第39話 ハッキング
マリンと名乗ったその少女は、手慣れた手つきで戸棚からポットを取り出し、ケトルでお湯を沸かし始めた。
「ボスからね、アップルティーのいいのをもらったからぁ。女の子は好きかなぁと思って、持ってきたの」
クセの強いウインクを私にばちんとキメながら、どこからどう見ても小学生にしか見えない彼女は、自身のカバンから朱色の缶を取り出す。テキパキとお茶の準備を進める様子は、完全にお母さんのお手伝いをする子どものそれだった。
「さ、準備はできたから。あとは適当にやってねぇ。夜も更けてきたし、私は早速、パソコンの解析にかかるわぁ」
上品に口に手を当てながらあくびをしたマリンちゃんは、私からPCを受け取って、何やら色々と調べ始めた。解析ツールを使って何か仕込まれていないか確認するらしい。
彼女が用意してくれたお茶をカップに注いでいると、杉原さんの姿がないのに気がついた。辺りを見回すと、ベランダでまたタバコを吸っているようだった。
(結構定期的に吸ってるよね。いくら電子タバコといえど、体に悪いのに)
ダイニングテーブルで作業をしているマリンちゃんにカップを差し出すと、小さな顔をくるりとこちらにむけ、彼女は口を開いた。
「ねえ、美冬ちゃんさあ。IoTマンションに住んでたんだってぇ?」
「あ、はい。遠隔操作したりするのが便利で……」
「あれはねぇ、本当に便利なんだけどぉ。企業のシステムみたく、セキュリティにガンガン投資しているようなものじゃないからね。私レベルのハッカーとかだと、ハッキングし放題なのよねぇ」
「え……じゃあ今回も……もしかして」
「杉ちゃんからメールで連絡もらったけどぉ。ピッキングの痕跡はなかったのよねぇ。つまり住宅内のIoTネットワークの脆弱性を突いて、電気錠を解錠した可能性が高いわぁ。IoT機器はねぇ、普及が最優先になっていて、セキュリティ対策がおざなりになってるケースが多いのよねぇ」
「なるほど……便利な分、リスクも高いってことなんですね……」
背後に気配を感じて振り返ると、タバコを吸い終わったのか、杉原さんが部屋の中に戻ってきていた。
「照明やエアコンもIoTネットワークに繋がってたからな。その稼働状況をモニタリングして、確実に留守の時間帯を狙って侵入されたっぽいな。ある意味、IoT住宅は、家宅侵入をより安全に行える住居とも言えるよ。プロのハッカーにとっては」
無知であることが、こんなリスクを生むことになるなんて。ハッキングなんて言葉が、自分の身に対する脅威として降り掛かってくるとは。
「これからの時代、こういうネットワークの脆弱性がケアされないIoT住宅がどんどん増えてくると思うと怖えよ。究極的な話、たとえば金持ちで持病持ちの独居老人を殺そうと思ったら、深夜にエアコンを遠隔操作して、部屋の温度を極限まで下げたり上げたりしたら、簡単に殺すこともできる。そうやって殺した後鍵を開錠して盗みを働けば、楽に金が手に入る」
想像してゾッとした。パソコンひとつで人の命を奪い、盗みを簡単に働くことも不可能ではないということだ。
今度部屋を借りるときは、もう少し良く調べた上で借りようと、密かに心に誓った。
「解析終わったわよぉ。PCは大丈夫そう。このまま指紋鑑定にも回しとくわぁ。まあ、出ないでしょうけどぉ。マンションのネットワークとか、共有エリアとかの監視カメラも調べておくから。また報告入れるわねぇ」
一通りやるべきことと話すことを話し終えた彼女は、眠そうな顔で帰っていった。
「しかし……本当に、子どもにしか見えない。若さを保つ秘訣を教えてほしい……」
「やめとけ。絶対に聞くなよ。まあ、本人はテキトーに受け流すだろうが」
純粋に美への興味からそう言っただけだったのだが。眉間に皺を寄せた杉原さんを見ると、どうやら地雷らしい。
「え、聞いちゃまずい話?」
「……アイツはな。才能と引き換えに、ある時を境に、体の方の成長がとまっちまったんだよ。だから、好きで若さを保ってるわけじゃない。ああいうふうになる前は、もっと暗かったんだよ。最近はやりすぎなくらいに明るいけどな。だから無闇に、アイツの容姿のことについては突っ込まないでくれ」
天は人に二物を与えず。
その言葉が頭をよぎった。
そして他人事なのに、なんとなく切なげで、自分ごとであるかのような彼の言い方に、私は反射的に尋ねていた。
「もしかして……杉原さんにも何か秘密があるの?」
目を見開き、驚いたような表情で押し黙った杉原さんだったが、すぐに柔和な少年のような笑顔をこちらに向けた。
「内緒」
色気を含んだ彼の言い方に、微かに憂いを帯びた表情に、どきりとした。
「……人の秘密はバラしたのに」
「マリンのことは、言っといたほうが適切な配慮ができるだろ。たぶん、アイツとはこれからも関わることになるから」
「まあ……」
急に静寂が戻ってきた部屋の中で、二人だけ取り残されてしまったことを実感する。男性と部屋で二人きりなんて、久しぶりすぎて妙な緊張をしてしまう。
落ち着こうと視線を逸らしてカップを口につけると、鼻から爽やかな林檎の香りが抜けた。
「とりあえず、お疲れさん。俺は報告書上げるから、先にシャワー使って、今日はとっとと寝ろ」
そう言うと杉原さんは、自分の鞄を肩に引っ掛けて、ひとり個室へと入って行った。
彼の背中を見送りながら、ちょっとだけ、残念だな、なんて思ってしまったのは。
きっと私が疲れているからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます