聖者の餞

「この街を出たらどこへ」

「東へ。ずうっと東の、僕の知人を訪ねるつもりです」

 ショウビのねぐらは入り組んだ路地裏の奥にあり、使われなくなった倉庫をまるまる占拠している。初めてタミヤを案内したときはひどく申し訳なさそうにしたものだが、日当たりが悪いわりに乾いて清潔、しつらえにもさまざまな工夫が凝らされて居心地は悪くない。少なくともタミヤは気に入っていた。

 ここにいるときのショウビはただのショウビ。髪は下ろし、タミヤの向かいで胡座をかいている。戦士の面影は遠のき、僧院に在籍していることすら忘れそうだ。

 タミヤは恩着せがましくならないように、慎重に言葉を選んだ。

「魔装具師なんです。力の発動を助けたり、逆に暴走を抑える装具も作っていて。僕も世話になっているんですが、貴方の助けにもなるんじゃないかと」

「私の」

「そうです」

 タミヤは少し離れた壁に目をやる。そこには、ショウビの圧倒的な戦闘力を支え、同時に命を削る双剣が掛かっている。

「僕の力では貴方の命を引き留めるには足りない。医術では、ある程度病や傷を癒やすことはできても、流れ出す命をとどめる堰は作れないんです」

 この街でショウビの世話になっている間も、タミヤは旅の医術士として働いている。地元の医術士とよく顔を合わせて、地域に特有の傷病について情報を交わす。薬や呪符の素材には気候風土や文化の違いにより各地で固有のものも多く、商人とは別ルートで融通するのもまたタミヤのような人間の役割だった。共同で治療にあたったり、滞在中に工房を間借りさせてくれるのも同業のならいである。

 ただ、複数の医術士の知恵を集めてもショウビの例は手に余った。それほどの神秘を宿した異例の使い手だということ。

「面倒をかけますね」

「面倒は面倒ですけど、貴方を助けた時点でだいたいわかってましたからね。僕もそろそろ会いに行かないと顔を忘れられそうだし、ちょうどよかったですよ」

 タミヤはにっと歯を見せた。

「ショウビが隣にいてくれたらチンピラに絡まれることも減るでしょうし。僕、ひょろひょろしてるから目つけられやすいんです」

 ショウビが気遣わしげに微笑む。

「これまではどうしてたんです」

「逃げの一手ですよ。強烈な薬を嗅がせたりとか、煙幕張ったりとか。ただそれもタダじゃないので、そんなにしょっちゅう使いたくはないんですよね。あと、やられっぱなしで面白くない」

「なるほど。今度なにかあれば蹴散らしてご覧に入れよう」

「楽しみにしてます」

 二人が協定を結んだそのとき、何かがすいと視界を横切った。

 ツバメだ。

 宙を切り裂く翼は何度か旋回したのちショウビの懐に飛び込んで、たちまち紺地の封書に姿を変える。目を丸くするタミヤにことわって、彼は素早く手紙に目を通した。

「誰から? なんて書いてあるんですか?」

 その表情がわずかにこわばっている。思わず息を呑んだ。

「出頭命令です」

「えっ」


 翌日、ショウビはタミヤを伴って僧院の中枢部〈月の塔〉に赴いた。

 初めて見る正装は薔薇の色。その華やかさにタミヤは目を丸くしていると、一定以上の位の者は当人を表す固有の色をもつようになるのだと教わった。

 さて、出頭などと言うから何をしでかしたのかと思いきや、目の前にあるのは年老いた老人の気の良さそうな笑顔である。髪は白く、目の色は薄く、タミヤの目には淡い光の玉のように映った。やわらかな白い衣をたっぷりと羽織って茶杯片手に甘味をつまんでいるが、そのおっとりとした様子を前に、しかしショウビは膝を揃えて微動だにしない。タミヤがすすめられるまま茶を啜っていたら、信じがたいものを見るような目で見られた。

 この老爺こそ、この大きな都市の頂点にして長老、僧院においては最高位にある宗主・齢八十八を数えるモクレンその人。要はこのあたりでもっとも偉い人物である。

「そちらの方と、旅に出るそうだな」

「は、それは」

「月の光、街のうわさ、シオンからもおまえの様子は聞いていたよ。何も言わないのはおまえだけだね」

「面目次第もございません」

 ショウビは深々と頭を垂れ、そのままの姿勢で続けた。

「勝手ながら、しばらくのあいだ暇を……」

「よい。おまえは昔からそういうこどもだった」

 拗ねた調子が一転、目元の皺がくっと笑んだ。

「請われるまま、流されるまま生きているようでいて、どれも執念で引き寄せた星。その光に照らされていながら、じっと影を睨んでいる。相変わらず暗いのう」

 宗主のからかうような口ぶりに、ショウビは背を丸めた。大の男がすっかり子供扱いである。

「よいよい。豊かな闇が育ったようだ、己の影ばかりでは窮屈になったということ。よき出会いにも恵まれたようだし」

 不意に目を向けられて、タミヤは慌てて頭を垂れる。

「月の光は誰にも届くわけではないし、星の導きとて地上のささいな出会いで容易に覆る。わたしではお前の命を留めることが叶わないように、われらが崇めるものも万能ではなく、その恵みが万物に等しく注ぐことはない。ただ、人は自ら生み出すことができる。互いに関わり合うことで、あらたな道すじを編みだすことができる。知恵を集め、力を蓄え、生き延びるために手段を尽くす。生命とはそれだけ強烈で、我の強いものだ。そして友とは、互いの生命を照らすあたたかな光だということだね」

 促されて顔を上げると、宗主のまなざしはまっすぐタミヤへ向かった。

「ショウビは我が子のようなものなのだよ。本人以上に彼の命を気にかけてくれて、本当にありがとう」

「は、いえ、はい」

 タミヤにしてみれば大半は自分の都合なので、こう言われてしまうとなんだか身の置き場がない。しどろもどろで返事をすると、額に乾いたぬくもりが触れた。

「祝福を」

 眉間に月の紋、まぶたに流星群。身体中の回路が開き、与えられた加護の力がすみずみに行き渡るのがわかった。

「各地の同朋に便りを送ってある。道中、なにかと手を貸してくれることだろう。まあ、返事のないものもふたつみっつ、察するに少々厄介なことになっているようだが、それくらいはどうにかなさい」

「はい」

 要はモクレンが後ろ盾となり、ほうぼうの街で便宜を図ってもらえるということだ。タミヤにとって願ってもない話である。

 私も甘いなあ、と機嫌よく笑う宗主に、二人はあらためて感謝をあらわした。

「出発の日くらいはちゃんと教えなさいね。見送りに行ってあげるから」

 うとうとと瞼の落ちてきた老聖者は、そう言ってショウビたちを追い出す手振りをしつつ、ゆったりと御座に背を預けた。


 それからショウビは大忙しだった。

 ともに影の役目に当たっていた仲間ひとりひとりに連絡をつけ、あとのことを託していった。それだけでは心配だったようで、巷を騒がせつつあった呪詛集団の拠点をひとつ、置き土産とばかりに壊滅させた。

 立つ鳥あとを濁さず。闇社会にのみ爪痕を残す。

 一方で街じゅうの協力者や馴染みの相手に顔を見せることも忘れなかった。これはタミヤも同じで、医術士仲間や街で関わった人々へ出立の日取りを告げて回る。

 馴染みの食堂の皆、とくに同じシオン贔屓(実際には違うが)として良くしてくれたおかみさんたちには大変惜しまれ、焼き菓子や燻肉、しばらくは持ちそうな量の食料を、紫色の包みで持たせてくれた。

 そしていよいよ迎えた旅立ちの日。

「本当にそれだけでいいの」

「はい。代えのきかないものだけ持っていきます」

 ショウビはこれから長旅に出るとは思えないほど身軽で、タミヤの竜馬、ヒサメの力を借りるまでもなかった。他方、タミヤは薬箱に布切れに食料と仕事道具を主とした荷物が山とあり、どちらが旅慣れているのかわからないようなありさま。

「タミヤがそれだけ備えてくれているので、私がこれくらいでいいのです」

「なんだか腑に落ちない」

「そのぶん、身辺の護りは任せてください」

 双剣は一度荷物に仕舞われ、ショウビが腰に帯びるのは普通の短剣が一振りのみである。実際は他にもいろいろと仕込んでいるようだが、タミヤは深く追及しない。

 夕刻。がらんとした倉庫をあとにする。路地を出て大通りの賑わい、さらに都市の正門へ続く道へと向かうと、なにやら目に鮮やかな一団が目に入った。

 ショウビがぎくりと足を止める。

「やられた」

 どこからか、管楽器による勇壮な調べが鳴りだした。台詞のわりに緊張感のないショウビと、ヒサメも何も反応しないので疑問に思いつつそのまま進んでいくと、それが宗主の言う〈見送り〉であることがわかった。

 僧院に属するもののうち、都市の守護にあたる正規の騎士たち。

 ショウビ同様地下に潜っていた者たち。タミヤが見知った顔ぶれもある。

 シオン含め、位の高い者たち。かれらの正装、みなそれぞれ違う色に染められている。

 彼らが両側をかため、物見高い民に囲まれた花道の果てに、宗主モクレンが満面の笑みをたたえて待ち構えていた。

「……ショウビ、愛されてますねえ」

「いや、これはそうじゃないんです」

 華々しい見送りの演出に、ショウビは重たい息を吐く。

「これだけ派手に送り出されると、いやでも目立って面が割れるでしょう。もう私は、もとのように影で働くことができない。これは、帰ってくるなとの意思表示ですよ」

 音楽がひときわ高まって、騎士たちは剣を掲げ、高位の僧たちは祝福の星を散らした。風が吹き渡り、色とりどりの衣装が旗のようにはためく。タミヤの目には、ありとあらゆる祝福のまじないが飛び交うのが見える。

「息災でな」

「宗主様こそ、末永くお元気であらせられますよう」

 別れを惜しむにしてはいくらか火花の散るやりとり。大勢に見送られて、二人と一頭は街を出た。

 背後に夕日、行く手には星。

 一人が二人になって、新しい旅がはじまった。

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