打ち、意を決して人混みを掻き分け店員さんの元へ向かおうとする。だが、クレープを求める人々のふくよかな体に阻まれ、中々前に進めない。

 桃凜がぎゅうぎゅうと挟まれながらも、必死で前に進んでいる時だった。ダンッ!と大きな音が聞こえた。

 桃凜は挟まれながらも音の方、キッチンカーの上へと視線をやると、なんとそこには1人の青年が立っていた。恐らく先ほどの音は、青年がキッチンカーのそばにある木の上から、キッチンカーの上に降り立った音だったのだろう。

 桃凜はその青年の姿に見覚えがあった。昨日ぶつかり、舌打ちをしてきたサングラスの青年だ。まさかこんな形で再開するなんて、予想外のことに目を見開く。

 桃李が驚きで動けないでいると、その青年は桃凜のことなど全く気づきもせずに何かを取り出した。なんだろうと桃凜が目を凝らすが、その白い水筒の様なものは桃凜には馴染みがなく、それが何か分からなかった。

 青年はそれを自分の顔の前に掲げ、大きな声で叫んだ。


 「プロテインチェンジ!」


 そしてその顔の前に掲げている何か、恐らくプロテインの入ったシェイカーを激しく振り出した。

 するとなんということだろう。青年の体が、白く輝き出したではないか。

 桃凜はその眩しさに直視することが出来ず、腕で顔を覆いながら薄目で青年のことを確認する。


 シャカシャカシャカシャカ。


 そろそろシェイカーの中のプロテインが水、もしくは牛乳と混ざり合ったであろう頃、パァーンッと青年が身に纏っていた衣服が弾け飛んだ。

 そして、青年はもう一度大きな声で叫ぶ。


 「shapeシェイプ upアップ‼︎‼︎」


 青年が混ざり合ったプロテインをゴクゴクと大きな音を立てながら飲み干すと、青年は何処からか聞こえてくるシャランという鈴の音とともに、黒のボディースーツの様な姿になった。

 そしてまたシャランと鈴の音が鳴り、ボディースーツに赤のフリルがついたり、赤のリボンがついたり、鈴の音とともに赤の装飾が施されていき、あっという間にキラキラアイドルの衣装の様な格好になる。

 もう終わりかと思いきやシャラララランと一際長い鈴の音が鳴り、青年の黒の短髪が真っ赤に染め上げられ、驚くことに髪も伸び、両サイドの髪はコーンロウ、前髪とトップは立たせ、襟足は長い。まるでビジュアル系バンドの様な髪型になってしまった。

 そして最後、またシャランと鳴り、顔に赤のメイクが施される。持っていたシェイカーがヘッドマイクへと変わり装着され、青年はポーズを決め、また叫ぶ。


 「どんな脂肪も完全燃焼!ヤセルン、レッド!!」


 何処からかジャジャーンと音が聞こえてきた。

 青年、もといヤセルンレッドは決まったぜ、という表情をしているが、レッドのことを見ていたのは桃凜だけであったし、桃凜は突然のことに完全に言葉を失っていた。

 これは一体なんなのだろうか。ヒーローショーでも始まってしまったのか。そんなことを思っていると、レッドがニタリとまるで悪役の様な笑みを見せ、衝撃の一言を放つ。


 「さあ、筋トレを始めるぜ」


 桃凜は困惑した。どこから突っ込めばいいのか分からない。理解できないことが続いている。


 何故、今、筋トレ?


 桃凜の頭の中に沢山の疑問符が浮かぶがそんなことはレッドには分かるはずもないし、分かったとて関係のないことだろう。

 困惑している桃凜とは裏腹に、今までレッドのことなど完全無視だった人々が、レッドの台詞を聞いて皆動きを止めた。するとまた何処からか軽快な音楽が流れてくる。レッドはその音楽に合わせて本当に筋トレを始めた。


 まずはフロントランジだ。足を前後に大きく開き、上体をキープして息を吸いながら腰を下ろし、息を吐きながら両膝を伸ばす、初心者でも簡単な筋トレだ。

 まさかと思いながら周りを窺うと、皆操られているかの様にレッドと同じ動きをしていた。

 急にここにいる桃凜以外の人間が筋トレを始める。

 それはとても異様な光景だった。

 クレープを作り続けていた店員さんも、突然のことに困惑している様子だ。

 フロントランジの次はプッシュアップ、その次はヒップリフトなど、初心者でも比較的簡単に出来る筋トレばかりだった。恐らく筋トレに不慣れな人にも負担なく出来るよう配慮しているのだろう。

 本来なら筋トレを始めていきなり痩せるなんてことはあり得ない。けれど、そのあり得ない現象が今桃凜の目の前で起きていた。筋トレをしていた人々が、皆、痩せていっているのだ。

 見事に鍛え上げられた体躯を持つレッドにとって、こんな初歩的な筋トレは大したことがなさそうだが、彼は誰よりも汗をかき、見るからに消耗していた。

 もしかしたら、レッドのお陰で皆は元の体型に戻っているのだろうか?レッドの体の下には自らの汗による水溜りが出来ている。


 飛び散る汗、踊る筋肉、湧き上がる熱気。


 「かっこいい……」


 桃凜は恍惚とした表情でその様子を眺めていた。


 「うぉらあっ!ラスト10回ッ!!」


 レッドは最後の力を振り絞り、スクワットをしながらカウントする。人々もどこかすっきりとした表情で同じようにスクワットをする。

 そこにはもうふくよかな人もいなければ、クレープを食べている人もいなかった。


 「はーち!きゅーう!」


 後一回、誰もがそう思ったときだった。


 「リバウンド」


 キッチンカーの影から現れた全身白ずくめの男が、フォークの様な形のステッキを振り翳し、ぼそりと呟いたのを桃凜は聞き逃さなかった。

 赤黒い光がステッキから放たれ、噴水広場一帯を包み込む。すると筋トレに励んでいた人々の目が虚ろになり、またクレープを求め、待ってましたと言わんばかりにクレープを作り溜めしていた店員さんの元へ群がる。

 せっかく元の体型に戻っていたのにまたクレープを食べ始める人々。その様子を確認して白ずくめの男はにたりといやらしく笑い、去って行った。

 レッドはくそっ!と拳をキッチンカーに叩きつける。


 「俺だけじゃ、減量パワーが足んねぇ!!」


 減量パワーとは一体なんだろう。桃凜は首を傾げる。

 レッドは怒りを露わにぎろりとキッチンカーのそばの木の影を睨みつける。


 「あいつらはまだ来ねぇのかよっ!」


 すると木の影から頭だけ兎の着ぐるみを被った筋肉むきむきの大男が、DJ機材を持って現れた。

 レッドの変身中の効果音や筋トレ中の音楽は、恐らくこの機材で音を出していたのだろう。


 「ブラックは仕事中だ。グリーンは繋がらない」


 大男さんは困ったように答えた。


 「クソがっ!!」


 レッドは怒りに震え、再び拳を叩きつけるもほとんど体力が残っていないのだろう、最初ほどの威力はなさそうだった。

 そんなことをしている間も人々はクレープを貪る。クレープを貪る人々を見て、桃凜は胸が締め付けられた。皆、きっと心の底では食べたくないのに、無理矢理食べさせられている。

 こんなのは、違う!桃凜はそう思うと、咄嗟に声が出ていた。




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